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フィードバックの極意⑧「壁になること」

「とても有意義な時間だった」
会議やミーティング、コミュニティや勉強会。人と人とが集まる場において、「良い時間だった」と感じるときと「時間の無駄だった」と感じるとき。いったい何が違うのだろう?

様々な要因があるけれど、一つの仮説として浮かび上がってきたのが
「参加者のフィードバックの力」

「一人ひとりのフィードバック力が上がると、場の価値(時間的価値)が上がる」
「フィードバック力が高い人が集まる場は、良い場になりやすい」
「ではフィードバック力を上げるには、どうすれば良いのか?」

そんなことを思った著者が感じた、身近なフィードバックの達人にフィードバックの極意を教えてもらうこのコーナー。

第八回のゲストは手放す経営ラボラトリーの研究員であられる乾真人さんです。

野見「乾さんはいつも物事の本質を深く深く掘り下げてフィードバックをされる印象があります。乾さんにとってフィードバックとは何ですか?」
乾「私はフィードバックとは“壁になること”だと思っています」
野見「なるほど。 “壁打ち相手“みたいなワードとしては良く聞くのですが、乾さんのおっしゃる壁になるとは、どういう意味ですか?」
乾「壁にボールを投げると、壁に当たって跳ね返ってきますよね。それがフィードバックだと思っています。そこに、良いも悪いもない。ただ反応が返ってくるだけ。ただ、人によってその壁の材質が違います。勢いよく跳ね返ってくる壁もあれば、投げた球がめり込んでしまって、跳ね返ってこない壁もある。それらも全てひっくるめてフィードバックだと思っています」

なるほど! フィードバックとは、壁となって自分が感じたことを相手にそのまま返すこと。思考のフィルターを通さずに、感じたまま伝えること。

もう少し掘り下げて聞いてみたくなった。

野見「具体的なシーンをイメージして聞いてみても良いですか?」
乾「どうぞ」
野見「たとえば何かしら自分がイラっとしたことを言われたとして。その相手に対して、フィードバックをしようと思ったとします。その時に『僕は構わないけれど、そういうことを言うと傷つく人もいるかもしれないよ』と言いたくなるときがあります。これは感じたままをフィードバックしたとは言えないのでしょうか?」
乾「はい。それはフィードバックとリクエストを混同してしまっています」
野見「フィードバックとリクエストを混同? どういう意味でしょうか?」
乾「フィードバックだけであれば『僕はあなたの発言によって傷つきました』だけで良いのです。リクエストというのは『こういう発言はやめてほしい』『こういう振る舞いをしてほしい』と言えば良いのです。これが、自分が感じていることをそのまま伝える、ということです。しかし人は、人からどう思われるか、相手を傷つけてしまうのではないか、などと考えてしまう生き物です。だから、自分の感じていることをそのまま伝えるということをせず、回りくどい言い方をしたり、誰かのせいにしたりしてしまう。ここが“壁に徹する”ということの難しさでもあります」

なるほど。 フィードバックとは、自分が壁となり、自分が感じたままを相手に返すこと。アドバイスや誘導、何かの意図を持たずに、ありのままを伝えること。これこそがフィードバックであるということ。ただし、これがどれほど難しいことか、僕はこれまでのインタビューを通して実感している。

乾「私の元に、最近相談に来る人が多いのですが、最初にあることを聞くようにしています」
野見「あること?」
乾「はい。アドバイスが欲しいのか、それとも共感してほしいのか、です」
野見「なるほど。なぜその質問を最初にするのですか?」
乾「アドバイスをすることが悪いという訳ではありませんが、その人自身が自分と繋がるには、やっぱり自分で感じるしかないんです。何にモヤモヤしてるのか。自分が今、何を感じているのか。そこに意識を持っていくためには、アドバイスは必要ありません」
野見「えー、苦しんでいる人を見ると、アドバイスしたくなりませんか?」
乾「もちろんなりますよ。笑 だから私も葛藤しています。だから、最初に本人に選んでもらうんです。分かっている人の場合は、敢えて共感を選びます。とりあえずこのモヤモヤを聞いてほしいと。その時の私のスタンスが“壁に徹すること”です。感じたことを、そのまま伝える。ついアドバイスを入れたくなるのを我慢しながらね。笑」

なるほど過ぎた。自分がフィードバックをするときの、基本スタンス。“壁に徹すること”。

次回以降は「フィードバックとは何か?」という定義の話ではなく、「壁に徹するにはどうすれば良いか?」ということをインタビューしていこうと思う。

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