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The Monkeesを再評価する -Part 19:Head


この章は、映画とそのサントラという2つの側面があるので、ややごちゃ混ぜになるが両方について書きながら、評価としては音楽面に重きを置いてみたい。

1968年3月でテレビ番組が終了すると決まると、モンキーズはレコーディングとツアーという音楽活動を行いつつ、映像に関してはテレビでやれなければ映画にしようと思い立つ。

テレビからのアイドル的なパブリックイメージから脱却したいモンキーズは、モンキーズプロジェクトのプロデューサーであるボブ•ラフェルソンと映画のアイデアを考え始める。

そしてラフェルソンは、若い脚本家を連れてくる。
彼の名はジャック•ニコルソン。
そう、後に大名優となるジャック•ニコルソンである。
(ラフェルソンとニコルソンのコンビは、このHeadの後にアメリカンニューシネマの金字塔「イージー•ライダー」を作ることになる。)


モンキーズの4人は、ラフェルソン、ニコルソンと一緒にカリフォルニア州オーハイのリゾートホテルに籠り、マリファナやLSDをやってハイになりながら、テープレコーダーを回してどんどんと好き勝手なアイデアをブレストしていく。
このテープを聴きながら、ニコルソンは脚本を構築していった。

内容的にはハチャメチャでストーリーらしきストーリーは一切無い。
最終的には幾つもの不条理なシーンをツギハギしたコラージュ的な構成になった。

そこには、モンキーズ4人がテレビでの役柄を演じるキャラクターではない素の姿に近いものが反映され、そして4人が過去のパブリックイメージを自ら破壊するようなメッセージが自然と表現されるようになった。

また、ベトナム戦争への反戦運動が社会現象化していた時代背景から、一部戦争に関わるシーンが目立つ。


と、ここまでは良かった。


4人は自分達で好き勝手に作れるプロジェクトと理解していたし、ミッキーはテレビシリーズで監督をやった実績もあったので、この映画も自分達で監督が出来ると思っていて、脚本のクレジットも貰えると思っていたらしい。

しかしこれらはスタジオ側から許可されなかった。
これに対して、ピーターを除く3人は撮影をボイコットしストライキを決行。

結局スタジオ側が結構折れて、取り分のシェアを増やすことに同意してストライキは1日で終了した。但し、このことがモンキーズとラフェルソンとの間に溝を作ることになり、映画の完成後はモンキーズはラフェルソン及びバート•シュナイダーとの関係を切ることに繋がった。


撮影はテレビ番組の放送が終了する約1ヶ月前の1968年2月19日に開始、5月17日までロサンゼルスのスクリーンジェムズのスタジオ、バーバンクのコロンビアランチ、その他以下のロケーションで撮影された。

  • リボンカットのシーン:カリフォルニア州ロングビーチのジェラルドデスモンドブリッジ

  • 工場:カリフォルニア州プラヤデルレイのHyperion Sewage Treatment Plant

  • 砂漠:カリフォルニア州パームスプリングス

  • コンサート:ユタ州ソルトレイクシティのバレーミュージックホール

  • ミッキーの水中シーン:バハマ


映画は1968年8月にロサンゼルスで試写。
観客の反応が悪かったため、最終的に元の110分から86分に編集することを余儀なくされ、1968年11月6日にニューヨーク市で初上映され、11月20日にハリウッドで上映された。しかしながら商業的には大スベリしてしまう。

ストーリーも無い、ジャンルもバラバラなショートスキットが並ぶ難解でトリッピーな構成、などがこれまでのローティーン層に全く受け入れられない。
かといって、ではヒッピーなどのカウンターカルチャー層はこれまでのローティーン向けの先入観からモンキーズの変化を目撃すること自体を拒否してしまう。
宣伝も不十分な上にウォーホルをパロディしたCMなど難解極まり、更には公開も遅れ、完全にマーケティング的な失敗と時代に翻弄された形で、映画は大失敗してしまう。


モンキーズは完全に過去の消費財と化してしまい、アルバムもビルボード最高45位、シングル「Porpoise Song」もビルボード62位という、これまでのセールスからすると信じられない散々な結果に終わった。


しかしながら、現在Headはカルト的に大きな評価を得ている。
時代背景とモンキーズの当時の状況理解した上でこの映画を見直すと、かなり面白い映画になっていることがわかる。


ちなみにこの時期、1968年7月12日にミッキーがサマンサ•ジャストと結婚している。
イギリスBBCのTop Of The Popsのディスクガールで、ミッキーの「Randy Scouse Git」に出てくる女性である。(1975年に離婚。)


映画には当然ながらモンキーズの音楽が使われている。
ここからは音楽面について語っていく。

映画と同様に音楽面でもモンキーズはこれまでのイメージを自ら壊すような方向になっている。
結果的に、バブルガムなポップロックから更に脱却して、曲によってはかなりパンキッシュだったりアシッドだったりしている。
サントラアルバムなので収録曲数は少ないが、モンキーズの音楽性を最高に堪能できる佳曲が並ぶ。


ちなみに収録曲数は6曲。
アルバムとしては、他は映画からのセリフをコラージュさせたものをモンキーズの曲の間に挟んで、更にケン•ソーン(ビートルズのHELP!の音楽監督)のオーケストラ曲を加えて1枚のLP分の長さにしている。


この6曲の1つずつの解説は後述するが、ポイントはローレル・キャニオンにある。

ひとつはピーターの才能が発揮された2曲、この内1曲はピーター家居候人であるスティーヴン・スティルスと素晴らしいレコーディングを残している点。


もうひとつはキャロル・キングの西海岸シーン参入によるスタジオの変化である。

この時代のロサンゼルスの音楽シーン、とりわけローレル•キャニオンに関わる部分とこの後の70年代の流れに関して重要な登場人物が集まっている。その意味で歴史上非常に価値のあるアルバムと言って良いだろう。


1967年〜1968年初め、ニューヨークのブリルビルディングの職業作曲家だったキャロル•キングが、ニュージャージーでの退屈な郊外生活(「Pleasant Valley Sunday」の題材となった)に飽きた後に、作詞パートナーで夫のジェリー•ゴフィンと離婚し、2人の娘と共にロサンゼルスのローレル•キャニオンに引っ越してくる。

これが彼女の金字塔アルバム『Tapestry 』(つづれおり)の前章となる。


キャロル自身の言葉を以下に訳す。

「そもそもローレル•キャニオンを選んだのは、スクリーンジェムズのオフィスが近かったからなんだけど、でもキャニオンに住んでた全てのバンド達とソングライター達と一緒に、そこで起きているミュージックシーンの一員になるということにも利点があった。あと、近所の俳優、ミュージシャン、ソングライター達は私の娘達と同じくらいの歳の子を持つ家庭持ちだったし。


キャロルはここでThe Cityという3ピースのバンドを作る。
メンバーはその後再婚相手になるチャールズ•ラーキーと所謂70年代ウエストコーストサウンドの重要人物となるダニー•コーチマー。
モンキーズの仕事がキャロルをローレル•キャニオンという狭い地域でのローカルムーブメントに引き込み、これが70年代ウエストコーストサウンドの下地の一部となっていく。


キャロルが『Head』で果たす役割はまだある。

キャロルは2曲提供。
ひとつはシングルカットもされたこの映画のテーマ曲である「Porpoise Song」。
もうひとつは「As We Go Along」で、ここにローレル•キャニオンの住人でこの後70年代のウエストコーストのミュージックシーンを担うミュージシャン達が集まっている。正にローレル•キャニオンが作ったトラックと言って良いだろう。

アルバムのプロデューサーはモンキーズ名義。
「Porpoise Song」のみ、この曲の作詞でもあるジェリー•ゴフィンになっている。


* * * * *

『Head』の収録曲と自分なりの解説を以下に記す。
各曲に関するトピックスや歴史的意義についても付記する。

レコーディングは1967年12月9日から1968年8月1日まで行われた。
『The Birds, The Bees & The Monkees』とのレコーディング時期とも一部被っている。


A-1 Opening Ceremony

  • 語り


A-2 Porpoise Song (Theme from Head)

  • 作詞作曲:ジェリー・ゴフィン&キャロル•キング

  • ボーカル:ミッキー・ドレンツ

  • コーラス:デイビー・ジョーンズ、他不明

  • ギター:ケン•・ブルーム、ダニー・コーチマー

  • ベース:ダグ・ルバーン

  • ドラム:マイケル・ネイ、ジョン・レインズ

  • パーカッション:マイケル・ネイ、ジョン・レインズ

  • シンバル:ラス・ティテルマン

  • キーボード:レオン・ラッセル、ラルフ・シュケット

  • ブラス、ストリング他:(省略)

  • プロデュース:ジェリー・ゴフィン

映画のテーマ曲となっている。
「イルカの歌」というタイトル通り、イルカの鳴き声が効果音で使われている。
映画の中ではイルカというか、人魚が登場する。

キャロル・キングの曲で、前述したダニー・コーチマーが参加している。
ジェリー・ゴフィンとキャロルの関係は離婚後も友人でまた仕事のパートナーでもあり、ジェリーがキャロル以外の共作相手にしてるラス・ティテルマンがシンバル(!)で参加している。
キーボードにはレオン・ラッセルまでいる。

この曲だけジェリーのプロデュース。
チェロなどのオーケストラもとても効果的に使われていて、このアルバムのベストトラックと言っても良いと思う。

曲に使われているコードは比較的シンプルだが、ブリッジとサビでキーが自然と変わる。というかサビのキーがしっかり決まらない。
この辺は完全にブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の『Pet Sounds』辺りからの影響がかなり大きいのでは推察する。
このキーが自然変わる形態はキャロル自身「Pleasant ValleySunday」でやっているが、ここではトリッピーな浮遊感をコード進行の不思議な展開によって表現している。

不思議な縁というか、後にブライアン・ウィルソンがソロになってバックバンドとして従えるワンダーミンツが、ブライアンに付く前にこの曲をカバーしている。
やはり通じるところがあるのか…


A-3 Ditty Diego — War Chant

  • 語り


A-4 Circle Sky

  • 作詞作曲:マイク・ネスミス

  • ボーカル:マイク・ネスミス

  • ギター:マイク・ネスミス、キース・アリソン、ビル・チャドウィック

  • ドラム:エディ・ホー

  • オルガン:マイク・ネスミス

  • パーカッション:マイク・ネスミス、エディ・ホー

マイク作の… 1980年代ならカウパンクというジャンルで呼ばれたであろう曲。
(カウパンクというのはカントリーとパンクのフュージョンで、Lone Justice などが代表的。)

映画のコンサートのシーンでこの曲を4人が演奏している。
アルバムに収録されているのはこの通りマイクとお馴染みのスタジオミュージシャンなのだが、これはこれで良いのだけどどうにも仕上がりが綺麗過ぎる。

映画では実際に4人が1968年5月17日にユタ州ソルトレイクシティで生演奏したものが使われていて、この演奏がとても良い。
モンキーズの当時のライブは綺麗な音で録られたものがほぼ皆無で、そもそもPAも無い時代に女の子の悲鳴の方が演奏の音より大きい環境のせいでかなり酷い演奏に思われがちなのだが、1968年5月17日に綺麗に録られたこのライブ演奏は、とても良いパンキッシュな演奏をしている。
特にミッキーの自由なドラミングとピーターのしっかりしたウォーキングベースが秀逸。

是非映画版を聴いて欲しいと思う。

ちなみにマイクのボーカル曲はこの曲のみ。

A-5 Supplicio

  • 語り


A-6 Can You Dig It?

  • 作詞作曲:ピーター・トーク

  • ボーカル:ミッキー・ドレンツ

  • コーラス:ピーター・トーク

  • ギター:ピーター・トーク、ランス・ウェイクリー

  • ベース:ランス・ウェイクリー

  • 他:エディ・ホー等数名分かるも他は不明

ほぼピーターとピーターのグリニッジビレッジ時代の友人であるランス・ウェイクリーとでレコーディングされたもの。
ボーカルがピーターが歌ったバージョンもあるのだが、最終的にはミッキーに託している。

インドやアラブのテイストが全開になっている曲で、サージェントペパーズのようなサイケデリックとは全く違うアメリカらしいアシッドテイストの表現になっている。

『Headquarters』の時に既にあったこの曲の歌無しデモ音源ではピーターがアコースティックギターでなかなか高技術なプレイをしていて それだけでも驚愕なのだが、最終的なこのレコーディングは2人だけで素晴らしいトラックに仕上げている。


A-7 Gravy

  • 語り



B-1 Superstitious

  • 語り


B-2 As We Go Along

  • 作詞作曲:キャロル・キング、トニ・スターン

  • ボーカル:ミッキー・ドレンツ

  • ギター:ケン・ブルーム、ライ・クーダー、キャロル・キング、ダニー・コーチマー、トニー・マッカシェン、ニール・ヤング

  • ベース:ハーヴェイ・ニューマーク

  • ドラム:アール・パーマー

  • パーカッション:デニー・ブルース、ジョン・レインズ

  • オルガン、フルート:不明

このアルバムでの最重要トラック。

まず、作曲はキャロル•キングで、作詞はトニ・スターン。
トニ・スターンは、この後キャロルのロック殿堂入りまでをも決定付ける大名盤「Tapestry 」(つづれおり)に収録されている名曲「It’s Too Late」を作詞することになる女性作詞家。
トニは、当時キャロルの職業作家としてのニューヨークの所属会社のロサンゼルス支社長だったレスター・シルから紹介された。
トニはキャロルがロサンゼルスに移ってから何かと助けていたらしい。

そもそもトニはデイビーのハリウッドの家を借りていた時期があり、そしてボブ・ラフェルソンと共にモンキーズのプロデューサーであったバート・シュナイダーの彼女だった。
トニは後(1974年)にはサンタバーバラに引っ越し、デイビーのサンタバーバラの家の隣に家を買って住んだ。
もうめちゃくちゃモンキーズに関係あるのがトニで、そのモンキーズに曲提供する仕事をしてきたのがキャロルだった。繋がりまくりである。
そしてキャロルはトニの詩を読むと自然とメロディが生まれてくると評すほどトニを気に入ったのであった。

ということで、あの『Tapestry 』の伏線がここにある。

この歴史的レコーディングは、ハリウッドの2つのスタジオで1968年5月30日、7月29日、8月1日に分けて行われている。
プロデュースはモンキーズ名義になっているが、実質スタジオではこの曲はキャロルキングがプロデュースしていた

そして、クレジットを見て欲しいのだが、ダニー・コーチマーに加えて、ライ・クーダーとニール・ヤングである。
ニール・ヤングはピーターの家に居候していた旧友スティーヴン・スティルスとバッファロー・スプリングフィールドを組んでいたわけでモンキーズへのパスがあったかもしれないが、ライ・クーダーは驚きである。後の70年代バーバンク・サウンドを担うスライドギターの名手。ここではスライドは弾いていないが、おそらくは揺らぎを持たせた印象的なリードギターはライのものではないかと推察する。

キャロルがプロデュースするセッションでダニー、ライ、ニールが一緒にプレイしている。これを70年代ウエストコーストサウンドの始まりのセッションと言っても過言ではないだろう。CSNYから語るより説得力ある気がする。歴史的なセッションである。

5月30日は、前述のベース、ドラム、パーカッションと、ダニー・コーチマー、ライ・クーダー、ニール・ヤング、キャロルがギターを収録。
(ミッキーはこの時イギリスにいた。)
7月29日はミッキーのボーカルとトラックダウン。
8月1日は更にダニー・コーチマー、ケン・ブルーム、トニー・マッカシェンがギターを入れた。(ジョン・レインズのパーカッションもここで入れたのかもしれないと言われている。)但し、この日の追加ギターは結局最終的なプロダクションでは聴こえていないらしい。

曲はアコースティックな雰囲気でいっぱいなのだが、なんとブリッジが5/4拍子!
これにミッキーが見事なボーカルを載せているわけだが、さすがに苦労したとミッキー本人が言っている。大抵は大した練習もせずに録音が終わるのだが、この曲はなかなか掴めず手こずったらしい。ただ、今ではミッキーお気に入りの曲のひとつとのこと。

シングル「Porpoise Song」のB面としてもリリースされた。


B-3 Dandruff?

  • 語り


B-4 Daddy's Song

  • 作詞作曲:ハリー・ニルソン

  • ボーカル:デイビー・ジョーンズ

  • ギター:マイク・ネスミス

  • アコースティックギター:マイク・ネスミス

  • ベース:リック・デイ

  • ドラム:エディ・ホー

  • ピアノ:エレノア・スラトキン

  • ブラス他:(省略)

唯一のデイビーのボーカル曲。
ハリー・ニルソン提供のボードビルタイプの曲で、デイビーにピッタリである。
水を得た魚のように歌いこなし、映画でも素晴らしいダンスを披露している。
ブラスのアレンジまた秀逸。

歌詞の内容は少し難解なのでが、父が子の身体的心理的痛みを和らげる話…と思いきやその男は父ではなくて、痛みを和らげる男もいればただのゲームだと去ってしまう男もいたりで、そして自分が子を持った時には悲しい思いはさせまい、という感じ。
歌詞の内容が全くバブルガムではない。
映画の中で軽快に踊って歌うのだが、内容が結構大人で深刻。
あと、映画では黒衣装+白背景と白衣装+黒背景が綺麗に繋がって何度も入れ替わる。これだけ観ていてもトリップしそうになる。この時代でこれやるのは相当狂っているのでは。


B-5 Poll

  • 語り(冒頭のセリフはフランク•ザッパ。牛を引いて登場する。)



B-6 Long Title: Do I Have to Do This All Over Again?

  • 作詞作曲:ピーター・トーク

  • ボーカル:ピーター・トーク

  • コーラス:デイビー・ジョーンズ、ピーター・トーク

  • ギター:ピーター・トーク、スティーヴン・スティルス、ランス・ウェイクリー

  • ベース:ランス・ウェイクリー

  • ドラム:ドゥウェイ・マーティン

  • タンバリン:不明

ピーターがボーカルを取ったレア曲にしてこのアルバム最高と言っても良いかもしれないトラック。

「Can You Dig It?」と同様にピーターとランス・ウェイクリーが基本的にレコーディングした作品だが、リードギターにピーターの旧友スティーヴン・スティルスが遂に登場!
このギターが実に素晴らしい。
ランスの唸るベースも曲に厚みとドライブ感を演出している。かなりカッコいい。
ピーターのボーカルは基本的に弱いのでなかなかリードに採用されてこなかったのだが、この曲にはとてもよく合っている。彼のヒッピーらしい本来のキャラクターがよく表れている。

かなりヒップなロックンロールで、トリップ感満載である。
映画でもダンスパーティーのシーンで使われ、かなりトリッピーな演出がされている。

1968年1月から2月にかけて、何日もセッションが重ねられた。
元々は『The Birds, The Bees & The Monkees』に収録予定だった。


B-7 Swami - Plus Strings, Etc.

  • 語り、及びケン•ソーンによるエンディング曲(インスト)。



続く。

次回は、オーストラリアと日本のツアーについて触れてみたいと思う。


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