『論語と算盤』感想
渋沢栄一著『論語と算盤』を読みました。
いやー面白すぎる。
官を辞して、「ウチの国、全然商売が発展しないから自分が商人になって国を豊かにしてやる」みたいなことを言い始める渋沢、めちゃめちゃ志が高いと思いました。さすが近代日本経済の父。この本、最初から最後まで恐ろしく志が高いです。
商売をする上での道徳を儒教に見出した渋沢が、『論語』と算盤とを一致させようと試みて、一生のうちに考えたことが綴られています。
明治維新のあと、大蔵省に勤めてから、私人として実業家となった渋沢。「第一国立銀行」の総監役から始まって生涯に約500もの企業の育成に関わり、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力したというのですから、本当にものすごい人だったんだなぁと思います。明治維新を経て世の中がめまぐるしく変わっている当時の状況は、現代にも通じるかもしれませんね。
一般論ですが、お金儲けを「悪いこと」だとする考え方は現代においても根強く存在するように思います。たとえばキリスト教のような宗教のなかにもそうした教えは数多く存在するのですよね。江戸時代の朱子学にもそうした考え方が含まれていたということで、渋沢の生きた新しい時代には新たな道徳が求められていました。
「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」
(「処世と信条」の章より引用)
ものすごく当たり前のことのようで、だけど私ももしかしたら、きちんと考えたことがなかったかもしれないとハッとさせられました。
私も会社員なので、労働の対価にお金をいただいて生活している身分なのですが、同時に担当案件ひとつでどうやって、どれくらい儲けるのかを管理する立場でもあります。
売り上げに対して労働時間や諸経費が見合わない案件は引き受けることができないし、なるべく利益率をよくしないと、儲からない会社は業績をのばすために新たな案件をどんどん受注せねばならず、同僚たちの前に仕事が山と積まれていくことになります。もちろんそんなことは不健全ですから、私は社内の人員が適切な労働時間で諸案件をこなし、会社が目標利益を上げられるよう調整しなければなりません。
これが本当に頭の痛い問題で、手間がかかるわりに売り上げの見合わない案件をほいほい引き受けていたら、同僚たちがみんな倒れちゃいます。私は書籍に携わる仕事を愛していますが、どんなに好きな仕事でも、です。
ですから売り上げは、本当に大切なもの。
「お金のこと(利益)は考えないで仕事をする」なんて、私にとっては承服できないことです。
たまに、インターネットなどでプロの作家の方が「無償で仕事を引き受けて欲しい」と相談される事例や、あるいは仕事をさせておきながら正当な報酬が支払われなかった時制などが話題に上ることがありますが、断じて許されるべきことではないと考えます。無償労働は社会を歪めます。
仕事をして、正当に金銭を受け取るということは、非常に健全なこと。
金銭とは諸物品の代表者であって、等価でなければならない。多すぎても、少なすぎても歪みを生むものです。
労働についても同じことが言えます。人員にはその仕事に見合う給料が必要だし、取り扱う商品はそれを見越した金額に設定し、売り上げを出さなくてはならない。
金銭はよく集め、よく散じるべし。それが経済が回るということだからです。
私は、書籍を扱って社会に貢献する今の仕事が好きで好きでたまらないし、漫画の仕事をさせていただいていることにも、常に幸せを感じています。誰かの楽しみや充実のために仕事して、それで金銭をいただき、自分の生活や事業を充実させたり発展させてゆくのは、私にとって幸福以上の道です。
もちろん、私は渋沢のような実業家ではなく、本当にちっぽけな会社員兼作家でしかないのですが。
誰かのために、社会のために仕事をして金銭を受け取り、自分を豊かにすることは、社会を、人を豊かにしてくことに繋がるというのは、当たり前のようで夢がある話だと感じます。
単純な感想で恐縮ですが、ますます頑張りたいな、と思いました。
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