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熱くて暑い!ひとり舞台『ストロングヒューマンの定義』

※本記事は再投稿させていただきました
2023年9月4日、大学時代の友人で、女優として活動している松井香乃(まつい・かの)の舞台を観劇した。彼女が舞台で描いたのは、彼女が生きてきた人生そのもの。悩みながら生きる人々の心に刺さる、希望と勇気をくれる舞台だった。

ここでは、以下のことをご紹介する。

  • 「ストロングヒューマンの定義」のあらすじ

  • 松井香乃という役者

  • 「ストロングヒューマンの定義」の感想

松井香乃の舞台「ストロングヒューマンの定義」とは


2023.8.4(金)~8.6(日)まで三鷹にある「SCOOL」で公演された、ひとり舞台「ストロングヒューマンの定義」。

「ストロングヒューマンの定義」を上演した劇場SCOOL

出演者は松井香乃。今作は脚本・演出・企画・制作まで、彼女がすべて手掛けた。

私はずっと、強くなりたかった。というより、大人になれば強くなれると思っていた。
でも、どうだ? 私、今24歳。未だにすぐ泣くしすぐ言い訳するしすぐ不安になる。
私は強くなっていない・・・? でも、私だって少しは成長していると思うのだ・・・!
じゃあ、大人になるってなんだ? 強くなるってなんだ?

引用元:SCOOL


主人公・香乃がまだ小学生だったとき、電車で痴漢に遭う女性見つけた。何もできずに右往左往している香乃の横で、女性が「久しぶりね。こっちへ来て話しましょう」と声をかける。
格好良い人(=プリキュア)を目の当たりにして、彼女は自分が何もできなかったことを反省する。

そんなところから、彼女の「試行錯誤し続ける人生」を描く舞台が幕を開ける。

中学生のとき、受験のために必死に勉強していた香乃。しかし、合格者のところに彼女の受験番号はなかった。

「いつもそう。努力しても報われない」

悲痛な心の声が、劇場中に響き渡る。母親に「私の気持ちなんて分からない」と言葉をなげかけ、それを謝ることもできない未熟な少女。

そんな彼女に、指摘や救いの言葉をかけるのは、弁護士や医者などの”正しい人”たちだ。彼らの言葉は正論で根拠もある。しかし、正論だからこそ素直に受け入れられないこともある。

何をやってもうまくいかない。周りの言葉を素直に受け入れることもできない。香乃はだんだん「自分に期待をしてはいけない」と思い込むようになっていった。

しかし、そんな彼女が「女優になりたい」という夢を持つようになる。「自分に期待するな」と、過去の自分が目の前に立ちはだかる。それでも、香乃は女優としても道を歩き始めるのだった…。

彼女がなぜ役者を目指すことにしたのか…どんな出会いがあったのか、そして、何に苦しみどう成長したのか。香乃が選んだ道での様々な出会いと、日々の葛藤がリアルに描かれた今作。

はたして香乃は「誰かのプリキュア」になれるのか。

そしてあなたは「誰かのプリキュア」になれるのか。

舞台の最後に「常に強くなくていい、いざという時に自分を信じられることが強さだ」と香乃は宣言する。

彼女がその言葉を導き出すまでの、繊細で険しくて愛おしい日々が、たっぷり詰まった渾身の舞台。

「ストロングヒューマンの定義」で感じたこと

提供:松井香乃

ひとり舞台を初めて観劇した私にとって、観劇中の1時間は未知の世界だった。
始まる前からソワソワして落ち着かなかったが、いざ始まるとそんな緊張はあっという間に吹き飛んで、ただ彼女が紡ぐ世界に没頭していた。

松井香乃という役者の魅力

30人程度のキャパの劇場では、観客一人ひとりの空気が舞台に影響する。照明が落ちた瞬間、観客は息をひそめた。みなどこか緊張しているのだ。

そんな中、客席後方からこの舞台の唯一の出演者・松井香乃が登場した。観客の視線が彼女に集まる。

舞台照明がついたとき、今年25歳になる松井香乃が、香乃役としてセーラー服を着て、変顔をして立っていた。客席中から笑いが起こる。あまりに、衝撃的な幕開きだ。

しかし、このユーモアが彼女らしさなのだ。

一気に劇場の空気が温かくなり、劇場の体温が上がるのを感じた。
「あ…なんか好きかも」と舞台に現れたキャラクター・香乃に好感を抱く自分がいた。

大学で初めて松井香乃に会ったとき、彼女は「こっちおいでよ!」と私をクラスメイトの輪に入れてくれた。あの時「友達出来るかも」と安堵したのだが、それと同じ安心感があったのだ。

彼女は今、舞台に立っているはずなのに。彼女と私の関係は、友人ではなく、役者と観客のはずなのに。
それなのに、あの時と同じ安心感があった。きっと彼女が持つ個性なのだろうと思う。みなを巻き込んで、空気を明るくする才能がある。

だが、そんな彼女の描く世界は、案外明るいものではない。それが、彼女の持つもうひとつの不思議な魅力なのだ。

「ストロングヒューマンの定義」のメッセージ

提供:松井香乃

ひとり舞台を終えた松井香乃

彼女の描く世界に生きる「香乃」という人物は、不器用で懸命で繊細だ。なんでも「どうにかなる!」と笑い飛ばして生きていけたら楽だけど、舞台に息づく香乃はそうできる人間ではなかった。

弱い自分に打ちひしがれて、その度に誰かに助けられて、自分も誰かを助けられる人間になりたいと歩き出す人だ。
彼女は嫉妬もするし、焦りもあるし、見栄もある。綺麗ごとじゃ片付かない汚い感情に支配される瞬間もあって、決して完璧ではない。

しかし、それを「弱い」「情けない」と思う必要はないというのが、今作の大きなメッセージだろう。さまざまな感情を抱いていても、いざという時に踏み出す強さを持っていれば良い。
もがきながら生きていくことを繰り返せばいいんだ、とそんなメッセージが込められた作品だった。

「自分は完璧だ」と思って生きられる人間はそういない。だからこそ、この作品は多くの人が共感できるし、メッセージをダイレクトに受け取ることができる。もちろん、受け取ったときの感情は人それぞれだ。

「綺麗ごとだ」「自分には無理だ」と思う人もいるだろう。でも、それはその人が苦しい感情に支配されているタイミングなのだと私は思う。別のタイミングでこれを見たら、「今ならプリキュアになれるかも」という心持ちで見られるかもしれない。

人は強くないから、弱っているときに明るいものを受け止める器を持ち合わせていない。でもそれは悪いことではない。そういう自分をまるっと包み込んで生きていけばいいんだから。

そう思えたのは、松井香乃という役者が舞台に魂を注いで、そのメッセージを伝えてくれたからだ。

役者の個性が生きる舞台

役者・松井香乃にはユーモアがある…が、彼女がユーモアばかりの人間ではないというのは、今作の脚本を彼女が書いていることから見ても明白な事実だ。

彼女はこの舞台に立つ前に、「今の気持ち」と手書きした写真を添えたInstagramを投稿している。
そのInstagramには以下のような想いが綴られていた。

何かに一生懸命になると、自分の弱さや至らなさが全部露わになります。己の丸裸を見てその貧弱さに愕然とし、消えていなくなりたいとさえ思います。
今もそうです。
でも一つだけ違うこと。それは、そうなる自分を知っているということです。
今まで頑張ってきたこと、でもうまくいかなかったこと、こんな悲しみに何の意味があるんだと泣いた夜が、今、私に下を向かせないのです。「何を今更!」と笑い飛ばしてくれるのです。
こうやって失敗は、一つずつ糧になっていくのか…と実感しています。

引用元:松井香乃Instagram


舞台を作っている最中の「松井香乃」と、舞台にいた「香乃」は、同じようにもがき苦しみ自分を奮い立たせていた。

そんな彼女に勇気を貰った人間が、自分の弱さと向き合う覚悟を決めて劇場を後にする…泥臭いけど温かい空気があの劇場を包んでいたように思う。久々に目の当たりにした「青春」のような尊い時間だった。

それが証拠に、終演後に彼女と話すために並んだ観客たちは、涙を流したり抱き合ったり…みんなが暑苦しかった。

自分の弱さをさらけだして作った舞台を観た人は、役者の誠実さに向き合うしかなかったのではないだろうか。少なくとも私はそうだった。

「弱くてもダサくてもそれでも頑張ろうよ」と背中を押してくれる役者、それが松井香乃なのではないかと。

そしてもうひとつ。エンターテインメントは人に勇気を与えるものである。そんなことを改めて実感した舞台だった。

まとめ

何かに一生懸命になることを躊躇う人が多い世の中になってしまったと思う。一生懸命になることが恥ずかしいと思う人さえいるこの世の中で、命を懸けて目標を追いかける人にはやっぱり特別な美しさがある。

友人が出演する舞台を観るという、貴重な機会をいただいた。
観劇後、「せっかくなら」とライター業を活かして形式ばった記事を書こうかと考えたが、結局感情が先行してしまって収拾がつかないから、正直にありのままに書くことにした。

取り留めもなく書いてきた私が言いたいことは、役者が舞台に懸ける熱量が観客の人生を変える力を持っているということだ。松井香乃の舞台は特に熱量が高い。

熱くて暑い。

これ以上に心揺さぶられる役者がいるだろうか。

今後の松井香乃の活躍を期待せずにはいられない。

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