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The Monkeesを再評価する - Part 17:テレビ番組の終焉と更なる独立

このプロジェクトのそもそもであるテレビ番組に目を向けると、モンキーズは第1シーズンで1967年に優秀コメディ・シリーズ賞と優秀コメディ監督賞(ジェームズ・フローリー、エピソード「Royal Flush」)という2つのエミー賞を受賞した。


第2シーズンでもフローリーは優秀コメディ監督賞にノミネートされている。(エピソード 「The Devil and Peter Tork」。)

「奥様は魔女」などの長寿番組を抑えてカウンターカルチャーであるロックバンドを主人公にしたコメディが受賞したということで、テレビコメディ界でもモンキーズはゲームチェンジャー的であった。

尚、このムーブメントはこの後バンド+ファミリードラマという形態で1969年からのThe Brady Bunchや1970年からのThe Partridge Familyに引き継がれていく。


第1シーズン(1966年9月~1967年8月放送)は、主には『More of the Monkees』までのレッキング・クルーとドン・カーシュナーによるバブルガムポップが使われた時期だが、第2シーズン(1967年9月〜1968年3月)ではモンキーズが自分たちで制作し演奏するようになり、バブルガムポップ色が薄れてアーティスティックになったことから、番組もかなり仕立て直され、第1シーズンのクリーンなルックスは、第2シーズンではヒッピー的な服装やカリフォルニアのビーチ以外の様々なロケーションでのよりぶっ飛んだ話に変わっていった。

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そして、1968年になると、NBCはこのシリーズが一巡したと感じるようになった。簡単に言うと、各エピソードの定型的なパターンが繰り返されるだけの創作に限界を感じたというところだろう。
結局第3シーズンは作られないことになり、1968年3月25日の放送を最後にこの大ヒットテレビシリーズは終了した。
シリーズのフィナーレを飾ったエピソード「The Frodis Caper」は、ミッキー・ドレンツが脚本を共作し、ミッキー自身が監督した。

ちなみに、もし第3シーズンがあった場合には、モンキーズは現行のフォーマットを捨ててシリーズを再編成するつもりで、音楽を中心としたライブショー、バラエティショー、スケッチ・コメディ・シリーズなどのアイデアが浮上していたらしい。このアイデアの片鱗は、この後に作られるスペシャル番組や映画で垣間見られる。


マイクは第2シーズン放送中の1967年11月18日と19日の2日間を使って、初のソロアルバム『The Wichita Train Whistle Sings』をレコーディングする。

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このアルバムは全曲インストで、2日間のセッションでハリウッドのRCAスタジオで制作された。トランペット10人、トロンボーン10人、サックス10人、ドラマー2人、パーカッション5人、ピアノ4台、ベース8台、ギター7台など、レッキング・クルー主要メンバーを含めたオーケストラ体制で、マイクが書いたモンキーズの発表済みの曲や未発表曲をインストで演奏するという企画アルバムである。

週末ということもあり、ミュージシャンは全員ダブルタイムで給料が支払われ、ハリウッドの高級レストラン「チェイサーズ」からケータリングが提供され、マイクがオープンバーを用意した。

和気あいあいと喋りながらセッションをしている様子がアルバム内にも収められており、超一流ミュージシャンを集めた大人のお遊び的な2日間を収めたものと捉えた方が良いかもしれない。



マイクだけでなく、そもそも4人とも違うジャンルから来ていることもあり、またここまでのスタジオでの経験やそれぞれの独自な交友関係の形成から、4人は音楽的にもそれぞれ違ったことにチャレンジしたくなっていた。
マイクは前述の通りレッキングクルーの再活用やカントリーの人脈の取り込みからより自分の音楽を追求するようになり、ピーターは以前の記事の通りバッファロー・スプリングフィールドやヒッピー的な人脈とつるんでいたし、ミッキーもピーター同様にローレル・キャニオンで独自の友人関係を作っていた。(デイビーはやはりミュージシャンやヒッピー文化よりもテレビ界やシンガーとしてのショービジネスに近い立ち位置だったと思われる。)


共通項としてモンキーズは、プロデューサーとしてのチップ・ダグラスを今後必要としないと判断。チップはプロデュースを離れ、1967年11月からメンバー自身各々のプロデュースで曲を制作していくようになった。

この方針で、テレビ番組終了に伴いテレビ番組の後ろ盾が無くなった初めてのアルバム、『The Birds, The Bees & The Monkees』が制作される。

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尚、モンキーズとの仕事でプロデュース業を覚えたチップ・ダグラスは、この後再びタートルズのプロデュース。更に、交際していたリンダ・ロンシュタッドの1969年のデビューアルバムをプロデュースし、カリフォルニアでの70年代ウエストコーストロックへの繋ぎ目としての役割を果たす。

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ちなみに本日8月27日(現地時間)は、チップ・ダグラスの誕生日である。


続く。


次回は、これまた名作であるアルバム『The Birds, The Bees & The Monkees』を解説する。


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