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帝王切開備忘録 今はパンツの跡となりて

風呂で自分の腹を見ると、一年半ほど前にあんなにも大きく、臨月には中から生命体がウニョウニョと波打っていたのがまるで嘘のようにぺたりとしている。よく見るとほんの少しだけ筋のような線(妊娠線)はあるが、長年住んでいたアパートを引き払った時の家具の跡のようにささやかな履歴のようで好ましい。
そして帝王切開の跡は一年半経ってもはやきつめのパンツを脱いだ跡のような線になっている。深く切った(子供が出てきた)体の中央部は流石に消えずミミズ腫れのように少し盛り上がっているけども、痛くも痒くもないし気にもならない。

何を恐れたか帝王切開。
叫び続けた13時間余りが手術台の上で一瞬で浄化された記録を、覚えている限り書き綴る。

41週を過ぎても陣痛の兆しがなかったため入院。
促進剤とバルーンによりなんとか陣痛を引き起こし、分娩台の上に登るのを待ち続けた。
しかし陣痛は思った以上に壮絶で、「痛い」とか「苦しい」とか、あとは「あああああ!」とかやたら叫び続けたと思う。
本当に記憶が曖昧で、時々様子を見にきた助産師さんに「行かないでください…!」と懇願し「また来ますよ」と微笑んでもらったのが忘れられない。大の大人がもんどり打っているのってどう思われるんだろう
そんなこと産婦人科の方々からしたら日常茶飯事なんだろうな。
陣痛には波があって呼吸ができないくせに絶叫するヘンテコな痛みと
仮眠を取れる程度の腹痛とか反復横跳びして、それが終わりなく延々と続いて辛かった。
精神と時の部屋のように、まさか終わりがないんじゃないか。10ヶ月連れ添った大きなお腹の中身を出す(←「産む」より「出す」という感覚で挑んだ)のって、もしかして不可能なんじゃないか…と、途中から思考が意味不明なものになる。

初産はすぐに産まれるよ。検診も異常はないし、順調に育っているから順調に出産できるよ。
安産型のお尻だから大丈夫大丈夫。産んだら痛みなんて忘れるよ。
気休めかもしれない。いろんな人がそう言った。
それを鵜呑みにして「すぐに産んで見せよう!」なんて思ったのが甘かった。全く出ないどころか子宮口は開くそぶりなく、早朝入院したけど気づけば日が暮れる時間になっていた。
どこが順調!?
痛みと痛みの間の僅かな時間に仮眠を取ったり水分を摂ったりして、「生き延びて」きた。
かれこれこの時すでに10時間ほどは経っていただろうけど
苦痛の最中では何日も悶えているようにすら感じた。
事態は一向に進まない。
医師が叫び続ける私のお腹を冷静に触り、「レントゲン撮りましょう」と言った。「動けますか?」
動けるわけがない。ベッドのフレームを握りしめ、少しでもポジションがズレたら謎の腹痛が押し寄せてくるのに。車椅子が用意され、助産師さん二人に抱えられて車椅子に座る。
なぜか駆け足でレントゲン室まで送迎される。廊下のほんの僅かな段差の振動が車椅子のタイヤを伝って腹を刺激する。行くも地獄、戻るも地獄、このお腹の中にいる「何か」を出さなければ、この痛みはいつまで経っても去らないのだ。

レントゲン室で写し出されたのが何かはわからない。
「これから帝王切開に移ります。よろしいですか?」
と告げられた時、「帝王切開か…嫌だな跡とかつくのかな」「手術ってお金かかるのかな」とかではなく、事態がようやく進むことに喜んだ。
「大丈夫です!なんでもいいので!出してください!」

入院前に「緊急時用に」念のため書いていた帝王切開同意書 まさか使うことになるとは。
手術が決まってからあれよあれよと事が進んだ。今までの12時間はなんだったのか
どうやら出口と子の頭のサイズが合わないようで、このまま粘れば自然分娩もできないことはないけれど…危険があるので帝王切開にしましょう。とのこと。どんだけでかいねん頭
震える手でサインをし、母親(近親者)にLINE電話で「今から…帝王切開するから…」とだけ伝えた。

(この時期コロナ禍で立ち会い出産はできず、里帰り出産のため県外の夫は何もできなかったのである。数時間おきに絶叫のラインが飛んでくるだけでそれはそれはやきもきしただろう)

「せーの!!」と複数人がストレッチャーに私を乗せ替え、服がお産着から手術着へとあっという間に変わり、そのまま手術室へ。「お産」が「手術」に早変わり。
頭上でライトがカッ!と点灯。(ドラマとかでよく見るやつ)
「背中が冷たくなりますよー」と、多分ここで麻酔が入ったんだろうな

痛みが
12時間も大きな石を抱えていたような痛みが
嘘のように消えた…!

ようやく深呼吸できるくらい楽になる。首から下は布で覆われていて見えないし、感覚もない。自然分娩で産めなくてごめんよという気持ちもあったけど、お互い苦しいのから解放されるんだったらもう…なんだっていい…出てこい出てこい!無事に生きて出てこい!と祈り続けた。

最初の産声は聞こえなかったのでゾッとしたけれど、「ほにぇえ」と遠くで聞こえ、そこから爆音で泣き声が聞こえた。よかった。よかった。出てきた。生きて出てきてくれた!
首しか動かせない私のそばに生まれたての嬰児が助産師さんの手でやってきた。
君だったのか、お腹の中で暴れていたのは。
いろんな安堵で涙がボロボロと流れたが、もう8時間くらいぶっ通して泣いていた(痛みで)ので流す涙もほぼ枯れ果てていた。それでも会えてよかったと泣いた。

カンガルーケアは手術のためできなかったけれど、翌日自室で行うとして
帝王切開はお腹を閉めるまでが帝王切開である。どうやって取り出してどうやって内臓を戻してるんだろうね。この間も意識ははっきりとあるけど麻酔のおかげで首から下何が起こっているのかさっぱりわからない。結局12時間の苦しみは最後の1時間でさっくりと終わったのである。無事にお腹の住人が出てきてくれたそれだけでよかった。

自然分娩で恐れていたのは陣痛と会陰切開だったのだけど、帝王切開になったので会陰は切らなくて済んでよかった。人によっては激痛とか聞くし、なんてことない人は本当になんてことないらしい。お産は人それぞれと言うけど、こんなにも前人の体験談が当てにならないことはない。
帝王切開はその後、つまり麻酔が切れた後がかなりきつかった。なんせ切腹しているのである。そんなのでも授乳とか、母親教室や、色々とスケジュールは詰まっている。
6時間ごとにロキソニンを飲み、傷が癒着しないように体に鞭打って歩き、(腹筋が使い物にならないので起き上がるのも困難)それでもあの陣痛の地獄の12時間と比べたらまだ耐えられるのだ。

以上が自分の出産体験談。覚えている限りで書き綴ったがどうだろう。
他にも病室での過ごし方とか、立ち会いしなかった父親のその後とかいろんなまとめたいことはあるけれど、覚えているうちに書き上げたからよかったかな。
私は帝王切開で子を取り上げてもらったけれど、それは自然分娩より劣っているとか全く思わないし(帝王切開 母乳神話 ベビーカー邪魔論争 ここら辺はしょっちゅうネット上で炎上するトピックよね)むしろ切ってもらわなければどうなっていたことやらなのだし。
どう生まれようと生き方には関係ないだろうし。


切開跡はもうだいぶ薄くなっている。とはいえ、きっとこの先も残るだろう。
それがとても嬉しい。この道を通り出てきてくれた子がいると言うだけで
この傷を誇りに思えるのだ。

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