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The Monkeesを再評価する - Part 16:シングル Daydream Believer / Goin’ Down

4枚目のアルバム『Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd.』の1967年のレコーディングセッションにおいて、レコーディングされたがこのアルバムに収録されずにシングルとして発売された曲がある。
今回のタイトルにある「Daydream Believer」(A面)と「Goin’Down」(B面)である。

このアルバムからのシングルである「Pleasant Valley Sunday / Words」の次のシングルとして発売され、A面「Daydream Believer」は1967年12月2日にビルボードで1位になると、4週に渡って1位を独走した。
今や色々な人にカバーもされ、日本でもお馴染みの曲になっている。


元々はこのアルバムの収録曲であるマイク・ネスミスのリードボーカル曲「Love Is Only Sleeping」をシングルにする予定で、「Daydream Believer」はこのB面にする予定だった。
しかし、リリースの1週間前になって「Love Is Only Sleeping」のヨーロッパ向けシングルのマスターが出来上がっていないことが発覚。急遽、マスターが出来上がっていた「Daydream Believer」をB面からA面に昇格、B面にはレコーディングしてあったがアルバム収録から外していた「Goin‘ Down」で穴埋めすることで凌いだ。
また、コルジェムズ・レコードがマイクのリードボーカルが好きではなかったという話もあるらしい。(結局マイクのリードボーカルによるシングルは1969年の「Listen To The Band」までお預けとなる。)


◆Daydream Believer


作詞作曲はジョン・ステュワート
元々ステュワートは suburbia trilogy(郊外生活三部作)という3曲を書いていて
「Daydream Believer」はこの中の1曲だった。(ちなみに他の2曲は「Do You Have a Place I Can Hide」と「The Ballad of Charlie Fletcher」という。)


当時のステュワートのインタビューを要訳してみる。

「ある夜ベッドに行って思ったんだ。なんて無駄な日だったんだ、まるで全て白昼夢だったな、と。そこから曲全部を書いた。でも決して最高の曲だとは思っていなかったんだよね。全く。」

「僕はADD(注意欠陥障害)で、この曲はほぼスクラップにしてたんだ。(サビの)To a〜の部分がクレイジーに思えてね。トゥアって何だよ!と。ダメだこりゃと。」

「ある時、(Hoyt Axtonの家で)パーティーがあって、そこでチップ・ダグラス(この時のモンキーズのプロデューサー)に会った。そこでチップがモンキーズに当てる曲を持ってないか?と聞くので、あるよと答えた。僕は「Daydream Believer」を弾いて聴かせた。そしたら彼はすぐにカセットに入れてくれと言うので、家に戻ってカセットに入れて、彼がいる街まで車で持って行ったんだよ。3日後に彼が電話してきて、モンキーズが使いたいと言ってる、但し歌詞を一部、funkyをhappyに変えたいがいいか?と。Happyって歌わせてくれないと曲は使わないと言ってると。そりゃもう、happyで全然合ってるじゃん!って答えたよ。笑」


Funkyは元々は「臭い」とかの意味で、反語的にこれが「イカす」みたいな意味になったものなので、ローティーン女子とその家族が観るゴールデンタイムのテレビ番組用の曲としてはfunkyはフィットしないと製作側は思ったのかもしれない。
(結果的に、funkyよりhappyの方が語呂的にも良かったと個人的には思う。)


パーソネルは以下の通り。

* デイビー・ジョーンズ: リードボーカル、バッキングボーカル
* ミッキー・ドレンツ: コーラス
* マイク・ネスミス: ギター
* ピーター・トーク: ピアノ
* チップ・ダグラス: ベース、パーカッション、プロデュース
* エディ・ホー: ドラム
* 他(省略): バイオリン(4)、トランペット(1)、ピッコロトランペット(1)、トロンボーン(1)、バストロンボーン(1)、ベル(1)
* ショーティ・ロジャース: オーケストラ編曲


アルバム同様、マイク+ピーター+チップ+エディという4人編成のバンドにリードボーカルが乗るスタイル。


ピアノのアレンジはほぼピーターと思われる。こういうアップダウンの跳ねるフレーズを好んで弾くのもピーターの特徴のひとつ。
元々のステュワートのアコースティックギターのバッキングフレーズを元にピアノのイントロを組んだのだろうと思う。シンプルだがとても印象的なイントロで、また和音の響きもかなり意識されていると思う。


これをジャズトランペッターでコンポーザーのショーティ・ロジャースの管弦楽器のアレンジが効果的にサポートする。特に、サビのhomecoming queen の後のトランペットのフィルや、エンディングの前にサビをリピートする直前の4小節の弦と管の掛け合いなど、絶品なポップスセンスが光る。

ショーティ・ロジャースはモンキーズが使っていたスタジオであるRCAビクターのジャズトランペッター、コンポーザー、アレンジャーだった。モンキーズとは当記事の2曲(1967年6月〜)と4枚目『Pisces〜』収録の「She Hangs Out」(1967年7月〜)のホーンアレンジから絡むようになり、実のところ、この後の5枚目のアルバムでは12曲中6曲のアレンジャーとして貢献するようになる。
また、この後にマイクがレッキングクルーを集めて2日間のセッションで作るインストの実験的ソロアルバム『The Wichita Train Whistle Sings』でもマイクはショーティをアレンジャーとして起用する。


この後の5枚目用のレコーディングではチップ・ダグラスがプロデューサーに起用されなくなってしまうのだが、これにはショーティがアレンジのサポートをしてくれるようになったということも大きく影響してしまう。

そういう意味では、この「Daydream Believer」と次項の「Goin’Down」はチップとショーティが一緒に仕事をしているという、4枚目と5枚目の橋渡しをしているような感慨深い立ち位置のレコードであるとも言える。


さて、この素晴らしいトラックにデイビー・ジョーンズの艶のある最高のボーカルパフォーマンスが乗るのだが、実のところデイビーはこの歌入れがあまりお気にめしていなかったらしい。
そもそも歌詞の意味が謎すぎてよく分からない。(確かに。笑)
ともあれ、不貞腐れながらも歌入れもなされて、1967年6月14日と1967年8月9日の2日を使って無事全てのトラックのレコーディングが終わった。


完成したトラックは、モンキーズの最高傑作と言って良いクオリティに仕上がった。
ここまでの完成度のせいか、スタジオミュージシャンがプロダクションしたものをただ操り人形のように歌入れしただけだと誤解されることに更に拍車を欠けてしまっているのかもしれないが、この水準までを自力で作り上げたという事実ことがモンキーズを再評価すべき点だと考える。


レコードでは、前奏が始まる前にちょっとしたダイアログが挿入されている。
メンバーのレコーディング風景の様子(本物?演技?)が垣間見れるもので、ファンサービスかな。モンキーズらしいユーモアとも言える。
ちなみに以下のように話している。(諸説あるが以下が一番近しいらしい。)

Chip Douglas: 7A...
Davy Jones: What number is this, Chip?
Chip Douglas (and another unspecified voice): SEVEN - A!
Davy Jones: Okay, I don't mean to get you excited, man. It's 'cause I'm short, I know...

チップ:7A
デイビー:チップこれ何番?
チップ+他の人達:7A!
デイビー:わかったよ、そんなエキサイトさせたいわけじゃない。僕がチビだからだろ。わかってるよ。


訳すの難しいな。。。笑
「チビだからってデカい声出すなよ」的な感じで捉えてください。

7というのは7番目にレコーディングした、おそらくはバッキングトラックで、これを使って追加トラックを入れたりするとバージョンが7Aとか7Bとかの名前になっていく。
ということで7番目のレコーディングトラックのA番目の追加トラックとしてリードボーカルを入れるところなのだろうな、と想像できる。
(実際はどうだったのかは、このnoteを書いている時点では未確認。また、7Aの後に更にトラックを追加して行ったのかどうかも未確認。)


この曲はシングルで大ヒット、そしてモンキーズの商業的なピークでもあった。
モンキーズの60年代のキャリア上、最後のビルボードNo. 1ヒットの曲となった。


ちなみにジョン・ステュワート版はこちら。


そしてちなみに、日本では当初タイトルが「デイドリーム」だった。
ビリーバーが付くだけで60年代のローティーンにはタイトルが長く感じたのだろうか。或いは「アイム・ア・ビリーバー」と区別したかったのか。

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そしてそしてちなみに、日本では1980年に突如コダック(今は亡き、カメラと映画のフィルムを製造して世界を席巻していたアメリカのメーカー)のCMに「Daydream Believer」が使われたことで、忘れ去られていたモンキーズが突如リバイバルヒットし、モンキーズのテレビ番組が再放送されたり、マイク以外の消息不明に近かったメンバーを来日させたり、ほぼ歴史から抹消されていた映画『HEAD!』が渋谷で公開されたりと、時代後追いでローティーンがモンキーズに熱狂するという、この1曲からとんでもない社会現象に発展したのであった。
ちなみに筆者はこの社会現象の見事なまでの犠牲者であり、今に至る。(笑)

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◆Goin‘ Down

元々はアルバムに入れる予定だったが、「Love Is Only Sleeping」をアルバムに入れることになり、アルバムからこの曲は外されていた。前述の騒動があって、シングルB面でリリースされることになった。


最初にパーソネルを出しておく。

* ミッキー・ドレンツ: リードボーカル
* マイク・ネスミス: ギター
* ピーター・トーク: ベース
* デイビー・ジョーンズ: パーカッション
* エディ・ホー: ドラム
* 他(省略): トランペット(4)、トロンボーン(4)、サックス(4)
* ショーティ・ロジャース: ホーンセクション編曲
* チップ・ダグラス: プロデュース

2021.10.8 追記:AnndreをSandoval氏の新刊「The Monkees The Day-by-day Story」によるとベースがチップ・ダグラスになっているが、ベースに関してはピーター自身がインタビューでピーター自身が弾いたと発言しているので、ここではピーターの証言を尊重する。


作詞はダイアン・ヒルデブランド。モンキーズの3枚目のアルバム『Headquarters』に収録されている佳作「Early Morning Blues and Greens」をジャック・ケラーと共作したスクリーン・ジェムズの作家である。

作曲はモンキーズの4人の名前がクレジットされているが、実はこの曲は元々、ピーターがモンキーズ(チップ・ダグラスとエディ・ホーを含む)のジャムセッションに使ったモーズ・アリソンの「Parchman Farm」(1951年)という曲が元になっている。


これもインタビューを要約してみる。

マイク・ネスミス
「ピーターはいつもParchman Farmでジャムをするのが好きで、それでこの曲をちょっとやり始めたんだ。僕達はただ恍惚感に向かっていてね。そしてミッキーがそこにリフを乗せ始めた。」

ピーター・トーク
「誰かがParchman Farmのアレンジを僕にくれたんだ。そもそもはそいつの友人がやったアレンジでさ。そのバージョンをしばらくの間メンバーで演奏していたんだ。あの日なぜこの曲を弾き始めたのかは覚えていないんだけど、練習もしないで演奏したんだ。」

ミッキー・ドレンツ
「(Parchman Farmと)まったく同じ曲で、基本的にはカバーしていたんだ。それでトラックを作ってみたら、すごくいい感じになった。マイクがこう言ったのを覚えている。『コード進行だけで、メロディーを盗んだりするつもりはない。(カバーをやるんじゃなくて)このトラックを使って、別の言葉、別のメロディーを書こう。どうして他人の曲をただカバーするだけなんてことしなきゃいけないのさ。』 それで僕は『OK、いいね。いいアイデアだよ』って言ったんだ。」


というわけで、フリーフォームでやっていたジャムセッションでのコード進行はそのままに、歌詞とメロディを全く違うものにして曲に仕立て上げた。これ自体は、既にブルースやお決まりの循環コードなどありふれたものが今でも使い回されているように、パクリではなく ありふれた自然なアプローチであると言えるだろう。


ダイアン・ヒルデブランドの歌詞では、恋愛が終わった男性が、「すべてを終わらせよう」と酔って川に飛び込み、流れに落ちていくのだが、すぐに後悔して自分を見つめ直し、ニューオーリンズ(ディキシーランドジャズの発祥地)のスウィンギング・シーンに身を投じることになる。

ミッキー・ドレンツ
「ダイアン・ヒルデブランドは曲を渡されて『どこかに行って歌詞を書いてきてくれ』と言われた。それで歌詞を書いて戻ってきたので、歌ってみたんだよ。そうしたら彼女(ヒルデブランド)は、『いやいや、その倍の速さでやってよ』って言うのさ。『えっ!』って言ったのを覚えているよ。」


ということは、そもそもジャムでは原曲に近いテンポでやっていたのだろうが、ヒルデブランドが倍のテンポをイメージして早口でスキャットのようにマシンガントークで歌詞を歌い切るというアイデアを盛り込んだということになる。

そして、「Daydream Believer」でも菅弦楽器のアレンジをしたショーティ・ロジャースによってアレンジされた、ビッグバンド風のホーンセクションがポップスに溶け込んだような「倍の速さの」トラックに乗せて、ミッキーは見事にエネルギッシュでスピード感のあるヴォーカルで走り切った。
しかも、なんとこのボーカルのレコーディングはワンテイクだったらしい。
恐るべしミッキー・ドレンツのR&Bのセンスと技術。


そして聞きどころはもう一つ、ピーター・トークのベースとエディ・ホーのドラミングである。

ピーターはモンキーズが制作の実権を握ってからはキーボーディストとしてアレンジも含めて貢献してきたが、ここではテレビ番組の「役」であるベースを弾いている。このベースの躍動感あふれるプレイとベースラインは本当に素晴らしい。

そしてジャズ的なアプローチもいける「ファスト」エディ・ホーの流れ落ちていく様のような爆走するスネアフィルとグルーブが、ピーターのベースとの相乗効果でノリにノリまくる。


レコーディングは1967年6月20日、7月5日、そして9月15日の3日が使われている。


チャート的にはビルボード最高位104位。
シングルのB面というのはアルバム収録曲に比べてなかなか後世に残りにくいものだが、この曲は本当に素晴らしい。最近の曲多めのベスト編集版などには収録されるようになった。日の目に当たるようになって嬉しい限りである。
この曲がリハ無しのジャムセッションから出来ていることを考えると、この時のエディ・ホーを含んだバンド体制での演奏力がいかに素晴らしかったかが分かると思う。


続く。


次回は、テレビ番組の終了から、テレビ番組の後ろ盾が無くなった5枚目のアルバムの制作に至るあたりの背景に少し触れてみたいと思う。
テレビ番組が終わってからも音楽的にはまだまだ進化していって面白くなるので、その辺りは抜かりなく書いていこうと思う。

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