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言葉にも「投資」と「消費」と「浪費」があるかもしれない

お金の使い方には3種類ある、と言われている。それぞれ「投資」と「消費」と「浪費」。目的によって呼び方が変わる。「投資」の目的は「増やす」。「消費」「浪費」の目的は「減らす」。ただし「消費」は「必要」であり、「浪費」は「不要」である、というところで分かれている。これが一般的な概念として僕が認識していること。

そして本題はここから。

「言葉」にも「投資」「消費」「浪費」があるのかもしれないと思った。「投資となる言葉」とは、たとえば「座右の銘」。自分がなにかあったときに立ち返れる言葉。元気や勇気をくれる言葉。これは自分にとって「投資となる言葉」じゃないかと思う。ちなみに僕の投資となる言葉は「人生は思い込みと錯覚と妄想と勘違いで決まる」だ。今から5年前にこの言葉と出会って、そこから未来が大きく変わった。今でも僕の人生において、資産(行動の原動力)を生み出し続けてくれている。

じゃあ「消費となる言葉」とは何だろう? それは「いま、必要な言葉」かもしれない。疲れているときの「大丈夫?」とか。何かを達成したときの「おめでとう」とか。誰かの労いに対しての「ありがとう」とか。これらの言葉は「消費」となる(ときに投資となることもある)。

とすると「浪費となる言葉」とは何だろう? それは「不要な言葉」かもしれない。不平不満や誰かの悪口、あるいは「それ、言う必要ある?」とか。余計な一言とか、お前には関係ねぇだろ、とか。そういった言葉は「浪費となる言葉」と言えるのかもしれない。

言葉にも3種類ある。「投資」「消費」「浪費」。自分が発したその言葉は、どれに当たるだろうか。今日1日の言葉の割合は、どれくらいだろうか。豊かな人生を歩んでいる人は、もしかすると投資の言葉が多いのではないだろうか。現状に不満を抱えている人は、言葉を浪費していないだろうか。

そんな観点で世の中にある言葉を見ていくと、また違った世界が広がるかもしれないなと。

僕が綴ったこの言葉が、誰かの人生を豊かにする投資の言葉になれば嬉しいなと、そんな祈りを込めて。

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