10年間を振り返る


ツイッターで見かけた #10年間を振り返る
思い返してみたら随分といろんなことがあったことがわかり、楽しくなったのでうわっと書き出してみた。

ただの思い出話なのでなんら面白みはありませんが人間観察がお好きな方は餌にしてください。


14歳

中学2年生。田舎のギャルとヤンキーの合いの子みたいな見た目で成績は上の下という、なににおいても中途半端な中学生だった。人生初の恋人であった同い年の男の子と破局したのはこの年。1年半続いた彼とお別れしたタイミングで所属していたバスケ部の後輩女子から猛烈ラブアタックを受け、精神的に骨折。と同時に同級生女子と揉めて相手の鼻をへし折り親を呼び出される。正当防衛判定で求刑反省文4枚。鼻の折れた喧嘩相手の一味が部内にいて居辛くなったこともあり、後輩女子からの愛を丁重にお断りした上で退部。お察しの通り教師泣かせな生徒だった。

15歳

中学3年生。美術部に入部し、先にいた部員を差し置いて賞を獲りまくる。10歳の頃から習い事にしていたのだから当然だったのに、調子に乗りまくっていた。同部OGと定期的に添い寝するだけの妙な関係に。毎週水曜日、場所は決まって彼女の家。三度目のキスで拒まれたかわいそうな私は涙目で「その気にさせておいてこれは残酷すぎます」と言い残し、連絡手段を断つ。期間にして約2ヶ月。濃かった。
その傷の痛みを誤魔化すように勉強にのめり込み、面白いほど急激に成績が上がる。腰まであった漆黒ストレートの髪を顎ラインまで切り落とし、周囲からの大不評を受け殻(塾)に閉じこもる。おかげさまで本命だった進学校に合格。

16歳

高校1年生。無理めなとこに無理矢理入ったのだから当然っちゃ当然だが高校の授業には序盤で置いていかれた。やることがないのでセクシャリティーを模索。学内ではクラスのムードメーカー男子をモノにしカースト上位に食い込みつつ、学外では6歳年上の美女とよろしくやっていた。あっという間にサボり癖がついて3日に1日ペースで学校の正門を素通り。通っていた高校は少し歩けば地元友達の溜まり場という便利な立地。学校をサボる日はそこで過ごす。何をしていたかは覚えていない。思い出とは言い難い断片的なシーンの記憶はあるけど、ほんとにぞっとするほど覚えていない。
中型二輪免許取得。

17歳

高校2年生。この年から卒業までの悪夢のような日々のせいで高校時代の楽しい記憶がすこっと抜けているんだと思う。とりあえず、地位獲得のために付き合ったムードメーカー男子とは進級とほぼ同時にお別れした。ような気がする。教育実習生のセカンドになる。つまり彼女持ちの男と都合のいい関係になった。年明け直前に携帯抜き打ちチェックで親にあっさりバレる。同時に過去2年ほど遡り関係を持っていた男女数人の存在も全部バレる。女性との関係だけは何がなんでも隠したくて苦しい嘘を重ねたら、体の対価を受け取ってると勘違いされてしまった。ビール瓶やら掃除機やらが飛んできて、さすがにこれは命が危険と判断し部屋着に素足で家を飛び出し近所の24時間コインランドリーで暖をとった。しばらく経って、ひとつ年上の男友達に拾われた。うちの両親からも気に入られている面倒見のいい彼はひとまず私を女友達の家に連れて行ってくれた。逆三角の目で一部始終を話せと命じられたので起きたことをそのまま全部吐いたら、私の両親に電話して間に入ってくれた。今どうしてるかなあいつ…。
最初に書いた悪夢の元凶である悪魔は出席番号が私のひとつうしろの女の子だった。どんな不幸を被ったかは長くなるので詳細はまたの機会にでも書きたくない。

18歳

高校3年生。進級直前の春休み以降、長期休みはみっちり新宿の芸大・美大対策に特化した予備校へ。小学4年生の頃から画家先生夫妻の元で絵の勉強はしていたものの、東京の芸大・美大となると私たちは専門外だからと、予備校を勧められた。地元からは通えないので、予備校で紹介してもらった都内の学生寮で期間限定一人暮らし。これが楽しかった。友達ができたわけでもないのに、ひとりの生活が性に合っていたのかとにかく息がしやすかった。悪魔とは壮絶な血みどろ合戦(精神的に)の末距離を置くことに成功したので、この年は比較的心にもゆとりがあった。
高校受験での失敗はすっかり忘れ、再び無理めな目標設定で挑んだ大学入試の結果は不合格。受験のために4泊3日で借りていたホテルの部屋に引きこもり、泣くだけ泣いて帰郷。両親に人生初の土下座を決めて浪人を選んだ。
ちなみに卒業式には出なかった。入試直前でスケジュールがタイトだというのが大きな理由だったけど、本音を言えば悪魔とサヨナラできるなら式なんてどうでもよかったのだ。それなのに、校長先生は節目だからと私のためだけに小さな卒業式を開いてくださった。
受験結果は式後にと自分から報告を延ばしておいて、校長が証書授与のタイミングで「あなたは本校美術部の星として太陽に負けないほどの輝きを」なんて言うもんだからその場で号泣してしまった。私の涙のせいで参列してくださっていた教師陣が合否の結果を察してしまうという、最悪な形での報告になってしまった。のは余談。

19歳

浪人生活。起きて、図書館で勉強し、飲食店の厨房で夜中まで働き、寝るを繰り返しただけ。東京の美大へ入学が決まり、両親から女子寮をごりごりに推されるが頑なに拒否し戦は激化。母の「そんなに男を連れ込みたいのか」のひとことに何かがはち切れ、絶対に避けたかったテンションでカミングアウト。忘れもしない「女ばっかりのとこに身を置いてしまったらこのままレズまっしぐらや!」という心の叫びが口から出てしまったあの瞬間。未だ身売り疑惑は晴れていない。
自動車運転免許取得。

20歳

大学1年生。住居は築35年超の木造ボロアパートになった。生活はまさに貧乏暇なし。絵に描いたような田舎娘はアパートのある国分寺からわざわざ新宿やら渋谷に出て高い酒を飲み、始発で酒臭いまま学校へ行き、夕方から夜中まで寝て開店前のスーパーの棚卸しバイトに行くような生活を繰り返していた。転機は6月、アパートの近所にあった個人経営の小さな居酒屋にふらっと入ったこと。関西弁の若すぎる女の登場に店内は一瞬静まり帰ったけど、常連客に気に入られて何度か通ううちにバイトとして拾われた。それとほぼ同時期に2歳年上の彼女ができた。
さらにそのタイミングで、知り合いが主催していた食事会で現在の交際相手と出会っている。建築を勉強しているという共通点からなんとなく会うたびに話が盛り上がり、一度だけ2人きりでダーツバーに行った。その直後に例の年上彼女と別れた。散々ひどい扱いをした上に、はっきりした理由もなく私から切り出した。
売春経験あり(何度も言うけど実際はなかった)のレズというややこしい娘に頭を抱えていた母とは絶縁ギリギリ手前の緊張状態で、毎月月末になると家賃が振り込まれてくる口座だけで繋がっていた。
入学以来よく一緒にいた男友達に2万盗られて絶縁。私以外にも被害者が数人いたらしい。
出会いと別れの年だった。

21歳

大学2年生。相変わらず貧乏暇なし。居酒屋のバイトで身近に頼れる大人ができて精神面が安定したのか、前の年ほど派手な遊び方をしなくなった。それでも友達なのか恋人なのか微妙な関係の女の子が入れ替わりでふたりいたものの、進展はしなかった。秋頃からは建築設備の会社でバイトを始めた。たまたまバーで知り合ったその会社の幹部にこちらから頼み込んで働かせてもらうことになった。が、このバイトは長く続かなかった。きっかけになった彼と私が交際することになってしまったため、私から辞職を申し出た。交際期間は年越しを挟んだ3ヶ月。これも経緯は長くなるのでまた思いついたときにでも。

22歳

大学3年生。設備会社の彼と訳あり交際をスタートしてひと月後、私はわかりやすく体調を崩した。具体的には固形物が喉を通らなくなった。当時の私はセクシャリティーがぐらついていたらしく、周りから「あんたが、あの人と?」と何度も聞き直されるくらい強烈なギャップがある女とも妙な関係を持っていた。そのうち治るだろうと思っていたら倒れて、栄養失調と診断される。ついでに医者からこっぴどく叱られる。身体的な問題はないことから摂食障害の可能性があると説明を受け、心療内科を勧められたが私はそれを断固拒否。ならばと内科で出せる安定剤が処方され、栄養剤の点滴を2パック注入したあと帰宅を許可された。試しに自宅で安定剤1回分を服用した。気を失ったように眠り、気がついたら夜中の2時であったことがおそろしすぎて残りは全部捨てた。難なく起き上がれたのでそのまま設備会社の彼の自宅まで歩いて行って、別れてくださいと頭を下げて承諾された。
その後あからさまに食欲を取り戻し、二丁目に入り浸る日々を送りつつ真面目に大学に通い、成績は中途半端でもやりたいことを存分にやった。ふたりの女性と短期間だけ関係を持ったけど、どちらも真剣な交際には至らなかった。
女性限定で大規模なクリスマスパーティーを開くからおいでよと二丁目にあるお気に入りの店からお誘いを受けたので参加した。ここで現在の交際相手と2年ぶりの再会を果たした。

23歳

大学4年生。大学生活では必要な単位をほぼ取り終えていた。この年の3月に始まった就職活動でも私は相変わらず無理めなところを狙った。しかも大本命御社一筋一本勝負。今冷静に考えるとただの馬鹿である。熱烈猛アタックの末6月に内定を勝ち取ったので結果的よければ全てよし。
クリスマスパーティーで現交際相手に再会したとき、私の中にはそれを予感していたような不思議な感覚があった。これ切りにして別れてはいけないという根拠のない直感を信じて何度かお酒の席を設けてみた結果、彼女はあっさり私の住むボロアパートに住み着いた。4ヶ月ほど恋人らしいことは一切なしのルームシェアでお互いのことを知り合った。途中で気持ちが向き合っていることに気づいてもその4ヶ月は距離感を保ち、新学期が始まる頃にやっと合意のセックスをした。どっちもタチなので喧嘩気味だった。夏には彼女を私の地元に連れて帰って家族に紹介し、9月末にはふたり名義の賃貸マンションを借りてへ引っ越した。
私は大学を卒業した。

24歳

社会人1年目。交際相手と喧嘩をするようになった。金銭感覚の違い、家事の分担、お互いの仕事、生活リズムのズレ。ふたりで生きていくことを覚悟した私たちの喧嘩はかなり生々しい。交際前のルームシェア期間から一致していた子どもを産み育てたい理想は現実的な計画に変化した。セックスは激減したけど会話がなくても意思疎通できるほどの精神的な繋がりが簡単に持てるようになった。
仕事が楽しい。やりたい仕事に就けた経験が自信の土台になっているし、好きな仕事をしているおかげで自分のことを好きだと感じられている。



年が明けたら、交際相手のご両親に私たちの関係と子どもを産み育てる希望の話をすることになっている。

そのあと妊娠に向けて準備をする。

彼女はあまり乗り気じゃないけど、私はその前に簡単な式を挙げておきたい。そんな打算的なと思われる考え方かもしれないけど、仕事の予定を組むのに勤め先に式の話をしておけばきっと必然的に彼女との関係を伝えることになるし、伝えておけば彼女の妊娠出産時にもスムーズに育休の話ができる。

それに、交際記念日がない私たちにも何かしらの節目があった方が今後励みになることもあるかもしれないし。


今のところ自分の夢は順調に叶えてやれている。
美術でお金を稼ぎ、愛し合うより共に生きるを目標にできる人と希望の話をしながら、私はご機嫌に生きている。

#日記

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