安部公房「密会」

 安部公房氏作の『密会』を読みました。
日本文学科出身にも関わらず食わず嫌いのすぎる性分のため、安部公房氏は読んだか、読んでないかわからないくらい。(授業で読んだかもしれない)
 当時の私は(今も?)割と潔癖に近かったので、昭和の文学わりと避けていたきらいがありました。……言い訳!
 
 安部公房氏は割と猥雑な印象だったんですが、知人に勧められて読みました。

 猥雑……ですね。それこそ、ビョーキ。皆んながみんなビョーキだという、そこで重要なのが患者になれるか否かという。これは社会の、私たちのことですよ、という。
 他人事から始まって、あれ、もしかして私たち渦中にいるの?という流れになってくる。
砂の女に続いて読んだのですが、一見荒唐無稽に見えて、緻密だなあというのが第一印象です。

 砂の女も、砂に絡め取られて足が動けなくなり、手が動かなくなりそして頭が、、最後には砂に魂を埋めたような男の話だったのだと思いますが(砂の女についてはもう少しゆったり再読してから書きたいです。なぜなら、一度めは砂にさらわれてしまったから)

 安部公房氏の作品は個人を描こうとミクロを見せつつ、それがマクロにわたるのがとても分かりやすい。異常、異端、そういったものが本当に異常で異端なのか、という。

 常識って、皆が信じているから常識足りうるわけで、信じる人が違えば、常識じゃない、世間と同じであるようでないような虚ろな存在なわけです……

 今回の話はあれですね、病院に取り込まれて取り込まれきれなかった男の話だと理解しました。社会に染まれないことによる絶対的な孤独。……合ってる?笑

 それにしても昭和が色濃い。女に人権をくれ……と思ってしまうが、男にも人権がないほどに色欲に飲み込まれてしまっているわけです。にしても女の人権のなさが異常だな。八号室の少女は、自分の治療もままならない。自分の存在が危うくなっているにも関わらず、どうかしようという意思もない。ただただ慰み者なのである。主体的だったことがないし、母もそう、気づいたら布団になってしまっていた。試験管ベビーも、妻(推定仮面の女)も。まあでも馬がアレを持ってしてウマになるあたり、脳が乗っ取られてしまってある意味では人権ないですが……、

 この感じを令和の時代に書こうとすると、書ける人がかなり限られてくるだろうように感じます。

 でもあれですね、淫猥な感じではなく、あくまでも猥雑。そこまで湿っぽい淫らな印象を与えないところの手腕はさすがです。
 秘められていないからでしょうね、盗聴で何もかも筒抜けになっているところに、淫猥は発生しない。なぜかって、秘め事だから。
 何もしていないけれど、高野聖(泉鏡花氏作)の方が私にとってはよっぽど淫猥です。(全てに渡って仄暗く水っぽい)

 淫猥レベル(何?)でいえば砂の女の方が淫猥でしたから、バランス感覚がさすがというか。
 乾いた砂に対する女と男の湿っぽさ、色情病院における病院内の無機質さの描写はさすがです。バランスを取るのが天才的に思えました。

 砂の女の読後感が謎の爽やかさをもたらしてくれたのに対して、密会はしっとりした絶望感。骨が溶ける少女と相まって、とても美しいラストシーン。
 病んだ社会、というものをまざまざと見せつけてくれる感じですね。

 勧めてくれた知人はおそらく外国語で読んでるんですが、これ、翻訳本当に大丈夫だった?!と思わないではいられないです。

 馬と副医院長の仄めかしかた、良かった。最初の一文であっこれわからないまま読まなきゃいけないやつだ!(疲れた脳には負担)と絶望したんですが、その割にわかりやすく、スイスイと読み進められますが、まあ病院内の構造が全くわからない。途中から理解するのをやめました。

だって、病院っていう病んだ構造に入り込むんでしょう?それは私たちの心理の迷路でもある、自分の心理の迷路を、本人は理解できる術がないわけです。

 女の人権の無さと、男の人権の無さの質が違うなと思いましたね。
ま、今でもしょうでしょうけど……。

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