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まつもとあつしさんと語る「アニメの今」(01)

毎月専門家のゲストをお招きして、旬なネタ、トレンドのお話を伺います。


今回からの対談新シリーズは、西田がお送りする。

お相手は、敬和学園大学人文学部准教授・専修大学講師でアニメを中心としたコンテンツに関わるジャーナリスト・プロデューサーであるまつもとあつしさんだ。

実は本対談コーナーに出ていただくのは2回目。前回は2017年6月だから、ちょうど5年前のことになる。

5年前はネット配信が日本でスタートする直前で、アニメのありようが変わり始めた頃だった。それから時間が経過し、日本でもネット配信は当たり前になり、特にアニメにとっては欠かせない収益源になっている。

一方、「ネット配信で映像は早送りで見られるようになった」などの言説も聞かれるようになってきたし、「配信によるバブル状況はとうに終わった」とも聞く。

コンテンツ視聴とビジネスの関係はどうなっているのか?

そんな疑問を、お互いぶつけ合ってみた。(全5回予定)

なお、初回分は無料公開されるが、2回目以降は都度課金もしくは月額制マガジン「小寺・西田のコラムビュッフェ」ご購読が必要になる。


■アニメはほんとに「早見」されているのか

西田:メルマガでの対談は2回目になりますね。あれはいつだっけ。前に。

まつもと:ずいぶん前に。

西田:ずいぶん昔ですよね。(注:2017年6月)

アニメの話でお願いしたんですけど、やっぱり時間が経って状況が大きく変わったじゃないですか。そのへんもあるので、あらためてもう一回というか、今の状況というのを整理しておきたいな、というのがこちらとしての意図です。簡単に言えば。

まつもと:わかりました。

西田:最初の話題というのが、Twitterでもちょっと話が出たんですけど、いわゆる「コンテンツを早送りして観る、スキップして観る」という行為はそんなに最近のことなのか?という疑問がずっとあるんですよね。

もっと言えば、本当に今の人たち、特に若者は、観方が変わったのか?ということに対して、アニメだとか、ドラマでもいいんですけど、コンテンツの観方が変わったのか?ということに対して、確信が持ててないんですよね。

もちろん、何の影響もないとは思ってないんだけど、そんなにサブスクになったからみんないきなり1.5倍とか2倍で観るようになりました、なんていう単純な話じゃないだろう、という気がしてるんですよ。

まつもと:うんうん。

西田:じゃ、今どうなってるのかな、というのはたぶん、まつもとさんのほうが若い方の実状には近しいだろうなと思ってるし、お互い同士でも意見が違うのかもしれないな、という気がしてるんですね。まずそこからいきたいな、と。どう思ってらっしゃいます?

まつもと:思うというか、学生にけっこう聞いてまして。授業とかで。そうすると、僕の授業なのでどうしてもアニメの話が多いんですけど、本編は飛ばしてないですね。

西田:ああー、なるほど。

まつもと:好きな作品を観てるので。オープニングとエンディングとか、次回予告は、配信の右下にスキップのボタンが出ちゃうじゃないですか。Netflixなんかは強制的にスキップしちゃうとかで、観てないと。私はそれは嘆かわしいので、ということで、授業でけっこうオープニングとエンディングをじっくり観る。それこそ、一時停止してクレジットをちゃんと観る。そここそが味わいである!と。

西田:はい(笑)。よくわかります。

まつもと:たぶん西田さんなら同意していただけるところですね。なので、好きな作品を観るぶんには飛ばしてない、というふうに思っています。だから、けっこう雑な話になっちゃってて。物語作品で、しかも好きな作品を観る、これはやっぱり飛ばさないですよ。YouTubeで何かノウハウを得るとか、情報を得たい、という時は、我々もたぶん飛ばしながら観ると思います。

西田:そうですね。

まつもと:というだけの話かな、というふうに。まあ、ちゃんと調査したというのではないので、確としたことは言えないですけど、そういうふうに捉えています。

西田:すなわち、ひとつポイントなのが、“情報としての映像”と、エンターテイメントとして、というとあれですけど、“楽しみとしての映像”というのがあると思うんですよ。で、“情報としての映像”を観る時に、映像って消費のための圧縮率が低い。すなわち、本みたいに斜め読みがしづらいので、どうしても時間がかかっちゃうので、飛ばして観たりとか、早送り、倍速再生したりする、というのはとってもよくわかるんですよ。自分もそうしてますよね。

まつもと:西田さんがおっしゃるように、本の飛ばし読みに喩えるとわかりやすいかもしれないですね。小説を飛ばして読むかというと、つまらなかったら飛ばしちゃうというか、読むのをやめちゃうと思うんですけど、面白かったら絶対じっくり読むじゃないですか。

西田:そうですよね。

まつもと:という話かなと思ってるんですけどね。

西田:そうですよね。そうすると、自分の楽しんでるものに対しては、まあ飛ばすことというのはほとんどない。僕らの時もそうだったじゃないですか。例えばたくさんアニメがあって、友達から「これを観ろ!」とVHSのテープを大量に渡された時に、観るけど、例えばオープニングとかエンディングは、中身を知ればいいや、と思ったら飛ばしちゃうことありましたよね。それに近いところがあると思ってて。それはもうしょうがないかな、というところだと思ってるんですよね。別に今時の話でもない、という。

■物語視聴と「理解」の関係

まつもと:あともう一つポイントがあるとしたら、もしかすると後ほど出されるおつもりだったかもしれないんですけど、映像の作り方。Netflixの映像コンテンツに顕著だと思うんですけど、なんというか、「スキップさせない」という言い方がいいのかな。スキップさせないことを意図してるとは思えないんですけど、Netflixは脚本家向けにセミナーとかをやってるじゃないですか。そこでも「こういう要素を詰め込んでくれ」と。それは、スキップさせないというよりも、視聴継続をさせる、ということですね。このふたつは似てるようでけっこう違うじゃないですか。

具体例を出したほうがわかりやすいので。『カウボーイビバップ』(実写版)とかって、なんでこうなったの?となったときに、Netflixのノウハウを適用するとああなるんだろうな、と。でもそれはオリジナル、原作と言うべきか。元の映像を知ってる人からすると、「なんで??」となって、残念ながらアンチのほうが上回ってしまった。

西田:うん。

まつもと:あのあたりの話だと思うんですよね。だから、僕、あんまり倍速って……う~ん?って感じがしてます。

西田:そうですよね。極論すると、観方そのものがテクノロジーで変わる、という話で言えば、VHSの時代から今まで、顕著な変化って実はないように思っていて。それは昔からそうだよね、という話でしかないな、と。ただ、“量”は変わったし、今おっしゃられたように、物語の作り方というか、どういうふうに構成するべきなのか、というのがビジネスモデルで規定されてる部分が出てきたので、そこが変わったとは思ってるんですよ。

まつもと:そうですね。これもTwitterに書いたことなので、西田さんは2回聞くことになっちゃうと思うんですが、メルマガ用に話すと。映画という技術が登場した時の映画って、とろいわけですよね。すごくゆっくりしてて、でもそれは視聴する側が映画というメディアにまだ慣れてなくて、非常に説明的であるわけですよ。「映画の観方はこうですよ」みたいな。そこから時代が経って、我々は映像の観方をよく学んで、お約束とか文脈みたいなものも共有化していったので、映像の中での密度を求めるようになっていった、という話である、ということだと思うんですよね。

西田:そうですよね。

まつもと:倍速議論はどうかな、と思いますね。

西田:そこがちょっと面白いな、と思うのは――ちょっと特撮で喩えますね。

東映作品によくあるのが、我々特撮マニアは「東映時空」とか言ったりするんですけど、なぜか場所が飛ぶじゃないですか。ある事件が起きていて、その事件が例えば戦いになったりとか、事件が一転するときに、突然場所が変わるわけですよ。それは撮影の関係があって、結局今だったら、さいたまスーパーアリーナの横に移ったりとか、もしくは幕張に移ったりとかしますよね。いわゆる岩山のこともある。でもこれって、ストーリー的に見ると時系列が崩れているわけで、画は繋がってないんですよね。画は繋がってないんだけども、「そういうものだ」というのをある種の迫力で理解させちゃった文化、というのが、70年代から2000年代までずっと続いてきたわけですよ。

まつもと:そうですよね。視聴者も、そこを指摘するのは野暮である、と、制作者との共犯関係が成立してるわけですね。

西田:そうそう。でもそれが、緻密にストーリーを楽しむ時代がやってくると、そういう繋がりの雑さというのがリアリティラインを下げているから、大人は観ないのだ、みたいな話になってきたわけじゃないですか。で、結果として、平成のライダーとかになると、特にいちばん最初の『仮面ライダークウガ』が顕著ですけど、リアリティラインを上げるために、時系列と移動場所というのをきちんとする。例えば『シン・ウルトラマン』にしても、あれは『シン・ゴジラ』に比べれば遥かにファンタジックな作品なんだけど、そういう時系列移動だとかというのはちゃんとしてるわけですよ。

まつもと:うんうん。

西田:アニメもそうで。アニメこそ、結局は絵で描いてるわけだからシーンごとにばらばらなんだけど、そういうリアリティラインみたいなのがしっかりしてる作品と、そうじゃない作品って、ばらばらなわけですよね。で、どっちが飛ばし観しやすいか、チラ見しやすいかというと、繋がってない作品のほうが絶対チラ見がしやすいんですよね。流れを理解しなくてもいいので。

――というものが、これまでのコンテンツの歴史の中で、こうこうこういう理由でこうなんだ、というふうに変遷してきてるわけじゃないですか。作り方も変わってきてるんだけど、そういう話をすっぽ抜いて「若い人は早く観てるんだよ」と言うと、それは若い人も「そうじゃないよ」と言うんじゃないのかな、という気がするんですよね。

まつもと:その通りだと思います。うちの学生とかは、いわゆる偏差値の高い大学ではないんですが、物語理解とか、行間を読むということを苦手とする学生がやっぱり多いんですよね。そういう経験を積んでないと。なので、彼らがどうしてるかというと、やっぱり「面白い」と思ったらじっくり観てますね。理解するために時間をかけている。だから、さっきの話じゃないですけど、スキップするということと、キャンセルするということの違いだと思うんですよ。あまりにも理解できなくて、not for meだと思ったら、キャンセルする、観てない。僕の役割なんかは、そこでキャンセルしちゃったけど、実は面白いんだよ、というところを導いてあげる、というのが今やってることの一部かな、と思います。

<次回へ続く>

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