見出し画像

『図解 食の歴史』感想

『図解 食の歴史』(著者:高平鳴海、愛甲えめたろう、銅大、草根胡丹、天宮華蓮)を読みました。

ちなみに、この本を読むことにしたきっかけは、大好きな『本好きの下剋上』の著者・香月美夜先生が作品作りの参考にしたという書籍のなかにあったことです。(「香月美夜さんに聞いてみた」参照)

食文化って人間の生活に欠かせないものなので、すごく興味深くて、面白いです。高校のときの世界史の教師が、「人類の歴史上、最も発展したものこそ食文化です」と言っていました。

エジプトはやっぱりすごいなぁ。ナイル川万歳
水害と塩害の多いメソポタミアでの農業が非常に大変そうで、古代の人々の生活が心配になったので、やっぱり住むならメソポタミアよりエジプトだよなぁ……と思いました。(でも現代日本はそれとも比べものにならないほど最高すぎるので、私が今を生きる日本人でよかったと思いました)
メソポタミアにもエジプトにも酵母を加えた発酵パンは登場していますけど、やはり主食となるパンの発展はどこの文明でも目覚ましかったことが察せられました。メソポタミアでは主に七種類のパンが食べられていたそうで、食パン、ナン、パイ、調理パン、マッシュポテト、クルトンなどの先祖にあたるそうです。
エジプトといえば宗教も発達した土地。悪神セトが海に関連する神であったため、神官は魚を食べない、海塩を口にしないなどの宗教的禁忌があったそう。せっかく海産物豊かな土地に生まれて何が悲しくて海の幸食べないんだよと思わずツッコみましたが、こういう合理的ではないところこそ、文化が発展した証……なのかもしれないですね。

時代が進んでギリシャ
世界初の料理学校の登場とか、さすがの古代ギリシャ〜〜〜って感じです。アカデミック!
エトルリアの食事に音楽を聞かせる文化があまりにも貴族で笑ってしまった。あと寝椅子で食事する風習。寝てたら食べにくいじゃんといつも思うけど、それで優雅に食事してこそ文明人なのかも。

それらの影響を受けてのローマ
急に朝食に何を食べていたかなどの情報が詳細になり、生活水準の向上が感じられます。それだけ記録も残されているのでしょう。ローマ、すごい!
貴族・平民・奴隷の割合は1:3:6だそうで、わりと貴族の割合が多かったんですね。これは共和政の頃の話でしょうか。
当時のローマではパトローヌス(平民を保護する貴族)とクリエンテス(披保護者となる平民)という関係の地盤があって、庶民は自分の保護者となる貴族、お金持ちに挨拶にいくと「スポルトゥラ」という籠に入った朝食をもらえたそうです。そんな社会制度が発達するのって非常に独特だと思います。
午後からシエスタして起きたら公衆浴場に行く自由市民、優雅過ぎる……。しかし奴隷社会だからこそ実現する話でもあるのでしょうね。
ケーナ(晩餐会)では身分によって座る位置の序列があったそうですが、一番上座なのが「執政官の座」で二番目が「王の座」というのがいかにも共和政ローマって感じ。
しかし、パトローヌスとして大勢のクリエンテスを保護するためにはそれだけお金がかかるはずで、大金持ちじゃないとやっていけませんよね。支持してくれるクリエンテスを失えば、政治の世界で活躍できなくなってしまいます。逆に、だからこそ富の流入したローマでは権力の集中が起きたのかな。

中世ヨーロッパ、中期までの食事は量が多いのが特徴。
「主人には最下級の使用人の16倍の量が出されるのが習わしである。当然、全部は食べ切れず、下々の者が食べ残しをもらう」「臣下に食事を分ける風習があったため、太った領主は歓迎された」とのこと。確かに偉い人はなんとなく太っているイメージあるかも
中世の宮廷料理でまず重視されたのは量、そして色や香り。量が多いのは大前提として、当時は味ではなく、主に色で美食が判断されたとのこと。文化の違いを感じました……。
食材ごとにランク付けがあり、高位な順に鳥、動物、魚、植物だったそうです。(鳥が高位なのは天に近いからで、植物の位が低いのは地面から生えて動かないからという理由)
魚よりも肉のほうが高貴な食べ物とされたので、ヨーロッパでは海産物の料理よりも肉の料理のほうが発達した側面もあったのかもしれないと思いました。植物である野菜の地位はさらに低かったんですね。そんなことだと海の上で壊血病になっちゃいますよ! ヴァスコ・ダ・ガマの船団乗組員の6割以上が壊血病で死んだって聞いて私は悲しかったよ! うう。
仏教に肉食を制限する教えがあったので日本では菜食が進みましたが、ヨーロッパはさかんに肉が食べられたとのこと。
肉も魚も野菜も、みんな違ってみんな美味しいのにね。食物に貴賤なし

中世ヨーロッパでは宗教的な理由で可能な限り食器を使わなかったとのこと。食べ物は神の恵みであり、それに触れてよいのは神に作られた人の手のみという考え方があったそうです。
なるほど……。木製の皿なら一般庶民でも使えそうなのに、なんでパンを皿に使うのかと不思議に思っていました。汁物だけは仕方なく深皿を使ったそうですが、これもスプーンは使わず、大きな深皿から回しのみ。皿に使えるパンがないほどの貧乏人だとこういう汁物ばかり食べていたらしいです。ファンタジーもので貧しい環境での食事っていうとスープのイメージがあるのはこういうところが由来なのかなと思いました。

大航海時代のあとでは、アジアからの食材の新たな流通ルートが確立されたり、アメリカ大陸から様々な食材が流入したりして、かなりドラスティックに食文化の改革が起きていくのが面白かったです。このときの社会の変容は食に限った話ではなく、むしろ現代に至るまでその変革の波は続いているのかもしれないと思われました。

追っていくと本当に非合理的なことや信じられないような話もたくさんあり、「美味しい」の基準も時代ごと、地域ごとに全然違っているんだなぁとつくづく感じました。本当に食とは文化なんですね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?