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『廃墟の片隅で春の詩を歌え』感想

 廃墟シリーズの2・3冊目。前後編になっています。
 ベアトリスの祖母世代、民衆革命によって追われ、廃墟の塔に閉じ込められた王族の三女アデールが主人公の物語です。

 民衆革命が起こったということは、この頃のイルバスという国では知識階級がある程度成熟してきていたのかなと思うのですが、本文の革命の描写なんかを読むとフランスっぽいし、国の状況を見るとロシアとか北欧っぽい感じもあって、一体どういう状態なのかを考えると興味深かったです。

 王政復古の後、アデールが真っ先に着手した政策がまさかの民衆の教育制度の確立だったので、かなり度肝を抜かれました。市民階級が成熟したことによって民衆が革命を起こしたのなら普通は反動化しそうなものですが、逆なんだ!? と。
 アデール自身はこの教育を民衆が扇動されないためにとジルダに説明していましたが、歴史上の絶対君主たちの多くが教育を王権の強化に繋げたい考えを持っていた一方で、民衆は成熟するほど王権への帰属より議会に参加する権利なんかを要求するようになってきた歴史があると思うのです。そのもっとも過激な形で表れた結果が、アデールの両親も兄たちも殺された民衆革命じゃないかと思うのですが、それでもなおその流れを進めようとする末子、めちゃめちゃ革新派だなと思いました。

 さらに驚くべきことに、下巻の最終章を読む限り、イルバスではアデールの即位からたったの4年で学校事業が軌道に乗って識字率が向上し、娯楽文学まで流行り出しているようです(大衆の間でとは書かれていなかったので、あくまで富裕層の間でということなのかなと思いますが)。そんな急速に教育改革が進んだ国家の前例を知らないので、元々それを軌道に乗せられるような仕組みや土壌がこの国にはあったということなのかもしれません。
 しかしイルバス、下巻では侵略も受けたうえに農地が少ないとなると、子供に教育を受けさせるような余裕があるようには見えないので、この状況下で教育改革が成功するって本編の裏でどういうことが起こっていたのか、めちゃめちゃ気になりました。メルヴィル有能すぎる!

 イルバスは気候が厳しくて農地が少ないという割には、フランスみたいな宮廷文化がある点を鑑みると、元来は何か別の産業があって、革命が起こる前はかなり財政が安定していた時期があったのではないかと思うのですが、かつては何が主力産業だったのかまではわかりませんでした。従来の財源が何らかの要因で途絶えたことによって国が傾いたということなのかなと思うのですが、アデールが戴冠した後は工業が盛んになったとのことで、その点ではイギリスに近いような印象も受けました。

 地理は、イルバスの気候がいかにも北欧っぽい感じなのに、隣国のニカヤが温帯っぽい気候でこれも驚きましたが、南北に広がった国なのかな? 単純に緯度の問題ではなく、イルバスは国土が山がちで標高の高い国なのかもしれません。

 人間ドラマも非常に面白かったです。息つく暇もなく次から次へと状況が変化していって、「どうなっちゃうの!?」という感じでした。愛しているのか憎んでいるのか、独占したいのか手放したいのか、大切なものほど矛盾に満ちた感情を抱いてしまうのが人間なのかもしれないと思います。

 ジルダのベルトラムの血筋に固執する価値観はイルバスの歴史を知らない私にはよくわからなかったのですが、たとえばそれが日本における天皇家の血筋と同じくらい権威があったのだとしたら、その異端として生まれた自分について悩まされずにはおれなかったのかもしれません。
 しかし、同じ日に天に召されるなんて彼女の両親は心底愛し合っていたんだなぁ……とも感じます。王族として、母としては勝手過ぎるのかもしれませんが。それでも懐中時計を手放せないところとか、ジルダもなんだかんだ言って情が深い女性なんですよね。冷徹にはなれない。レナートとミリアムの息子たちを生かしたところでも強くそう感じました。

 アデールがどんな人間になっていくかは本当に興味がつきず、ずっと一気に読んでしまいました。二人の姉との関係、夫との関係、利用されたり意思を抑圧されたり、必死で羽ばたこうとしたり囲い込まれそうになったり。たった2冊のこの小説の間に彼女の身になんて多くの出来事がふりかかったことだろうと思います。
 彼女は決して強いだけの人でも弱いだけの人でもなかったし、善良なだけでも優しいだけでもなかった。ページをめくるごとに彼女は成長し、新たな局面を見せれくれる。それに惹きつけられました。

 それと同じくらい、エタンがどうなっていくのかも終始気になっていました。彼は物語の中で影のように主人公に寄り添い、離れたかと思いきやまた近づき、別方向に進むかと思いきやまた巡り合い、最後まで離れられないような存在でした。

 雪に閉ざされた廃墟で春の詩を歌う民衆と女王の姿にたどり着いたときは、ここがこの物語のたどりつきたかった場所なんだと思えて、とても感動的でした。

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