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The Monkeesを再評価する - Part 13:コンサートツアー(1966〜1967年)

4枚目のアルバムについて書く前に、4枚目のアルバムを語る上で事前に必要な情報を幾つか出しておきたい。
ひとつはエディ・ホーというドラマー。
もうひとつは1967年までのコンサートツアーについて。

今回は1967年までのコンサートツアーについて書く。



モンキーズはテレビ番組の収録、楽曲のレコーディングの他に、しっかりとコンサートツアーも行っていた。
いくら当事者のミッキー・ドレンツが「モンキーズは架空のバンドについての
テレビ番組である」と言っても、コンサートツアーを行い実際に自分達で演奏していたのだから、客観的に見て架空のバンドとは言えない。
しかもかなり殺人的なスケジュールでこなしていた。



1966年12月〜1967年5月

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最初のツアーはデビューの年の1966年12月から1967年5月まで。
ファーストアルバムとセカンドアルバムを売りまくっていた時期にアメリカとカナダを回った。

1966年12月3日:ハワイ州ホノルル
1966年12月26日:コロラド州デンバー
1966年12月27日:テネシー州メンフィス
1966年12月28日:ケンタッキー州ルイビル
1966年12月29日:ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム
1966年12月30日:ペンシルベニア州ピッツバーグ
1966年12月31日:オハイオ州シンシナティ
1967年1月1日:テネシー州ナッシュビル
1967年1月2日:オクラホマ州タルサ
1967年1月14日:ミシガン州デトロイト
1967年1月15日:オハイオ州クリーブランド
1967年1月21日:アリゾナ州フェニックス
1967年1月22日:カリフォルニア州サンフランシスコ
1967年4月1日:カナダ マニトバ州ウィニペグ
1967年4月2日:カナダ オンタリオ州トロント
1967年5月6日:カンザス州ウィチタ


このツアーでのセットリストは以下。
ファーストアルバムとセカンドアルバムからの曲で構成され一部は当時未発表だった曲も含まれた。

Last Train to Clarksville
She's So Far Out She's In (Mike lead vocal)
You Just May Be the One
I Wanna Be Free
Mary, Mary
(I Prithee) Do Not Ask For Love
Sweet Young Thing
I Can't Get Her Off My Mind
(I'm Not Your) Steppin' Stone
East Virginia (or) Cripple Creek (Peter solo)
You Can't Judge a Book By the Cover (Mike solo)
The Joker (or) Gonna Build a Mountain (Davy solo)
I Got a Woman (Micky solo)
If I Could Shimmy Like My Sister Kate (Peter lead vocal)
Take a Giant Step
I'm a Believer


この時の様子は、1967年4月にモンキーズのテレビ番組で「The Monkees On Tour」というタイトルで放映された。
今の時代では信じられないオーディエンスの絶叫の中にかすかに聞こえる演奏という感じで、よくこんな環境で演奏できていたものだと思う。
特にピーターのバンジョーを聴いて欲しい。これで演奏出来ないという偏見はあり得ない。
また、Mary  Maryで演奏のエンディングの途中からドラムがミッキーからデイビーに変わってミッキーがフロントで熱唱するというエンターテイメントもある。


他のバンドと異なるユニークな点は、4人それぞれがソロで1曲歌うソロコーナーがあること。
そして、バンジョーの弾き語りをするピーターを除いた3人は、モンキーズとは別のバックバンド「キャンディ・ストア・プロフェッツ」が演奏してソロコーナーを支えた。
(おそらくこれが「モンキーズはライブで演奏してなくて裏でバックバンドが演奏していた」という変な湾曲情報になっている源のような気がする。)


このキャンディ・ストア・プロフェッツは、モンキーズのファーストアルバムでの楽曲提供に全面的に貢献したボイス&ハートのバンドだった。
メンバーは以下で、ファーストアルバムでもレコーディングに参加している。

・ビリー・ルイス : ドラム
・ラリー・テイラー: ベース(後にキャンド・ヒートのメンバーになる)
・ジェリー・マギー: ギター

4人のソロコーナーはテレビのキャラクターを一人一人推すという点で素晴らしい演出と思う。
また、ミッキーのソロでの熱唱パフォーマンスはフロントマン、リードボーカリストとして特筆すべき素晴らしいパフォーマンスだ。当時白人でここまでR&Bを黎明期のロックシーンにもって来ていたミュージシャンは非常に珍しかったのではと思う。


1967年6月〜8月

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最初のツアーの直後の1967年5月22日にサードアルバムHeadquartersをリリースし、休む間もなく翌月の6月からアメリカとイギリスのツアーを行っている。

6月9日:カリフォルニア州ロサンゼルス
6月30日:イギリス ロンドン
7月1日:イギリス ロンドン(2回公演)
7月2日:イギリス ロンドン(2回公演)
7月8日:フロリダ州ジャクソンビル
7月9日:フロリダ州マイアミビーチ
7月11日:ノースカロライナ州シャーロット
7月12日:ノースカロライナ州グリーンズボロ
7月14日:ニューヨーク州ニューヨーク
7月15日:ニューヨーク州ニューヨーク
7月16日:ニューヨーク州ニューヨーク
7月20日:ニューヨーク州バッファロー
7月21日:メリーランド州ボルチモア
7月22日:マサチューセッツ州ボストン
7月23日:ペンシルベニア州フィラデルフィア
7月27日:ニューヨーク州ロチェスター
7月28日:オハイオ州シンシナティ
7月30日:イリノイ州シカゴ
8月4日:ミネソタ州ミネアポリス
8月5日:ミズーリ州セントルイス
8月6日:アイオワ州デモイン
8月9日:テキサス州ダラス
8月10日:テキサス州ヒューストン
8月11日:ルイジアナ州シュリーブポート
8月12日:アラバマ州モビール
8月13日:ミシガン州デトロイト
8月17日:テネシー州メンフィス
8月18日:オクラホマ州タルサ
8月19日:オクラホマ州オクラホマシティ
8月20日:コロラド州デンバー
8月25日:ワシントン州シアトル
8月26日:オレゴン州ポートランド
8月27日:ワシントン州スポケーン


この1967年夏のツアーでのセットリストは以下。
Headquartersからの曲もセットリストに加わっている。

Last Train to Clarksville
You Just May Be the One
The Girl I Knew Somewhere
I Wanna Be Free
Sunny Girlfriend
Your Auntie Grizelda
Forget That Girl
Sweet Young Thing
Mary, Mary
Cripple Creek  (Peter solo)
You Can’t Judge a Book By the Cover  (Mike solo)
Gonna Build a Mountain  (Davy solo)
I Got a Woman  (Micky solo)
I’m a Believer
Randy Scouse Git
(I’m Not Your) Steppin’ Stone


この時の音源が20年後の1987年にリリースされたライブアルバム「Live 1967」で聞くことができる。
お世辞にも上手い演奏とは言えないが、当時PAも無い時代に1万人の女子の叫び声で自分の楽器やボーカルの音がほぼ聞こえない中でこれだけやり切っているのは4人の努力の賜物だろう。

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このツアーでも、4人のそれぞれのソロコーナーが設けられた。
バンジョーの弾き語りをするピーター以外の3人のバックバンドは、5月までのキャンディ・ストア・プロフェッツからザ・サンドウナーズというバンドにとって代わった。

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ザ・サンドウナーズは、ハリウッドのクラブでライブしているところをマイクが観てスカウトし、ツアーに同行させた。
メンバーは以下。

・ボビー・ディック : ベース
・エディ・ブリック : リードボーカル
・キム・キャプリ  : ドラム
・ドニー・デミエリ : ギター
・エディ・プラシディ: ギター


このザ・サンドウナーズはマイクが引っ張ってきたバンドではあるが、このツアー中にHard To Believeという佳作をデイビーとエディ・ブリック、キム・キャプリが共作し、4枚目のアルバムのレコーディングで演奏し収録することとなる。

もうひとつ、この1967年夏のツアーで書かなければならないことがある。

7月8日:フロリダ州ジャクソンビル
7月9日:フロリダ州マイアミビーチ
7月11日:ノースカロライナ州シャーロット
7月12日:ノースカロライナ州グリーンズボロ
7月14日:ニューヨーク州ニューヨーク
7月15日:ニューヨーク州ニューヨーク
7月16日:ニューヨーク州ニューヨーク

以上の7公演のオープニングアクト(前座)は、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスだった。
無名のジミを真っ先に評価し実際にショービズの表舞台に引っ張ってこようとしたのは、まさかのモンキーズであった。

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前回Part 12の最後に書いた通り、1967年6月にピーターはバッファロー・スプリングフィールドを紹介するためにモンタレー・ポップ・フェスティバルに来ていた。

この時、ミッキーも一緒に来ていて、ピーターと一緒にジミ・ヘンドリックスの演奏を観た。

ピーターの証言によると、ピーターよりミッキーがジミの革新的な演奏にビットが立っていて、結果として翌月の7月にイギリスツアーから帰国した直後のフロリダ州公演からモンキーズのツアーのオープニングアクトに起用されることになった。

ミッキーはインタビューでこう言っている。
「僕は彼をジミー・ジェームスという名でグリニッジビレッジで見てたんだ。その時彼は “歯でギターを引く男” と紹介されていた。で、モンタレーのステージにミッチとノエルと一緒に出てきた時に言ったんだよ。”ほら、あいつが例の歯でギターを弾くやつだよ” って。それから彼を僕らのオープニングアクトにブッキングしたんだ。」



しかしながら、ジミは3箇所7公演をもってオープニングアクトを辞めた。

モンキーズはモンタレーの前あたりから顕著に時代の大きなうねりとなっていたサイケデリック、アシッド、反戦、自由と平和、フラワームーブメントという空気に敏感に反応していたためジミの起用は必然的だったと思われるが、コンサートの客層は初期ビートルズのアイドル像を追い求めてモンキーズのファンになったローティーンであり、ミッキー!デイビー!と絶叫しているオーディエンスで埋め尽くされていた。

当然ながらジミがヘビーなファズノイズのギターをかき鳴らすと、早くミッキー、デイビーを出せと女子が悲鳴を上げる始末だった。

モンキーズは進化したかったが、マーケットはそれを許さないという、なんとも歯痒い歴史的狭間の立ち位置に陥っていたのがこのバンドの不幸な点であったと言えるだろう。



この後は、1968年までツアーは行われない。
まずは、ザ・サンドウナーズが4枚目のアルバムに関連するということでツアーについて書いてみた。



次回は、4枚目のアルバムのレコーディングで全面的に参加する凄腕ドラマー、エディ・ホーについて書いてみようと思う。
ただ、エディ・ホーについては本当に情報が少ないので、どこまで書けるか心配・・・(笑)


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