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伝えておくべきだろうと思う事

僕は人生のほとんどをよくいるダダの男としてそれについて何も疑問に思わず生きてきました。何十年も生きてきて突然2015年1月に気がついた様にそれは変わりました。色々な事をやってきたり、色々な事見てきた結果、無名のいわゆる「男性」像が嫌いになったんです。「男」達の煩雑さ、単純さ、残酷さ、凶暴さ、傲慢さ、醜さ、そしてそれらの類の要素を自分が持っている事に対して嫌悪する様になりました。そして自分が思っている特に悪い面でのこういった男らしさは無くしてゆける所を出来るだけ全部無くしていこうとする様になりました。よくある部分や良い面での男らしさももうあまり持ちたくなくなりました。簡単に消えて行くことではない事も分かっているのに。

性別は関係のない、人としての良さは持てるだけ得てゆきたい、持ちたいと思っています。

そしてここからは特に人によってはとても不快に思わせてしまうかもしれません。私は「女性」に憧れています。妻からは女らしさにも色々悪い面があるんだよと教わっています。でもそう教わってもそれはその女性がたまたま人として上手くやれない部分があったんだと思いたいです。そして死ぬまでの間、私が憧れるある一線は越えず、自分が思う女性の良さに自分を近づけていこうと思っています。

この事に気がついた数ヶ月後にこれを妻に伝えた時、彼女をひどく悲しませてしまいました。その姿を見て私はこんな事を願うのを辞めてしまいたいと思いました。彼女は女性である人とは伴侶として隣にいる事が出来ないと、はっきりでもとても悲しげにそして苦しげに教えてくれました。彼女とずっと一緒にいたい、だから一線を越える事はできない、自分はまがい物でも女性になってしまう事は出来ないと思いました。

それなのにもかかわらず、そう願う事をやめる事が出来ません。欲張りなのか彼女と幸せに暮らしたい事が一番なはずなのに、男性の風貌で男性らしく考えて行動し続ける事が本当に辛くなる事がある、そうする事しか知らないのに。そして津波の様に襲ってくるその望みが、彼女と一緒に居続けたい望みに自分を叩きつけて、もう意識をもつ能力を無くしてしまいたいと馬鹿げたていて投げ出した様な絶望に襲ます。要するに自暴自棄になって極端に凹んでしまう事があります。

これが今自分持っている大きな葛藤と行動の原理の一部です。これを見て「気持ちが悪い」、「馬鹿で苛立たしい奴だ」、「間違っているし許せない」など思わせてしまったかもしれませんね。そうしてしまったらごめんなさい。きっと私からは離れた方がよいのだとおもいます。

そういった自分は下らなくて馬鹿げていると自分でも思っています。今ある幸せな状況を壊して行く事になるかもしれない愚かな事です。催眠術とかで消してしまえるのなら消したいとも思っています。でもまだ止みません。とても強い願いなんです。

この事が意識に上って良かった事が一つあります。それぞれの自己に対する性別の認識や相手として好む性別が一般的な大多数と違いっている人々への理解が少し深まった気がする所です。それまでは考えなかった色々な人がいるんだと知って、これに気づけた事は素晴らしいと思えました。LGBTQ+の人々を応援しています。

この事はもし自分に興味がある人がいたら伝えておくべきだと思いました。


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