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『宝石商リチャード氏の謎鑑定』感想

辻村七子著『宝石商リチャード氏の謎鑑定』を刊行中の10巻まで読みました。

キッカケは、知人との作業通話中に私のほうだけ音声トラブルが発生し、会話を続けられなくてどうしようかと困っていたら、相手が「じゃあ私がおすすめの本を朗読します!」と申し出てくれたことです。
そこで朗読してくれたのが、この『宝石商リチャード氏の謎鑑定』でした。
彼女はどうやら、私にぜひともこの作品を読んでほしかったようです。

知人は朗読が上手でした。登場人物の台詞はちゃんとその人物らしく抑揚をつけてくれたし、文と文の間や、展開ごとの緩急もつけてくれて、すっかり入りこんで聴くことができました。
1時間ほどもかけて、1巻のcase.1をまるまる朗読してくれた彼女に、私は「じゃあ、続きは本を買って読みますね」と約束しました。読んでもらっているうちに、すっかり私は謎めいた美貌の宝石商リチャードや、素直で純粋な大学生正義のことを好きになっていたからです。

思い立ったが吉日。さっそくその夜から続きを読みはじめ、フルコースのメニューのように途切れることなくいっきに読み終えました。


本作を一言で言うと、人間関係と宝石にまつわる物語と表現してよいかと思います。

「世の中には、色々な人がいる」。
これは私が世の中を渡っていくにあたって、肝に銘じていることです。
私とはまったく考え方の違う人、趣味の違う人、育った国や文化や年代が違う人、言葉や宗教や習慣が違う人、経済レベルが違う人、性別が違う人、とにかく世界には色々な人がいる。私には想像もつかないような世界で生きている人がどっさりと。

大抵はかけ離れた人と交流を持つことはないのですが、ときどきは実生活やインターネットなどでそういった方と接点を持つこともあります。

それが私にとって喜ばしい出会いであることもあれば、傷つくこともあるし、あるいは私が思いがけず相手を脅かすことだってあるかもしれません。当たり前です。みんな違う人間なのだから、常にうまくいくとは限りません。
私にとって当たり前のことが、当たり前じゃない人もいるだろうし、私にとって許しがたいことを、受け入れていける人もいるでしょう。理解できない人を見るたび、「世の中には、色々な人がいるから」といつも思います。そういう人たちが、私にはどうにもできないことを解決して、新しい世界を開いてくれるかもしれない。

私はそれを、とても素敵なことだと感じています。世界にそれだけたくさんの心が溢れているのだと思うと、こぼれ落ちそうなほどの星空や宇宙をのぞき込んだときのように、抱えきれないような大きな気持ちになります。「こんなに幸せでいいのかなぁ」と。

この作品は、私にとってそういう物語です。

女スリの娘として生まれた女性、レズビアンのカップル、ブラック企業の食い物にされる先輩、恋愛感情を理解できない女の子、実の父親にカネをせびられる青年、夫の家庭内暴力で死にかけた少女。
ずっと昔、大切な友人と互いの身の上を打ち明け合った日、「誰でもひとつはそういうものを抱えているよね」と話したことを思い出します。たとえ今、なんでもないような顔をして社会生活を送っていたとしても、壊れそうになったこと、深淵をのぞいた日、世界に自分はひとりぼっちだと思った夜が誰にでもあるんじゃないかと、ときどき思います。

自分はもうここから二度と抜け出せない、と感じるときもあるかもしれないのですけど、この物語を開くと、なんだか私は不思議と「大丈夫だよ」と言われたような気持ちになるのです。
世界にはまったく違う場所、まったく違う人、まだ私の前に開けていない世界があるのかもしれない。私の中の醜い感情も、人に手渡せない思い出も、ちゃんとどこかに置き場所があるのかもしれない。

8巻でフランスを訪れた正義がピエールというおじいさんから言われた言葉を、私も忘れたくなかったので、ここに引用します。

「ここにもいろんな人間がいる。きれいな街に見えるだろうが、みんな見かけほどうまくやってるわけじゃない。貧しくて困ってるんだ。金がないって意味だけじゃないぞ。心の貧しさが問題なんだ。あっちこっちでつらいことばかり起こるもんだから、誰も彼もが『自分が世界で一番不幸だ』って思いこむ。それが心の貧しさだと俺は思う。そうすると他人を傷つけるのは簡単だ。つらい話だよな、だってみんなつらいのは本当なんだぜ。だから助けてほしいんだ。そのために人を傷つけては、余計につらい目に遇ってる。苦しいもんだ」
「あんたはいろんな国に行くんだろ。強い男になってくれ。愛だよ、愛をいっぱい持ってくれ。何しろここは博愛の国だからな。自分で自分の心に栄養をやれる人間は強い。そういう人間は決して貧しくならない」

正義の答えは「……頑張ります」でした。


私も、頑張ります。

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