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東京のひとにもまれてきました

MNHの小澤です。

今やMNHの大きな柱事業である「ひとスナック」。
このアイデアの発端は、「つや姫スナック」を一緒につくった、蔵王米菓さんとの出会いにある。

蔵王米菓さんがつくれる米菓の型がいくつかあり、その中に「タコ」があった。製造の都合上、4本足にしかできないのだが、これが「人の形に見える」と。MNHの企画担当が発見した。

そして、当時注力していた山形エリアで、人型スナックの企画を考えはじめたのだった(*1)。しかし、既に山形で同じ"米菓"である「つや姫スナック」を販売していたので、似たような企画を進めるのはどうかなぁ、と足踏みをしていた。

そんな背景があった2013年の春。
桑沢デザイン研究所の夜間の学級にて、MNHが商品デザインの講座を任されることになった(*2)。昼間に比べて本気度が高い社会人学生を前に、ぼくらは言った。

「人の形をしたスナックがあります。これをどのように売ったら良いでしょうか?パッケージを含め提案してください」

…つまり、その時まさに懸案中だった課題を、まんまお題にしたのだった(笑)。

30名の学生の中で秀逸だったのが「東京のひとにもまれてきました」というフレーズだった。タッグを組んだ2名の学生が、大都会・東京の人混みや混雑を揶揄し、それにもまれてヘロヘロになった東京人という自虐ネタを、パッケージのグラフィックデザイン案とともに提案してきたのである。

ぼくらは「これはおもしろい!」と実際に採用することにしたのだ。
これが「東京のひと」という商品のはじまりだ。

もともと山形での人型スナックの構想時に「山形の人の特徴を捉えたフレーズを入れたユニークなお菓子」というコンセプトはあったものの、このようなエッジの効いた自虐ネタに昇華できたのは、まさに彼らのおかげである。
表面デザインのみならず、企画の根本の主旨も的確に捉えていた、その優秀な学生たちには、うちの会長も入社のお誘いをかける程だった。

そして、2013年10月に東京タワーで販売が開始された(*3)。
そのひろーい売り場で、「東京のひと」は瞬く間に注目され、結果、月に何千と売れていったのである。
しかし、多くの東京のお土産売り場は大企業ががっちりと握っているため、その後の展開は難しかった。

一方で、この「ひとスナックシリーズ」は、幅広く地域展開もした。
現在は40種類程度に落ち着いたものの、多い時は全国で百何十種類もやっていたかと思う。この商品企画の提案をとおして、地域の流通販路も一気に広がった。

ちなみにこのシリーズはすべて蔵王米菓で生産をし、最終梱包には福祉作業所の労力も取り入れてきた。そして、ハロウィン限定で販売するMNHの「ゾンビスナック」の企画にもつながっていくのだ(*4)。

(*1)「山形の人って~~だよね」というように、山形県民の特性をパッケージに掲載するような企画を検討していた。当時『アド街ック天国』や『秘密のケンミンSHOW』など地域の特性を紹介する番組が流行っていたことから、着想した。

(*2)菅会長が桑沢デザイン研究所の人と知り合いだったことから依頼され、2013年の4月・5月・6月と毎月授業をやっていた。

(*3)菅会長が創業した大手雑貨メーカー・ノルコーポレーションの店が東京タワー内にあり、その売り場に置かせてもらった。

(*4)つや姫スナック、ひとスナックシリーズ、ゾンビスナックをつくっていただいている蔵王米菓は、今では中谷製菓と並び、MNHの2大仕入れ先となっている。



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