『神の棘』感想

須賀しのぶ著『神の棘』を読みました。
WW2前から始まって、ドイツの修道院で修道士をしているマティアスと、その学生時代の親友でナチ党員となったアルベルトの愛憎劇。奇妙に近づいては離れる彼らと、それを取り巻く人々の運命を終戦後まで描いた作品です。

たった2冊なのに、内容が重くて、一生読み終わらないのかと錯覚するくらいでした。途中で苦しくなってしまい、続きを読むのに小休憩を必要とした箇所もあって、残酷な場面や死を感じる場面はともかくとしても、罪を近くに感じるとき私は心が重くなるのかもしれないと思いました。

読んでいるとアルベルトのことはけして嫌いではなかったのですが、しかしその手でどれほどの罪を犯したかを思うと恐ろしい気持ちにもなりました。戦前は高慢に見える彼の態度に苛立ちを覚えることもあったのですが、一方で彼が戦後にどうなるかを思うと読んでいる間中苦しい気持ちでした。

「神の棘」という言葉は、キリスト者でもない私には最初は意味が掴みかねたのですが、その人が負わねばならない罪そのものが棘であり、そしてそれは耐えうる者にしか与えられないという話を終盤にフェルシャーが語りました。アルベルトは結局罪を背負って、神に赦されることも拒んだ。

最後は赦されたいのが人間だと思うし、マティアスに救われて死んでいったドイツ兵もそうだったと思うのですが、アルベルトはそれも拒んで処刑を受け入れた。罪を引き受けることができるのはキリストだけなら、彼はすごく皮肉なかたちでそれを体現しているのかもしれない、とも思いました。

最後の牢獄でマティアスとアルベルトがコーヒーを飲むのを最後の晩餐になぞらえているのもなんだか、どこか冒涜的にも感じられる一方でこのうえなく神聖にも見え、薄汚れた退廃的光景にも虚飾のない美しさにも見えて、不思議な気持ちになりました。

善悪というのは結局人が裁けるものでもなく、時代や状況に応じて恐ろしいほど入れ替わるということをまざまざと感じて、自分の感性や正義感で他者を裁くことの危険性も感じました。罪を罪と感じるとき私たちは裁かれるけれど、それを罪だと認識しなければ裁かれることすらない。それは最も深い闇なのかもしれないとも思いました。

マティアスは己を顧みずに最も弱き者のそばに立ち続けようと歩み続けました。その素朴な優しさと無鉄砲なほどの勇気、純粋な友情や人類愛のようなものには何度も胸打たれました。キリスト者じゃない私には本当にはちゃんとわからないこともたくさんあって恐縮ですが、それでも彼は美しかったです。


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