日記(9/23〜29)

月曜日
 履修登録にも才能みたいなものがあると思う。私は才能なしである。全休の日(全くもって授業がなく丸一日休みという羨ましい限りの日)を作れたことがない。かといってギチギチに時間割が詰まっているというわけでもなく、中途半端な空きコマがあちこちに発生している。

火曜日
 Tさんがはるばる遊びにきてくれる。謎のホスピタリティが湧き上がってきてしまい変に気負って変なところを案内してしまいそうだったが、Tさんの観光したいところがある程度定まっていたので正直安心した。Tさんはとても幸せそうな顔でご飯を食べる。野菜やきのこはあまり食べない。

水曜日
 Tさんと動物園に行く。フラミンゴが両足で立っていたりアザラシがこちらに尻を向けていたり、ライオンとかトラとか猛獣館の生き物たちは気ままに寝ていて(客にうんちとかを飛ばすことがあるらしく注意喚起の張り紙があった)、動物園の良さって動物がありのままを見せてくれることにあるよなと思った。と同時にやたら落ち着きのないシロクマの様子が気になった。無数の人間が入れ替わり立ち替わり自分のスペースを覗き込んでくるのだから落ち着きを失う動物がいても不思議ではない。落ち着きがないように見えるだけで実はリラックスしていて、「客にかっこいいところ見せてやるぜ」的なポジティブなモチベーションからウロウロしていただけかもしれない。どちらにせよ人間の、しかも素人の一方的な解釈でしかないが。すべての動物に幸あれ、と思った。

木曜日
 駅でTさんを見送った。自分の住んでる街を一緒に歩きながら、Tさんの暮らす街との街並みのちがいを話したりしたのがとても楽しかった。人間とご飯を食べたり話をしたりすることによって精神をがふわふわになることがあり、ときどきそれを確認できるのはとてもだいじなことだと思った。Tさん、三日間ありがとう。

金曜日
 めちゃくちゃ洗濯したい気分になって、部屋中のありとあらゆる布類を洗濯し尽くした。しかし干すところがない。
 昔の詩を見返す。上手いとか下手とかではなくて、「今この詩を書くなら、もっとこういう言葉も吟味の選択肢として思い浮かべることができる」みたいな感想をいくつかの箇所で思った。当時は当時の精一杯で言葉を選択していて、その結果その詩が完成したのだけど、今はもっと詩の可動域みたいものを拡げうる言葉を思いつける、と思った。賞をもらった高校二年生のとき以上のものはもう書けなくてあれが最高到達点だったんじゃないか、みたいな不安はときどき付きまとうけど、そのときどきに自分が創れるものの善し悪しなんて結局未知数で、少し先の自分の出しうる豊かさを漠然と信じるしかないのかも、とも思う。

土曜日
 ちょっとフォーマルな格好をしたくなったためフォーマルな靴を履いて外出した。式典やらを見越して一昨年に買ったのだが、なんせ足に合わない。つま先が圧迫されているし踵は擦れて痛む。試し履きの時点で痛かったのだが店員に「履いてりゃ慣れるもんです」というようなことを言われ、スニーカーしかないのもなと思って買った。買ったものの痛くてまともに履けないため慣れない。何度か履いているがその度に踵に血が滲むのであらかじめ絆創膏を貼って履いている。靴というより中世ヨーロッパで開発された拷問道具ですと言われた方が腑に落ちる。こんな靴二度と履くかよ、と毎回思うがしばらくして機会があると懲りずに挑戦してしまう。あまりの親指と踵の痛みに耐えかねて街中で何か分からぬ叫びを上げながら靴を脱ぎ捨て両手両足で地面を掴み、山中へ駆け込んで野生に戻った浅浦は二度と人間に姿を表さなかった、ということになるところだった。帰宅して靴を脱いだときの喜びったらない。スニーカーで生きていきたい。でもまた無謀にも履こうとする気がする。

日曜日
 本棚にスペースがない。ここに後期の教科書が加わることを考えるとすこし憂鬱。
 教科書を買いに大学のキャンパスを歩いていたら、カツッ、という、舗道に何か硬質なものが当たる音が何度かして訝しんでいたのだが、しばらく歩いて分かった。木から落ちたどんぐりが目の前に落ちてきたのである。あまりにスレスレなところに落ちたので、長い夏休みを満喫する学生に嫉妬した邪悪な社会人とかが木に登って道行く大学生にどんぐりを投げつけているのかなとか一瞬考えたのだが、自然に木から落ちた実だろう。木について詳しくないので何の木のどんぐりなのかわからないが、つやつやして太った円錐みたいなかたちの実があちこちに散らばっている。秋だ。そろそろ授業も始まる。


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