見出し画像

The Monkeesを再評価する - Part 7:セカンドアルバム 『More Of The Monkees』

1966年10月、ファーストアルバム『The Monkees』がリリースされ そのジャケットを見たマイク・ネスミスは、あたかも4人が楽器を自演しているかのように紹介されていることに怒りを露にした。

毎週放映するテレビ番組の収録が続くと番組に使う新たな曲が必要となる。10月10日のファーストアルバムのリリース直後、7月のレコーディングとほぼ同じ体制のまま引き続きレコーディングが行われていった。

相変わらずドン・カーシュナー総指揮の下、ニューヨークのブリルビルディングの作家たちの曲をハリウッドでレッキング・クルーが演奏し、モンキーズの4人がボーカルを載せるという作業が続く。
一方で、6月の時点で自作曲のプロデュースの権利をもぎ取ったマイク・ネスミスも、引き続き自作曲のレコーディングを進める。

4人は番組用の曲を量産しているという認識で、セカンドアルバムを制作しているという認識は薄かったと思われる。とにかく睡眠時間が無いほど連日のテレビ収録が続いており、その合間でボーカル録音をしているような状況だった。

1966年6月から11月までに行われたレコーディング(アルバム収録曲のみ抜粋)を並べてみた。オレンジはファーストアルバム収録曲、グリーンはセカンドアルバム収録曲。
8月と9月はテレビ番組の収録とプロモーション活動に費やされたためレコーディングは少ないが、こう見ると6月から11月まではほぼ連続した流れ作業であったことが想像できる。仕事量的には7月と10月に集中しているが、セカンドアルバムの曲の幾つかは7月制作分からも来ている。

画像1


この中から、10月に制作された「I’m A Believer」が11月12日にセカンドシングルとしてリリースされた。B面は「(I'm Not Your) Steppin' Stone」。

11月12日は奇しくもファーストアルバムがビルボード1位になったその日だった。人気に火がついた真っ只中に、アルバムに未だ収録されていない新曲、しかも最高にキャッチーなポップロックチューンがリリースされた。女子ティーンエイジャーがレコード店に殺到したことは想像に難しくない。
しかも、実はリリース前の事前予約が既に1,051,280件入っており、従ってリリースの2日前にはゴールドレコードに達していた。
そして12月31日週のビルボードにて第一位に到達、7週間一位に居座り続けた。
デビューからたった4ヶ月で人気は絶頂に達した。


一方、当初からメディアの間ではモンキーズが本当に楽器を演奏しているのかという疑念が生じており、その点を問われる度にボブ・ラフェルソンは楽器を演奏していると答えてきた。
その疑念の払拭とマイクとピーターのリアルなバンドやプレイヤーとしての証明という両者の思いから、11月までのレコーディングで一通り番組用の曲が溜まると、モンキーズは12月3日のハワイ州ホノルルを皮切りに初のコンサートツアーを行う。
ライブで演奏するために、ドラム未経験者のミッキー・ドレンツには相当のドラムの練習が必要だったが、何とか人前で叩けるまでにはなっていった。そして、ライブを重ねるにつれて4人は自分達で演奏できることに次第に自信を得ていく。

1966年12月27日、モンキーズはLook誌のインタビューでまたもや楽器を演奏しているかの質問を受け、かなり苦しい受け答えをしている。
ピーター「ポテンシャルはあるんだけど練習する時間がなくてね。」
ミッキー「僕らはモンキーズ(という商品)を売る広告塔なのさ。」
マイク「プロダクションは僕らをビートルズにしたがっているが、僕らは違う。僕らは僕ら。僕らは面白いしね。」


年が明けて2月7日、モンキーズはイギリスの音楽番組Top of the Popsに出演。今後のアルバムからはスタジオミュージシャンではなく自分達で演奏するとコメントしている。
この頃、マイク・ネスミスとピーター・トークはレコーディングで演奏させてもらえないことをボブ・ラフェルソンにクレームし続けており、ラフェルソンは演奏させることを口約束していた。また、後の章に記すがマイクは1月の時点で独自に動いていた。これを受けてのイギリスでの発言だったと思われる。


しかしながら、なんと4人が全く知らない内にセカンドアルバム『More Of The Monkees』がリリースされる。
(リリース日は英語版Wikipediaをはじめ1967年1月9日または1月10日とされているものがほとんどなのだが、チャートの記録と照らし合わせると2月第一週目のリリースでないと時間軸の辻褄が合わない。)

セカンドアルバムは、11月のセカンドシングルの2曲と番組用にレコーディングされたものからドン・カーシュナーが構成編集してアルバムに仕立てた。
ビートルズのリボルバーが出た後でさえドン・カーシュナーは変わらず昔ながらの「歌手は消耗品、演奏はプロがやる、アルバムはその寄せ集め」という作り方に固執しており、時代の変化に全く合っていなかった。
おまけにアルバムのジャケットには、モンキーズがJCペニー(老舗ジェネラルマーチャンダイスストア、スーパーっぽいが衣料品の比重が高い業態、日本で言うと西友やイトーヨーカドーから食料品を除いたようなもの)の広告のために撮影した写真が勝手に使われていた。


驚くべきことに、4人はこのリリースをコンサートツアー中に突然知った。
そしてレコードショップでアルバムを見つけて、初めてその存在を知ったのであった。

自分達の意思が全く関与されないままにバブルガムポップな楽曲の詰め合わせのようなアルバムが勝手にリリースされたことにマイク・ネスミスとピーター・トーク、とりわけマイクは激怒。堪忍袋の緒が切れたモンキーズ側はこの後反乱を起こすことになるが、それはまた次回に。

セカンドアルバムのビルボードウィークリーチャートの推移は以下の通り。
(この通り、ビルボードのアーカイブを確認すると初登場は2月4日になっているので、先に述べた様に、この状況から見て1月9日という発売日はどうにも合わない。)

2月4日週付け 122位(初登場)
2月11日週付け 1位(この時2位に落ちたのは自身のファーストアルバム)


*          *          *          *          *


セカンドアルバムの収録曲と自分なりの解説を以下に記す。
ここでは作詞作曲者とモンキーズのメンバーの参加に関してのみ記載し、加えて各曲に関するトピックスや歴史的意義について付記する。

各曲のプロデューサーは、トミー・ボイス&ボビー・ハートは少なめになりジェフ・バリーがかなり幅を利かせているので、プロデューサー名も曲毎に明記する。

後年ライノ・レコードの尽力で全ての曲でほぼセッションミュージシャンの名前が公表されており、英語版ウィキペディアに詳細が記されているので、詳しくはそちらを参照されたし。
https://en.wikipedia.org/wiki/More_of_the_Monkees#Session_information

全般的にファーストアルバムより楽曲はかなりキャッチーで、バブルガムポップのアルバムとしては極上と言っても良いくらい素晴らしい。
聴きどころはミッキー・ドレンツのボーカリストとしての才能の開花だろう。ファーストアルバムでは弱々しかったボーカルが、このアルバムから唯一無二のクオリティになる。間違いなく60年代を代表するアイコン的ボーカリストの一人と言って良いと思う。
コーラスもスタジオミュージシャンよりメンバーが参加出来ているトラックが増えた。


A-1 "She"
• 作詞作曲:トミー・ボイス&ボビー・ハート
• ボーカル:ミッキー・ドレンツ
• コーラス:ミッキー・ドレンツ、デイビー・ジョーンズ、ピーター・トーク、トミー・ボイス、ボビー・ハート、他
• プロデューサー:トミー・ボイス&ボビー・ハート

シングルカットはされていないが、ベスト盤などの編集アルバムには入ってくる代表的な曲のひとつ。
ひとまずファーストアルバム用の録音が済んだ後の8月の録音で、ボイス&ハートの楽曲のレベルが確実に上がっているのと、ミッキー・ドレンツのソウルフルなボーカルが素晴らしい。


A-2 "When Love Comes Knockin' (at Your Door)"
• 作詞作曲:ニール・セダカ、キャロル・ベイヤー・セイガー
• ボーカル:デイビー・ジョーンズ
• プロデューサー:ニール・セダカ、キャロル・ベイヤー・セイガー

いかにも往年のアメリカンポップソングという感じで、ビートルズがラバーソウルを出しても尚こういう曲を当てがってくると言うところに、ドン・カーシュナーの時代の読みの甘さを感じられずにはいられない。
但し、こういった良質のポップソングはより低年齢層向けになったとも言えるので、マーケティング的には正しかったのかもしれない。
デイビーの甘いボーカルが良く合う。しかも掛け合いを多重録音で一人でやっているのが面白い。バンドの体なのに!笑

A-3 "Mary, Mary"
• 作詞作曲:マイク・ネスミス
• ボーカル:ミッキー・ドレンツ
• ギター:ピーター・トーク、ジェームズ・バートン、グレン・キャンベル、アル・キャシー、マイケル・デイシー
• ピアノ:マイケル・コーエン、ラリー・ネクテル
• ベース:ボブ・ウエスト
• ドラム:ハル・ブレイン
• パーカッション:ギャリー・コールマン、ジム・ゴードン
• アレンジャー:ドン・ピーク
• プロデューサー:マイク・ネスミス

「Last Train To Clarksville」と同じ7月25日に録音されているが、あっちはボイス&ハートの制作チームで、こっちはマイク・ネスミスの制作チーム。こっちはチームというかマイクの独壇場なわけだけど。
あっちとこっちを行き来してボーカルを入れたミッキーは大変だっただろう。
この7月25日の録音くらいからミッキーのボーカルが変わった感じがする。この曲ではエンディングに突き抜けたソウルフルなフェイクを聴かせてくれる。

ミュージシャンはファーストアルバムのマイク曲のセッションメンバーとほぼ同じ。しかしここではカントリーフレイバーは無く、マイクがストレートにロックを書こうとしていたことが伺える。
とてもかっこいいブルースロックに仕上がっている。

この曲は、ブルースファンにはポール・バターフィールドの曲として知られている。実はThe Butterfield Blues Bandの1966年8月リリースのアルバム『East-West』のB面1曲目がコマーシャルに初めて世に出たバージョンである。但し、どういう諸事情なのか、『East-West』がリリースされた際、この曲の作曲者のクレジットは無かった。
また、偶然なのかもしれないが、バターフィールドの録音も実はモンキーズと同じ7月25日の録音だったというのも興味深い。
この辺の事情はあまり情報が見つからず深掘り出来ていない。

また、1988年にRun-DMCがカバーしたバージョンもある。


A-4 "Hold on Girl"
• 作詞作曲:ジャック・ケラー、ベン・ローリー、ビリー・カー
• ボーカル:デイビー・ジョーンズ
• コーラス:ミッキー・ドレンツ
• プロデューサー:ジェフ・バリー、ジャック・ケラー

ベン・ローリーは作詞家、ビリー・カーについては情報があまり無い。
ジャック・ケラーはファーストアルバムでも数曲プロデューサーとして絡んでいた人で、ドン・カーシュナーが経験の浅いボイス&ハートにプロデュースを任すのはリスキーと考えてスタジオに張り付かせたのが経験豊富なジャック・ケラーだった。ソングライターとしてはコニー・フランシスの「Everybody's Somebody's Fool」などのポップスを書いてきた人。
とても哀愁的な曲調で、デイビー・ジョーンズの甘いボーカルにこれでもかというほどマッチしている。素晴らしい佳曲。


A-5 "Your Auntie Grizelda"
• 作詞作曲:ジャック・ケラー、 ダイアン・ヒルデブランド
• ボーカル:ピーター・トーク
• プロデューサー:ジェフ・バリー、ジャック・ケラー

ピーター・トークが1曲フルでリードボーカルを取る楽曲は、後の1968年の傑作アルバム『Head』が出るまでこの曲1曲だけ。
その割には、この曲は奇妙過ぎてあまりに浮かばれない。
どう評価して良いのか分からない曲だ。
レコーディングのセッションメンバーも不明。

ピーターのテレビでの間が抜けたキャラクターをそのまま反映したような曲を作りたかったのかもしれない。

ピーターは楽器演奏家としてはずば抜けた上手さとセンスがあるが、ボーカルは正直かなり弱い。ボーカルで活躍できない分、ファーストアルバムとセカンドアルバムでは彼の演奏家やアレンジャーとしての才能がほぼ表現されてないのが残念である。
いつかこのnoteで、1967年にスティーブン・スティルスが雑誌に寄稿した友人ピーター・トークに関する記事を翻訳して紹介しようと思う。彼はこんなコミカルソングを歌うためにあるべき人ではなかった。


A-6 "(I'm Not Your) Steppin' Stone"
• 作詞作曲:トミー・ボイス&ボビー・ハート
• ボーカル:ミッキー・ドレンツ
• コーラス:トミー・ボイス
• プロデューサー:トミー・ボイス&ボビー・ハート

アルバムに先駆けて、セカンドシングル「I’m A Believer」のB面として1966年11月12日にリリースされ、B面ながらビルボート20位まで登ったヒット曲。
7月26日の録音で、前日の「Mary, May」同様にソウルフルなミッキー・ドレンツのボーカルが素晴らしい。コンサートでも定番の曲となった。
このアルバムの中では一番ロック色が濃い。

モンキーズのバージョンが一番有名だが、これに先立ち1966年5月にリリースされたPaul Revere & the Raidersのサードアルバム『Midnight Ride』のレコーディングが先。

B-1 "Look Out (Here Comes Tomorrow)"
• 作詞作曲:ニール・ダイヤモンド
• ボーカル:デイビー・ジョーンズ
• コーラス:デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク
• プロデューサー:ジェフ・バリー

70年代にスーパースターになるニール・ダイヤモンドも、この時はまだヒット曲の実績がほとんど無い職業作曲家で、やっとこのプロジェクトで2曲提供できた。その一つがこの曲、もうひとつはセカンドシングルとしてモンスターヒットとなる「I’m A Believer」である。
ニール・ダイヤモンドは当時ニューヨークのブリル・ビルディングの職業作家であり、レコーディングもニューヨークで行なっている。

歌詞はどうしようもない内容で、ティーンエイジ女子をキャーキャー言わせるためだけに書かれたようなもの。ローコードでジャンジャカ鳴らすアコースティックギターもいかにもニール・ダイヤモンドらしい。(実際彼自信が弾いている。)
サビの喉を潰すようにするようなロックっぽい発声はデイビーのこれまでのミュージカルのバックグラウンドではあまり無かったアプローチと思う。ボーカリストとしてのスキルの高さを感じる。この時まだ21歳の誕生日が来ていない。


B-2 "The Kind of Girl I Could Love"
• 作詞作曲:マイク・ネスミス、ロジャー・アトキンス
• ボーカル:マイク・ネスミス
• コーラス:マイク・ネスミス、ミッキー・ドレンツ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク
• ギター:ジェームズ・バートン、グレン・キャンベル、アル・キャシー、マイケル・デイシー
• ベース:ラリー・ネクテル、ボブ・ウエスト
• ドラム:ハル・ブレイン
• パーカッション:ギャリー・コールマン、ジム・ゴードン
• スティールギター:マイク・ネスミス
• アレンジャー:ドン・ピーク
• プロデューサー:マイク・ネスミス

6月25日の録音で、ファーストアルバムも含めて一番古い録音。
どうしてファーストアルバムに使われなかったのか不思議なくらいクオリティが高いカントリーロック。
前回Part 6の「Papa Gene’s Blues」でカントリーロックの始まりについて書いたが、実は録音はこちらの方が更に2週間ほど早い。
おそらくジェームズ・バートンと思われるギターソロはモロにカントリーのフレーズや奏法そのもので、しかしながらパーカッションを多用して独特のグルーブを生み出している。素晴らしいレコーディング。


B-3 "The Day We Fall in Love"
• 作詞作曲:サンディ・リンザー、デニー・ランデル
• ボーカル:デイビー・ジョーンズ
• プロデューサー:ジェフ・バリー

終始デイビー・ジョーンズの詩の朗読という、アイドル全開のバラード。
コンデンスミルクをそのまま飲んでいるかの様に甘ったるい。
男が聴くにはかなりキツい。
ちなみにレッキングクルーとしてはモンキーズの楽曲でキャロル・ケイがベースを弾いている貴重なレコーディングではある。


B-4 "Sometime in the Morning"
• 作詞作曲:ゲリー・ゴフィン&キャロル・キング
• ボーカル:ミッキー・ドレンツ
• コーラス:ミッキー・ドレンツ、キャロル・キング
• プロデューサー:ゲリー・ゴフィン&キャロル・キング、ジェフ・バリー

ファーストアルバムではパッとしなかったゴフィン&キングだったが、ようやく佳曲を提供。歌詞もさすがのゲリー・ゴフィンで詩的である。

コーラスがミッキー・ドレンツとキャロル・キングとなっているが、一緒のスタジオで録音したわけではない。このオケはキャロル・キングがガイドボーカルとコーラスを入れたバージョンとしてニューヨークで録音されたもので、その後にミッキー・ドレンツの声に差し替えられた。レコーディングの日にちが10月23日と10月25日の2日が記載されているので、23日にオケとキャロル・キングのガイドボーカルとコーラスを録り25日にミッキーのボーカルとコーラスを録ったのかもしれない。デモとして録ったもののそのまま使われることになったのかもしれない。そのせいかセッションメンバーが記録に残っていない。


B-5 "Laugh"
• 作詞作曲:ハンク・メドレス、フィル・マーゴ、ミシェル・マーゴ、ジェイ・シーガル
• ボーカル:デイビー・ジョーンズ
• コーラス:デイビー・ジョーンズ、ジェフ・バリー、他不明
• プロデューサー:ジェフ・バリー

曲はかなりのバブルガムポップ。
キャロル・ケイがベースでなくギターを弾いている。
この4人のソングライターは1961年の大ヒット曲「The Lion Sleeps Tonight」で有名なThe Tokensのメンバー。そう聞くとこの曲調も何となく通じるところがある気がする。(「The Lion Sleeps Tonight」自体はThe Tokensのメンバーが書いたものではないけど。)ちなみにこの内ハンク・メドレスは短期間ではあるが1990年代にEMIの社長になる。


B-6 "I'm a Believer"
• 作詞作曲:ニール・ダイヤモンド
• ボーカル:ミッキー・ドレンツ
• コーラス:ミッキー・ドレンツ、デイビー・ジョーンズ、ピーター・トーク
• プロデューサー:ジェフ・バリー

前述の通り、アルバムに先駆けてセカンドシングルとして1966年11月12日にリリースされ、12月31日週から7週間1位に鎮座し続けたモンスターヒット曲。
ニール・ダイヤモンドはモンキーズへの楽曲提供を機にキャリアが成功したソングライターの代表格だろう。

ハリウッドのレッキングクルーとは違うニューヨークのスタジオミュージシャンで録音されているせいか、ファーストアルバムの音と明らかに違うスタイリッシュな仕上がり。サイモン&ガーファンクルのバンドバージョン版「The Sound Of Silence」でエレクトリックギターを弾いたアル・ゴーゴニがエレクトリックギター2本の内の一方を弾いている。
曲の展開も単純なポップスの定石に収まらない。オルガンの前奏から入ってカントリーギターのリックがブレイクで鳴るという、当時これ以上無いほどのクールなイントロ、これにすかさず続くミッキー・ドレンツの抑えたボーカル、ブリッジではバブルガムな合いの手コーラスを入れつつ、サビのバックにはオルガンのコードリフにミッキーのソウルフルな歌いっぷりが重なり、1小節ブレイクしてミッキー、デイビー、ピーターの3声コーラスが流れるという、怒涛の展開を見せる。
このキラーチューンの大ヒットで、ティーンエイジャーによるモンキーズとその楽曲の支持は一気にヒートアップした。

後に2001年に映画『シュレック』でSmash Mouthがカバーしてビルボード25位のヒットを記録。そして今尚様々な形で愛され続けている名曲である。


続く。

次は、いよいよドン・カーシュナーに対するマイク・ネスミスらの反乱、そしてモンキーズのリアルバンドとしての自立の始まりについて書きます。
音楽的にはここからがグッと面白くなります。お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?