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劇場版『SHIROBAKO』感想

劇場版『SHIROBAKO』を、後れ馳せながらやっと観ました。

大好きなアニメだから、待ちに待った劇場版だったのに、諸々の影響下で劇場に観に行くこと叶わずだったので、リマスター版が再上映されてとても嬉しかったです。

相変わらず涙もろいもので、だばだば泣いてしまいました。
何が悲しいって、エンドロールに連なる人々が精魂込めて作り上げたこの作品の、公開時期の不運に胸が痛んで……。そんなことが今さまざまな現場で起きている日常的な光景になってしまって、いろいろな人が遠藤さんみたいに傷ついて他者に攻撃的になったり自棄になったり、気力も湧かなくなっている。

それでも前を向いて、ひとつひとつできることを頑張るしかないということを、非常に考えさせられました。
私の描く漫画がひとつひとつは自分の引いた線でできているように。私はどうしていいかわからなくなったら「落ち着け、とりあえず線を引け」と自分に言い聞かせるようにしているんですけど、そういう風に、人生やあらゆるものづくりも、行程を分解していったらたぶん、目の前のことをこつこつ側張っていくっていう結論に達するんじゃないかと思いました。

「足掻く」というSIVAのテーマが伝わって来て、最後のアニメのシーンではまた信じられないほど泣いちゃいました。
敵に飲み込まれていくヘドウィッグたちをアルテとともに未来に連れ出したかった。

せっかく100を越えるような数の劇場に配給してもらって、来場者特典も山盛りに用意してくれて、作品を盛り上げようというこれでもかという気概を感じるからこそ、今年の2月29日公開だったために舞台挨拶も全部中止になって、その一ヶ月余りあとには緊急事態宣言が出て多くの劇場が営業停止したことなどが走馬灯のように頭を駆け巡って、映画のなかの宮森たちが踏まれても踏まれてもアニメを頑張って作ろうとしている姿と、ままならない現実との対比で思わず胸が張り裂けそうになりました。
私だって、この期に及んで、この8月下旬になるまで映画を観ようって気にならなかったわけですから……。

でも作品は残るから絶対に残るから、と思います。

ものを作るということは、きれいなことばかりではなく、地道なことの積み重ねです。しかも、必死に積み重ねたものがその先で何にもならかったということすら、よくあります。ファーストフード店のアルバイトですらポテトを揚げてお客さんのおなかを満たしているっていうのに、心血を注いで作ったものが誰のためにもならないとしたら、あまりにも悲しい。
それでも、この映画を作りあげたクリエイターの皆さんの、なんというか、作家魂みたいなものを強く感じて、心に火を入れてもらった気がしました。それは現在のクリテイティブなものを取り巻く状況が厳しくても、様々な人が「それでも作品を作る! 作りたい!」とものすごいエネルギーを燃え立たせている姿を何度も何度も目にして、私はTVアニメ版の最終話で宮森が語っていたアニメーションを繫ぐ灯のイメージが浮かびました。それが絶えることはないだろう、絶やさせないという人がたくさんいるだろうと感じられることが、今、心強く感じられます。

……なんというかもっとこう、うまいこと言えないかと思いながらここ数日この感想を下書きにしまっていたのですが、そのままでも仕方ないので投稿します。
美しく力強いアニメを鑑賞させていただき、ありがとうございます。

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