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太田克史さんに聞く「今、物語はどこから生まれるのか」(1)

毎回専門家のゲストをお招きして、旬なネタ、トレンドのお話を伺います。

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今号から対談の新シリーズをスタートする。お相手は、編集者で星海社社長の太田克史さん。エンターテイメント小説の編集者として著名な方であり、「名前は知っている」という人もいるのではないだろうか。

物書きとはいえ、西田はニュースやノンフィクションで生きているため、太田さんの得意ジャンルとストレートに重なっているわけではない。だが色々な巡り合わせやお仕事などもあり、数年前に知己を得た。

色々取材する中で、「物語」とそれに付随するキャラクターのビジネス価値が高まっているのは間違いない、と感じる。一方で、自分が子供だった40年前、若造だった20年前と今とでは、物語の生まれ方や、それにかかわる才能を持った人々の姿も違うのではないか……と思っていた。

それを誰かに聞ける機会はないものか……と考えていたら、太田さんの名前が思い浮かんだ。同世代であり、物語を世に出すことの最前線で戦ってきた太田さんなら、西田の疑問にも答えてくれるのではないか。

今回の対談は、そんなところからスタートしている。

少々マニアックな話題も多いが、その辺も含め、お楽しみいただければ幸いだ。(全5回予定)

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■「昔話」は今の若者に通じない(当然ながら)

西田:僕が知ってる編集者の方って、どちらかというとノンフィクションの方が中心なんです。だから、フィクションを中心にいろいろずっとやってこられた方に一回話を聞きたいな、というのがあって。

なぜかと言えば、ここ10年、15年ぐらいの間に、物語というか、「我々が楽しむ物語がどこから出てきて、どんな形で見るか」って変わったと思うんですよ。

太田:わかります。なにしろここ10数年でメディアをとりまく環境がすっかり変わってしまいましたからね。

西田:大昔は、小説は小説。それが売れたらコミックになる、あるいはその逆にコミックが小説になる、みたいな比較的シンプルなパターンが続いたんだと思うんですよ。

それが80年代・90年代になり、その流れが2000年ぐらいまではなんとなく続いたと思うんです。

でもこの20年、15年は明らかに違うじゃないですか。

どんなところから新しい人が出てくるかも違うし、それをどうやって消費者に届けるのかも変わった。本の形で届けるのか、映像作品の形で届けるのか、……今日その話が出ると思いますけど、今太田さんが熱心に取り組んでいる朗読劇の形で届けるのか。そんなところも変わってきてるわけですよね。

それって、「物語を伝えること」をビジネスにしている立場の方から見るとどうなのかな、というのが、素直に聞いてみたいところがあって。

というのは、僕はNetflixの取材だとかゲーム会社の取材だとかで、「どういうふうにビジネスとしてコンテンツが出ていくか」、というのは知ってるわけですよ、一応。

一方で、じゃその中で、物語を作ってる人がどう思ってるか、出し方――昔と違っていろんな出し方が出てきてる中で、出し方について、手ごたえとかそういうものがどう変わっているのか、というのはわからない。

これはストレートに聞いたほうがいいなと思って。

それを聞ける人として近くに誰がいるかな……と考えた時に、いちばん良いのは太田さんなのかな、と。

太田:ありがとうございます。

西田:と思ったので、今回、お話を伺おうというふうになった次第です。ちょっと前置きが長くなりましたけど。

太田:たぶんですね、そういう疑問を持つこと自体が西田さんや僕たちの年代の人間に特有のことであって、それはある程度年齢を重ねた人間がゆえの疑問なんだと思うんですよ。

西田:はい。

太田:特に今、若い子からするとキョトンとするような話だと思うし。

西田:そうでしょうね。

太田:今から僕が話すような話をしても、うーん、今もこの言葉使うのかな……「この人は『アレ俺』の人なのかな」みたいな感じに思われたりとか、「こいつは自慢しいだ」みたいに思われるかもしれないんですけど。

まず最初に端的に言わせていただくと、今の西田さんの話を聞いていて僕がすごく思ったのが、「そうかそうか。自分は確実に、西田さんがそういう疑問を持つような、今の状況を作るのを後押ししてきた側の人間なんだな」ということです。

西田:そうでしょ。

太田:はい。

たとえば、大人向けの小説レーベルで漫画・アニメ・ゲームのイラストを使うだなんて、昔は考えられないことだったんだ、それを僕は変えてきたんだという話を、先日10歳ちょっと下のライトノベル作家に話したらもうポカーンとしてて。

西田:ああ、そうでしょうね。

太田:えー、みたいな。

「漫画・アニメ・ゲームのイラストを大人向け小説の装丁に使うことに、そんなに拒否反応がある時代が本当にあったんですか?」とかって言われるんですよね。

西田:はいはい、ええ。

太田:「それはたぶん僕が始めたことです」って言うと、反論する人もいらっしゃるだろうし、「全部お前の手柄だと思うなよ」って言われたりもすると思うんですけど、当時を知ってる書店員さんとかがいたら、「確実にそれは太田克史という編集者が始めたムーブメントです」って答えてくれると思います。

西田:そう思ってます。

太田:今でこそ当たり前になりましたけど、大人向けのレーベルで、漫画やアニメやゲームのイラストを使って大人向けの小説を戦略的に出す、という編集って、それは僕が講談社ノベルスで始めたことだと思うんですよね。

ただ、その編集方針は当時はもう風当たりがすごくってね。著者、編集者、読者からボロクソに言われてましたから。

西田:うんうん。

太田:ある小説家の方からは、俺の家の庭には太田を埋めるスペースを用意してるからな、って半分は冗談にせよ半分は真顔で言われたこともあったくらいで……そうそう、当時、僕の
同志的な存在だったある作家さんと、「いつか講談社ノベルスの新刊の表紙が、全部、漫画・アニメ・ゲームに由来する絵で飾られるようになるまで頑張ろう、レジスタンスしていこう」みたいな話をしていたんですよね。

西田:ほうほう。

太田:数年経って、「太田さん、ついに革命できましたね!」って彼が言うから、「何?」と聞いたら、「僕との約束を忘れたんですか」って言われて。

「あ、忘れてた」って(笑)。

彼が「今月のノベルスの新刊は全部そういうイラストです」って。当時それまですごく不満を言っていた著者も編集者も読者も全員が変わった、勝った。と言ってくれて。

でもね、ほんとに、当時の軋轢はその話だけで一時間経っちゃうぐらい大きかったんですよ。

まあそれは本の体裁、装丁の話なので、ここらへんはざっくり切ってもらってもいいのかな……いや、まあ、関係ない話でもないのか。むしろ今日の話の本質かもしれない。

■小説が「小説だけを読む人」以外からも生まれていく

太田:ともあれ、つまり、話を少し戻してかつあえて少し雑に話をしますが、小説を書くという人は昔は、基本的には「小説を書くためだけの才能」の中で終始していて、つまりは「小説を読んで小説を書く人」がメインだったんですよね。

西田:ああ、はい。なるほど。

太田:ところが90年代の半ば以降から、たとえば僕が属していた講談社ノベルスなんかでも、それまではミステリを読んだ人がミステリを書いていたところに、突如として漫画、アニメやゲームの影響を受けてそれをミステリに取り入れる人というのが増えてきたんですよ。それは当時は、非常に異質だったんです。

西田:うん。

太田:最初にそういったオタク的なサブカルチャーのミームを積極的に作品に入れ始めたのは麻耶雄嵩さんですね。『貴族探偵』の。つまり、オタク的なミームを本格ミステリの中に最初に入れた人は誰かと問われたら、これは間違いなく麻耶雄嵩さんなんです。

で、それをあからさますぎるくらいあからさまに取り入れて先行世代から大批判を受けたのが清涼院流水なんですよね。

西田:ああ、はいはい。

太田:たとえば彼は本格ミステリに『ジャンプ』のミームを積極的に取り入れたんです。

当時、すごく批判されていたのが、いわゆる必殺技と探偵の推理方法がイコールになる、彼のデビュー作『コズミック』からスタートする『JDC』シリーズ。僕は大好きなんですけど。「車田正美の影響がある」みたいなことを僕らより年上の人から言われていましたね。

『ジャンプ』の影響を受けて本格ミステリを書くとはいかがなものか、みたいなテーゼが、当時は真面目な話としてあったんですよ。で、当の流水さんや僕はせめて『幽白(幽☆遊☆白書)』の影響がある、ぐらいに言ってほしいわけですけど、年上の人だとやっぱり車田正美になるんだねえ、みたいな話をしていて(笑)。

西田:うんうん。

太田:たしかにもちろん車田先生は読んではいるけど、70年代前半生まれの僕らからしてみたら批判するならするにせよもうちょっと新しい『ジャンプ』を勉強してほしい、って……。

西田:そうそう。

太田:批判する人はやっぱり基本年上の人が多かったんで。

少し横道に逸れましたが、つまり、物語を作る想像力の源泉というところが、小説を書く人は――もちろんそれまでも音楽を聴いたり、映画を観たり、何かの影響の中で小説を書くわけなんだけれども、あからさまにオタク文化がアプリオリにあって、そのデータベースの中から引用してきたり、パッチワークしながら物語を作る人、というのが最初に出始めたのが、おそらく90年代後半からゼロ年代にかけての出来事でした。

たぶん、そこに僕という編集者が、当時の僕の年齢は20代末、30代あたまぐらいで若すぎるくらい若くて、ぴったりフィットしちゃった……というのが、僕の側から個人的に見たひとつの文学史なんですよね。

僕より年上の人の出版業界人――もうかなり少なくなっちゃったんですけど、当時のことについてなんとなくばつが悪そうなことを言ったり、すごく攻撃的になるのって、当時の僕のことをめちゃくちゃ言ってたからだろうと密かに僕は思っているんですよね。

西田:(笑)。

太田:「太田はオタクだからああいう本しか作れない」とかって言ってた人たちが、今は普通に漫画やアニメやゲームのイラストの装丁で本を作ってるわけですよ。人間としての最低限のプライドはあるみたいだから、なおさらばつが悪いんだと思います。すごく。

一回人をバカにするんだったら、ずっと僕をバカにし続けて、作家さんも、編集者もそういう本を作らなければいいと思うんですけど、まあ、みんな作ってますよね、という。それは時代が変わったんじゃなくてあなた方が変わったんだよ、と言いたい。

西田:その当時は、結局僕は完全に物語の仕事はやらず、読んでる側の人間でしたけど、その人間の立場、同じ世代から見れば太田さんの編集方針は当然のことだったわけですよね。変な言い方だけど。

太田:そうです、そうです。

西田:最先端のものがコミックとかアニメから生まれていたんだから、それが小説に浸透していくというのは当たり前のことだった。

太田:当たり前のことなんです。

だから、僕という編集者や同志的な小説家や絵描きたちに代表される、「我々」が頑張らなくてもいずれは誰かがやったことだし、「我々」だけが頑張ったわけじゃ決してないです。でも、当時意識してそういうムーブメントをやっていた編集者というと、本当に一握りだったと思いますね。最初は、僕以外にいなかったと思います。

西田:そうですよね。

太田:だから、90年代半ばからゼロ年代にかけてという時代は、ひとつはそういう漫画やアニメやゲーム的な、オタク的なカルチャーがそのまま、僕の場合は本格ミステリだったり、あるいは純文学だったりに浸透していく時代だったんですよね。ここが現在の物語のありように続いてくる非常に大きな転換点になったと思います。

そしてもう一つ、かつての自分に編集者としての栄光があるとしたら、これは竜騎士07さんに言われたことなんですけど、「自分にとっての太田克史という編集者の最大の功績は、我々ゲームの側から出てきた人間に小説を書かせたことです」と言われたことがあって。

あ、なるほど、端的だな。確かにそれはひとつあるかも、と思ったんです。

■「王道でないゲーム」から生まれる才能

西田:うん。それはすごく重要で。これは太田さんが覚えてるかどうか分からないんですけど。

太田:忘れてると思いますよ。僕、自分のことにかけてはひどい忘れんぼうなんですよ。自分自身にはあまり興味や関心もない。

西田:この前、去年かな。お会いした時に、「技術的になにか気になってることありますか」と太田さんに聞いた時に、「インディーゲームをウォッチするには、結局どのプラットフォームで、どのくらいの性能を用意しておけばいいですか」って言われたんです。ものづくりの才能を見つけるには、インディーゲームは絶対にウォッチし続ける必要があるので……という話をされて、「その通りです、お見事です!」という感じの印象があったんですよね。

太田:はい。

西田:昔は、ゲームから話が出てくるといったときに、日本的な場合には、大手と違うところとして、いわゆるエロだったり同人だったりというのがあったわけだけど、今の構造からいったらば、それはやっぱりインディーゲームのほうが、なんというかこう、見つかってない才能がいる場所ではあるので。

ああやっぱりそこに注目してるのだな、とすごく納得した記憶があったんですよね。

太田:ああ、西田さん、今日はいい話がありますよ。今まさに太田が一生懸命取り組んでいる最新の朗読劇『デッドロックド・ディティクティヴズ~百万探偵都市の史上最悪密室~』の脚本をやった人がamphibianさんという方で、いわゆるインディーの枠から出てきた人なんです。

彼は『レイジングループ』というループものの傑作ノベルゲームを出して、世に出てきた方です。この朗読劇については後でくわしく話したいんですけど、選択肢がついた朗読劇で、「観客のみんなで一緒になってノベルゲームをプレイするような感覚」でやろうよ、とイメージして作った朗読劇なんですよ。

でも、話を戻すと、amphibianさんの大元はまぎれもなくインディーゲームですよね。インディーゲームって、何をもってインディーとするのか、とよく言われますけど、制作予算とかの規模の段階で言うんだったら、『レイジングループ』は完全にインディーだと思います。

で、日本でいちばん最初にそういうインディーゲームのシーンが出てきたのは実は今あるSteamじゃないんですよね。今だけから見ると「インディーゲームってほぼイコールSteamだよね」になるんですけど、日本のインディーの「源流」はそうじゃない。

西田:そうじゃないんですよね。

太田:90 年代から2000年代にかけては、秋葉原の路面店の一階は全部美少女ゲームとか、同人ゲームでフロアが埋まってるような時代があってですね。言ってみればそれこそが日本のインディーゲームシーンの黎明期だったんです。

西田:ええ。

太田:そこが、今の若い子に話しても分からないんですよね。

西田:ああ、それは分からないでしょうね。

太田:分からないんですよ。彼らは「え、そんなことって本当にありえます?」って。

西田:そうか、もう10年以上前の風景ですもん。

太田:そうなんです。

「エロゲーがそんなに大規模に売ってるって、そんな時代が本当に……」とかって言われて。

いや、当時はDVD-ROMとか、下手すりゃCD-ROMとかの時代で……と言うと「光ディスクドライブとか僕、ひとつも持ってないです」って(笑)。昔はそういうのはパソコンに全部ついてたんだ、ソフトウェアはそれでインストールしてたんだってそのあたりから説明しないと分からないんですよね。

<次週に続く>

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