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生殺与奪の権を他人に握らせてきたアラサーが、海外留学を決めるまでの話。

自分で決めずに生きてきた人生だった。
自分でお金を稼ぎ、経済的に誰かの迷惑になることなく生活できるようになっても、
選択のやり方は、いつも誰かの正解を探していた。
幼少期は両親の正解を、大人になってからは職場の同僚の正解を探して、見つけて選んでた。

決め方を他人に委ねると、愚痴が出る。
いやいやだから。
誰かに全部決めてほしい人も多分いる。
その人がそれがいいなら、それがその人の正解だと思う。

けど私の場合、本当は自分でいろいろ決めたいし、自分の中からこれがいい!とか、こうしたい!がある人間なのだ。

だけど、それを優先するやり方をしてこなかった。
自分の中に答えがあるのに、選ばない。を繰り返してきた結果、どんどん自分で自分を苦しめていたと思う。
最初は自分で自分を苦しめていると、気が付いていなかった。
なんか行きたい方向に進んでない気がする。と自覚するところから始まった。
人生はゴールも、ゴールまでの行き方も、全部自分で決めていい。


海外留学を決めるまで、1年半くらい時間がかかってしまった。
じーーーっくり時間をかけて自分の正解をだすまでの戦績を記しておく。

2023年2月
3人しかいない従業員の内の1人が子育てをしていて、それがだんだん落ち着いてきて、そろそろ私も自分の生活に注目したいという気持ちが高まっていて、海外留学とかいきたいなー!と漠然と思っていた。
この時点で子育てしている従業員の生活を自分自身で中心にしてしまっていて、毎日自分の生活に注目して生きていなかった。

2023年5月
3回目の妊娠を告げられた。(安定期突入)

言えなかった。自分が留学を考えていたことを。
その代わりと言ってはなんだけど、
妊娠した人に対して、おめでとうとも言えなかった。
全方向どこから見ても動揺してたと思う。

人間としておわったと思った。
うわー!と思ってしまった。
新しい命の誕生など、無条件で嬉しいことなはずなのに。
開口一番、おめでとうございますと言えなかった自分を恥ずかしいと思ったし、自分で自分に落胆した。

そこからは本当に地獄だった。
着実に大きくなっていく同僚のお腹とは裏腹に
私は大切に育ててきた鉢植えに水をあげられなくなり、
元来朝型で一駅手前から散歩しながら出勤するような人間だった私が、
どうしても起きたくなくて、朝になるのも夜になるのも憂鬱で、睡眠不足になり、仕事に向き合えなかった。もう仕事を辞めたかった。

好きなことに関わる仕事をしているが、少数精鋭な分、ひとりが抜けると残された者の負担が増える。それを3回目。
詳細は省くが、一般企業ではないのでいろいろな制度が整っておらず、融通が利くと言えば聞こえはいいが、正直、紙一重ともいえる状況だ。

このままここにいても、同僚の人生の一部として存在し、いつも他人に合わせて自分の行動が決められてしまっていると思っていた。これも他責です。はい。


2023年の5月に信頼できる人に自分が留学を考えていることを相談した。
その人は私の話を最後まで聞いた後に、

きっとあなたの組織のトップは、話をすればわかってくれる人だと思う。
けど、その前に、あなたがどうしたいかが、曖昧だよね。まずはそこだよ。
と言ってくれた。
もし、何か手伝えることがあるなら、業界への恩返しをしていきたいと思ってるから、もしあなたがいない間できることがあるなら手伝うよ。と
半分はのんべえ横丁のママの言葉でもある。笑


もう一つ今でも覚えてることは、
「相手には相手の事情があるんだから、あの人はきっとこうだとかそう言うことは、絶対言っちゃいけないよ」と言われた。
これが、自分の人生を自分で選択していく要だと感じるので肝に銘じているが、未だに間違える時がある。まだ修行の身だ。


本当にその通りで、夜の渋谷を涙目で歩いたことをいまも覚えてる。
ぐうの音も出ないってこういうことだな。
挑戦したいけど、怖くて、周りに迷惑かけたくないとか口では言いながら、周りの状況を言い訳にしていただけだった。


そこからは、周りの状況をまずは一回全部無しにして、
場所も、経済事情も、全部無しにしたら、自分がいまどこで何がしたいかを自分に問うた。


とにかくあんなに好きだった仕事に行きたくなかったので、仕事を辞める理由として、海外留学を考えているのでは?だとすると、本当に留学したいのかどうかも曖昧なのかもしれないと感じ、こっそり転職活動をしてみたりなどもした。
とにかくいろんな角度から自分を観察して、動いて、を繰り返した。


2024年3月頃から
本格的に海外で一度生活してみたい。という気持ちが固まり、論点はどうやって行くか。ということになった。
気持ちが固まった理由の一つに、仕事が辛くて、嫌で嫌で仕方なくても英語のレッスンだけは楽しくて、むしろ自分の癒しになっていると気が付いたことと、英語を勉強する中で知り合った人たちと波長が合うことが大きかった。
きっと、英語を学びたいという気持ちが自発的な感情から始まっていたからだと思う。誰かに強制されたり、薦められて始めたわけではなかったからだと思う。


突然ですが、私の独占インタビューの一部を聞きください。
フリーキャスターの私さーん、お願いします。

Q.海外へ行くと言いますと、ワーキングホリデーや牛額などもございまずが、どうお考えでしょうか?
A.特にこだわりはないんですが、ワーホリだと年齢的に行かれる国がかぎられますよねぇ。

Q.もし、どこでも行ってよかったらどこにいきたいとお考えでしょうか?
A.野球が好きなので、アメリカいいですよね!いっそメジャー目指すのもありですかね。


とまあこんな様子で、小学生のインタビューみたいな、素朴な質問を自分にたくさんして、第一希望はアメリカに語学留学。という指針が決まった。

そこからは早かった。
エージェントを探して、説明を受け、見積もりとにらめっこして、自分の今の英語力を確認して、現実突きつけられて完全にノックアウトされたり。

金銭的な理由と、自分の英語力と最終目標をすり合わせた結果
10月~トロントで半年間、英語を勉強することが決まった。

最後は右手の人差し指が、クレカの支払い確定をクリックしたことが決定打となり、留学が決まった。
こんな大きな決断を指一本でできるなんて、令和、なんていい響きなんだ。

そんなわけで、

生殺与奪の権を他人に握らせていた私が、こんな大胆な決断ができるとは思っていなかった。
小さな小さな質問をたくさん自分にして、その答えをひたすら受け入れた。
きっと私は、自覚していないだけで、本当は全部わかっているんではなかろうか。
この決断が、自分を丁寧に扱うということの成功体験の一つとして、自分の中に君臨し続けるだろう。


現場からは以上です。






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