『ペスト』感想
カミュ著、宮崎嶺雄訳『ペスト』を読みました。
COVID-19の脅威にさらされた社会のなかで、心を落ち着けてものごとを考えるために、本書が助けになるのではないかと思ったのです。あと単純にカミュの小説が面白いから。
小説の舞台は戦後194X年のフランス領アルジェリア、オラン市という海沿いの都市。そこをペストの大流行が襲い、都市封鎖が起こるという筋書きです。
ペストといえば、中世ヨーロッパを終わらせたともいわれる感染症の代名詞たる病ですよね。
だからなんとなくペストはその頃の病気というイメージがあるかもしれませんが、人類の歴史上、根絶に成功した感染症はせいぜい天然痘くらいのもので、ペストは2020年現在も根絶に至っていません。それをわかっていながら、感染症に対していかに自分たちが無防備であったかを省みずにはいられませんが、同時に人間社会は人との繋がりがなければ成り立たないことを思うと、途方に暮れるような想いがします。
また、それは作中で感染症のかたちをとった、もっと大きな、天災や戦争など、およそ個人の力の及ばぬ不条理への無防備さでもあったのでしょう。
この小説のなかでも、様々な立場の人々がオラン市のなかで苦悩を余儀なくされます。
もっともこの小説のなかで印象的だったシーンが、テラスで医師リウーが友人タルーから、来歴を語られる場面です。
タルーはペストのことを、正義で他人を裁かなければ秩序を保つことができない人間社会の状態になぞらえて語ります。タルーは検事の父が、重大事件の犯人に死刑を求刑するところを見たのでした。
人間が人間を殺すところを目の当たりにして、タルーはおぞましさにおののくと同時に、自分がその罪のうえに成り立つ社会に生きていることを恐れました。彼が罪を恐れる者にこそ親しみを感じてしまうのは、社会のなかでこの罪に汚れていないものはいないとわかっているからなのでしょうね……。
作中でのリウーとタルーはまるで半身のようでした。街がペストから解放されつつあるなかでタルーが死んでしまったとき、リウーの感じた喪失感は、遠くの街で病気の治療をしていた妻の死亡の知らせに対する悲しみすら麻痺させてしまうほど深かったのでした。
リウーは病理がこの街を離れようというとき、この妻との再会を信じ、何もかもやり直すのだと考えていたことを思うと痛ましいです。
リウーはペストという不条理に対し、ただ目の前の患者を救おうと努力するということをひたすら繰り返しました。それはほとんど実を結ばず、彼の仕事は診断した患者を無為に記録することに成り果てました。彼の心は無力さと疲労に蝕まれていきましたが、それでも小説の最後の最後まで、誠実さを貫いたのでした。
彼の生き方は不条理に満ちた世界のなかで人間にできる唯一のことなのかもしれないと思います。暗闇のなかで、手探りで泥のなかを這い進むこと。毎日の仕事をこなして、目の前の命を守るのに努めること。
そしてこの小説は、三人称による彼自身の記録として描かれました。彼はペストがまた別の時代、別のどこかの街を襲うであろうという示唆を残して語り終えます。
不条理はいつ誰を襲うのかわからない。ある日突然、地震で、水害で、病気で、事故で、戦争で、経済の破綻で、われわれを襲うかもしれない。
それにパヌルー神父のように意味を見出だそうとする人もいるでしょうが、ほとんどの場合、意味などないのだろうという気がしています。
息子を喪ったオトン氏のように、変貌を余儀なくされる人もいるでしょう。
そのなかで、本作ではグランのようななんでもなさそうな人物をある種の英雄的に描いていたのがとても心に残りました。小説の書き出しばかりを繰り返しこねまわしているグラン。かつての妻の思い出を大切にしているグラン。仕事には真面目で、ボランティアの保健隊のまとめ役を当たり前のような顔で引き受けてくれたグラン。そしてペストの魔手から生き残ったグラン。
彼はリウーと同じように、小説を書くという意味のなさそうな仕事にひたすら取りかかりながら、自分を救っているのでした。
私にとって、この読書感想文を書くという作業は、そんな風に自分を救うための作業のひとつなのかもしれないと思います。
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