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The Monkeesを再評価する - Part 3:制作開始

1965年10月。オーディションが終わってみると、結果的には俳優2人とミュージシャン2人という内訳のキャスティングとなった。
もう少し正確に言うと、2人はミュージシャンというより俳優、もう2人は俳優というよりミュージシャン、という人選。つまり全員歌えて演じられるスキルがあった。

4人を選んだ時点で肝心のバンド名が決まっていなかった。幾つか候補が上がったが最終的にシュナイダーがThe Beatlesがbeetleのスペル違いをバンド名にしていることを引用して、monkeyのスペルを変えてThe Monkeesとする提案をし決まった。


アメリカではドラマやコメディの番組はパイロットというお試し版を制作する。
これを制作会社のエグゼクティブ等に見せて(当時は映画館などで試しに流して一般視聴者の反応を見ることもあった)、その評判の良し悪しによってシーズン化するかどうかが決まる。
モンキーズの30分コメディ番組もその承認プロセスに漏れず、1965年11月に番組のパイロット版の制作がスタートした。かなりの低予算で、モンキーズの4人の衣装は自前の物だったらしい。


内容はカリフォルニアのビーチ沿いに4人のバンドマンが同居し若い女の子と恋をするというシチュエーションでありながらも、かなりナンセンスなドタバタコメディ。
オーディエンスとエグゼクティブに観せたこのパイロットの評判は、あまり良くなかった。
オーディエンスはこれは何を見させられているのか?という反応で、何よりまずいことにスクリーン・ジェムスのエグゼクティブ達が全く笑っていなかった。

シーズン化の承認は得られなかった。

この時のパイロット版はこれ。 https://youtu.be/15BKMhMzGJc



スクリーン・ジェムスはボブ・ラフェルソンとバート・シュナイダーに72時間の猶予を条件として承認のための再チャンス与えた。
2人はパイロット版を再編集し、更に4人が何者でどんな個性の持ち主なのかを分かりやすく植え付けるために4人の内マイク・ネスミスとデイビー・ジョーンズのオーディション時の映像を冒頭に挿入した。

作戦は成功し、遂に番組のシーズン化が承認された。

この時の再編集パイロット版はこれ。 https://youtu.be/09Ld86pOwng


1966年1月、NBC(アメリカの3大ネットワーク局のひとつ)はスクリーン・ジェムスにその年の秋シーズン用に1話30分X全26話のコメディ番組の制作を発注した。(最終的には1stシーズンはパイロットの再々編集版を含む全32話になる。)



このnoteの本題である音楽面について話を移す。

オーディションによるキャスティングがまだ終わらない内に、スクリーン・ジェムス社のニューヨークの音楽責任者(スーパーバイザー)であるドン・カーシュナーがモンキーズの楽曲の確保の為にこのプロジェクトに採用された。

カーシュナーは、自身が管轄し当時ヒット曲を量産していたニューヨークのブリルビルディングの職業作家達にモンキーズ用の楽曲の提供を求めた。

当初作家達は興味を示さなかったが、カーシュナーはこの中からトミー・ボイス&ボビー・ハート(ボイス&ハート)という男性デュオ作家にこのプロジェクトを割り当てた。

ボイス&ハートはパイロット用に「モンキーズのテーマ」を含む4曲を録音している。(パイロット版ではボイス&ハートのボーカルによる音源にモンキーズの4人が口パクで合わせた。) ボイス&ハートとしては、パイロットが上手くいけば本編のサントラ兼ファーストアルバムのプロデューサーになれるかもしれないという目論見があった。


1966年年5月、番組の撮影がハリウッドのスクリーン・ジェムス・コロンビア・スタジオでスタートすると、ドン・カーシュナーの楽曲制作もこれに合わせて加速した。
モンキーズの楽曲管理のために、スクリーン・ジェムス(コロンビア)とRCAビクターは、コルジェムス・レコードという合弁会社を設立した。


楽曲の演奏はドン・カーシュナーが雇ったスタジオミュージシャンによって録音が進められていた。そしてモンキーズの4人は、録音されたトラックに歌を載せることだけを許可されたのであった。

作詞作曲はパイロットに引き続きボイス&ハートがビートルズ的なバンドサウンド志向で多くの楽曲を受け持ち、ドン・カーシュナーと交渉して最終的に念願のプロデューサーに任命された。

演奏は当時のハリウッドで大量のヒット曲のスタジオ録音を請け負っていたセッションミュージシャン達、通称レッキング・クルーの面々が中心。フランク・シナトラからバーズまで何でも演奏が出来た。電話一本で呼び出され、スタジオで楽譜が配られ、録音して帰る。そんな方法ですぐ録音が出来た時代であった。


番組のサントラとなるファーストアルバムの録音に参加した演奏家の内、レッキング・クルーとして認知されているメンバーを列記する。ちなみに全員が全曲演奏しているのではなく、曲によってメンバーは異なる。

・ルイ・シェルトン(ギター)
・ジェームズ・バートン(ギター)
・グレン・キャンベル(ギター)
・アル・キャシー(ギター)
・マイク・ディーシー(ギター)
・ビル・ピットマン(ベース)
・ハル・ブレイン(ドラム)
・ジム・ゴードン(ドラム)
・ラリー・ネクテル(ピアノ)



Part 1で記した通り、このプロダクションは当時のアメリカ音楽産業、特にハリウッドにおいては常識的であった。しかしモンキーズの4人の内俳優ではないミュージシャンであるマイク・ネスミスとピーター・トークはこの制作方法に驚き、そして反発した。

この時、ピーターは最初のセッションがあると聞かされギターを持参してスタジオに入ったところ録音されたトラックを聴かされ「これがトラックだから」と言われて、初めて状況を知った。
「いやいや、今ここでメロディックないいやつを弾くから聴いてよ」と言っても、
「要らない、これがトラックだから」と言われる始末だった。
用意されたトラックの内いくつかは4人がキャスティングされる前に既にパイロット用に録音されていたものもあった。


ピーターはグリニッチビレッジでスティーブン・スティルスと連んでいたミュージシャンである。オルガンでバッハを弾き、バンジョーでブルーグラスを弾き、アコースティックギターでフォークを弾き、編曲も出来るハイレベルなミュージシャンである。

マイク・ネスミスも既に数曲のレコーディングとリリースを経験しているシンガーソングライターであり、ビートルズ同様に自作曲を録音出来ると思っていた。
従って、この状況がピーターとマイクにとってどういう仕打ちであったか決して想像に難しくはない。


つまりモンキーズというプロジェクトは、自作自演で自己主張するバンド形態と既存のハリウッド型生産形態との端境であることに歴史的な意味がある。これからモンキーズに起こる音楽面での苦難は、そのままアメリカ音楽産業の時代的な変貌の縮図を意味する。


これに反発したマイク・ネスミスはラフェルソン、シュナイダー、ドン・カーシュナーに対して、自分の曲を録音させろと主張。
そもそもはラフェルソンがマイクに対して「そのうちちゃんと自作曲を録音させてあげるから心配するな」となだめていた事にも起因していた。
最終的にカーシュナーは、マイクが自分が制作するトラックで演奏しないことを条件にセッションを許可した。


6月25日、レッキングクルーの演奏によるオケにデイビー、ミッキー、マイクが3曲ほど歌入れをするセッションと並行して、マイクはレッキングクルーを使って3曲(自作1曲、共作1曲、キング&ゴフィン作1曲)のレコーディングを行った。

このマイク の3曲は結局ファーストアルバムには採用されなかったが、この内「The Kind of Girl I Could Love」はセカンドアルバムで採用された。
他の2曲(「All the King's Horses」 「I Don't Think You Know Me)はアルバム未収録となった。


マイクは確かにスタジオ側の条件を守った。
自分の曲の録音で自分は演奏しなかった。
しかし痛快にも、7月になってマイクは新たな4曲でピーター・トークをギターに採用した。
このこの内2曲(「パパ・ジーンズ・ブルース」 「スウィート・ヤング・シング」)はファーストアルバムに採用された。

ちなみに選考から漏れた2曲の内1曲(「You Just May Be The One」)はサードアルバム用に再録音され、もう1曲(キング&ゴフィン作「I Won't Be the Same Without Her」)はボツになった。


尚、ファーストアルバムに採用されたこの2曲は商業的に成功した初めてのカントリーロックだったという見方がある。カントリーロックの発明という見方すらある。

この2曲はそれぞれ1966年7月7日と7月18日という違う日に録音されているが、メンバーはほぼ同じで、ギターはピーターに加えて他のトラックでも弾いたルイ・シェルトン、そしてジェームズ・バートン、グレン・キャンベルなどのカントリー系の大御所スタジオミュージシャンが起用されている。

これら百戦錬磨のレッキング・クルーの面々を新人のマイク・ネスミスが束ねてセッションのプロデュースをして生み出したこの2曲のカントリーロックの録音は、この後に脈々と受け継がれて最終形として70年代にイーグルスとして完成されるカントリーロックの出発点となる重要な出来事と言える。

Papa Gene’s Blues https://youtu.be/U23bKuvkE8Q

Sweet Young Thing https://youtu.be/nYBqtLgUyI0


マイク作詞作曲の2曲(内「スウィート・ヤング・シング」はキャロル・キング&ゲリー・ゴフィンとの共作名義)を除いてはレッキング・クルーの演奏に4人が適宜ボーカルを追加録音することで仕上げられていった。

こうして忙しい番組の撮影の合間に慌ただしく録音は進められ、1966年7月5日から7月25日まで行われたセッションの中から選ばれた12曲がファーストアルバムに採用された。


続く。

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