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「始まり」としての片付けをしてきた。

昨日までの12日間、実家の片付けと祖父母に会うために帰省した。


父親が脳梗塞で入院した。
命に別状はないが少し手が動かしにくくなっているようだ。退院後のストレスが少しでも減るように実家の片付けを手伝うことにした。父親のためでもあるが、父親の介助をする母親のための方が大きかった。家事をするのは普段から母親だ。父親は皿ひとつ準備しない。


今年定年した後の再雇用生活だったが退職するようだ。退院後はずっと家にいることになる。父親に思いやりが少しでもあれば希望が持てるが、これまでの行いからそんな気配は感じられない。先が思いやられる。トホホ。


だからこそ、母親のための片付けだ。


少しでも見た目をスッキリさせて
少しでも家事の動線を良くして
少しでもモノを探す時間を減らして
少しでも暮らしからのストレスを減らしてほしい



実家に着いた瞬間から片付けモードに入った。手洗いうがいの流れのまま洗面所の下の収納を見直し。片付けたいところは次から次へと出てくる。こうなると夜寝るのが惜しくなる。


<結果>
・燃えるゴミ 15袋
・燃えないゴミ 段ボール大4箱分
・粗大ゴミ 書棚1つ・襖3枚・食器棚の扉3枚
・段ボール/本 軽自動車1台分

スッキリ〜〜〜


実は実家の片付けは2度目。
前回は2020年に1週間ほど。燃えるごみ22袋、収納棚を3つ、教科書類などを処分した。この時も家を全体的に見直したが、何より自分の部屋をスッキリさせたかった。学生時代の教科書とか手紙とか作品とか、実家に放置されがちなモノをスッキリさせたかった。



社会人になって、少しは自立した暮らしをするようになって、これまで親に扶養されていた時代と区切りをつけにきた。最中はそんな大層な気持ちでは臨んでなかったけど、振り返ってみればそんな感じ。つまり、「終わり」としての片付けをした。


2度目の今回は、「始まり」としての片付け
定年後の暮らしの始まり。それが介助生活と同時に始まってしまった。


となるとゴールはモノを処分することではなく、両親がストレスなく暮らせるようになること。


部屋の中をガサっと処分することを、モノを溜めがちな入院中の父親から許可をもらい、場所を取らない小さなモノまでいちいち母親に残すかどうか聞いた。使っているか使っていないかよくわからないモノや必要以上に在庫があるモノはほとんど家からなくなった。


気持ちよく家事ができるように、掃除もできる範囲でやった。軽いコードレス掃除機を買い足し、油っぽかったガスコンロは8時間以上かけてピカピカに磨いた。着きが悪くて買い替えようかと思っていたそうだが、ゴミやコゲが取れたおかげで見事復活。もう少し頑張ってくれそう。


証券口座の開設・銘柄選び・購入申込の手伝いもした。昔の通帳について銀行に問い合わせたり、奥から出てきた書き損じハガキやテレホンカードや宝くじの換金もした。


2人分の防災リュックも準備して、大きな家具には耐震補強器具も取り付けた。使わないアプリは消して、頻繁に届く未読のメルマガ配信も解除した。半年前から明らかな異音がしていたという車も即修理に持っていった。今日無事直ったと…まじよかった…


わからない、力がない、やる気が出ない、時間がない。母親一人じゃできないことに精一杯寄り添ったつもりだ。この家でこれから暮らすのは両親だ。そこを想像しながら片付けすることができたと思う。



海外旅行にでもいけちゃう12日間の長期休暇だったがあっという間だった。片付けにエネルギーを取られすぎて、noteに書き留める気が全く湧いてこなかった。でも片付けだけじゃなく、たまには買い物や外食に行き、祖父母にもゆっくり会うことができた。過不足なくピッタリ!といった感じ。



これだけの自由時間をこのタイミングで取れて本当によかった。後悔がない。時間が欲しいと思った時に欲しい分だけ取ることができる生活の大事さレベルがまた一つアップした。金も大事だが、生きている時間はもっと大事にしたい。


・・・

まあ、この後はどこまで片付けの成果が出るのかわからない。捨てすぎて父親にキレられるかも知らん。母親には無理に捨てさせてしまったかもしれないし、心配しすぎて過剰に意見したこともあったと思う。なので感謝せよ!とは思わず、やったことは忘れることにする。この日記も自分の記録用だしな。こうやって書くことで忘れるのだ。


あと自分、片付けが得意かもしれない。2年前の初回の片付けよりも上手くなっている感覚があった。ちゃんとパワーアップしてるんだな。


真中

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