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なぜ、余計な投資をしてはいけないかー15年前に巻き込まれた事件ー

15年前の2008年だったと思う。
ゴールドマン・サックス証券で新卒6年目を迎えていて、トレーダーとして一人前と言えるくらいにはなっていた頃の話だ。

夏のある日、冷房の効いた会議室で、僕は嫌な汗をかいていた。

「お前、知ってる? 他社で100億稼いでる奴いるってよ」
会社のえらい人に突然呼ばれて、そんなことを言われた。
2008年といえば、リーマンショックが起きた年だ。水面下では世界中の金融機関をまきこむ別の大事件が起きていた。しかし、このときはまだ全体像が見えていなかった。

15年経った今、投資のアドバイスを求められても、僕はたった一文しか返さない。
「余計なことしないで、インデックス投資だけすればいい」
投資を教えるのが面倒くさいわけではない。
この言葉に大事なことが集約されている。
15年前の自分自身の経験に基づいているのだ。

自分が少しでも不利な立場にいると、簡単にカモにされてしまう。
そして、自分が不利な立場にいることに気づくのは、本当に難しい。

僕は当時、金利スワップという商品の取引をしていた。
金利と聞いて、一番身近なのは住宅ローン金利だろうか。日本銀行が利上げをしたら、住宅ローンの金利が上がるかもしれないと、びくびくしている人も多いだろう。
今から6ヶ月間は、0.5%の金利で借りられるとしても、6ヶ月後の金利は現時点ではわからないX%。そのXが10%になっていたら困ってしまう。

そういう人たちのために取引されるのが、この金利スワップである。
金利が上がったらどうしようかと困っているあなたに僕は提案する。
「半年後に判明するX%という金利を僕が代わりに支払いますよ。その代わり、僕に対して2%の金利を支払ってください」

この取引をしていれば、仮にXが10%になっても、あなたの支払う金利は2%ですむ。
僕にとってみれば、ギャンブルに近い。Xが1%ならば、あなたから2%を受け取って、1%を払うだけだから、差額の1%分もうけることができる。
ところが、金利が10%に上昇していると、僕は大変困ってしまう。10%支払わせられるのに、2%しか受け取れないのだから、8%損することになる。
金利スワップという取引はざっとこんな感じである。

実際に僕の取引相手になるのは、個人ではなく、大企業や金融機関、海外のヘッジファンドと呼ばれる投資家たちもいる。

「金利スワップ?そんなマニアックな商品知らねえよ」
そう思う人はきっと多いだろう。
しかし、取引される額は、年間数千兆円にものぼる。もしかするともう一桁上かもしれない。株式市場よりもずっと多い。
この金利スワップで指標として使われる6ヶ月の金利X%は、LIBOR(ライボー)と呼ばれていて、当時は毎日発表されていた。

説明が長くなったが、このLIBORを僕は毎日気にしていた。
「でもさ、長いあいだ、日本はゼロ金利なんでしょ?金利なんて毎日変わらないだろ」
もし、そんなツッコミをしながら読んでいる人がいるなら、なかなかの事情通だ。
その通りである。短期金利は0%に張り付いていて、LIBORが動くと言っても、誤差の範囲。せいぜい0.01%の話である。

しかし、扱う金額が大きいと、この0.01%がボディーブローのように効いてくる。
ある日のLIBORを支払う契約を、多いときは1兆円分くらい持っていたりする。そこで、0.05%くらいだろうと思っていたLIBORが、0.06%だと発表されたりすると一大事だ。
支払額が、5000万円も増えてしまうのだ(1兆円 x 0.01% x 0.5(半年分)=5000万円)

毎日5000万円も損していたら大変なのだが、もちろん儲かることもある。
LIBORを支払う側の場合もあれば、受け取る場合もある。低くなることもあれば高くなることもある。
損したり、得したり、毎日コインを投げているようなものだ。1年を通して、裏が出続けるわけではない。
だから、その誤差のような動きをまったく気にしていなかった。

ところがである。
2008年の夏、上司に言われたのだ。
「お前、知ってる? 他社で100億稼いでいるってよ。短期金利で」
正直、驚いた。
100億稼いでいること自体はそこまで不思議ではない。しかし、それを短期金利で稼いでいるというのだ。日銀によって0近辺に張り付いている短期金利なんて誰も見向きもしない。事実、ほぼ全ての金利トレーダーは長期金利をメインに取引していた。

驚いてばかりはいられない。彼は驚かせるために話したのではない。
その言葉の裏には、
「どうして、うちは短期金利でもうけれないんだよ」
という怒りが隠れているのは明白だった。
嫌な汗が首筋に流れた。

一ヶ月の猶予が与えられた。
短期金利で100億を稼ぐ方法を見つけないといけない。場合によっては、僕自身の存在価値が問われる。
とはいえ、何の手がかりもないのである。
書店にいけば、億万長者になれる本がならんでいるが、公表されているのは、手垢にまみれた手法でしかない。
誰にも知られてない、稼げる方法をよろこんで話すお人好しは存在しない。

ひとつ手がかりがあるとすれば、さっきのLIBORだ。さっきは5000万円損することもあると話したが、運が良ければ1日5000万円が儲かる。もしも、毎日5000万円のギャンブルをして、240営業日連続でコインの表が出続ければ、120億円になる。
さっきの、100億円稼いでいるとう話もまんざら嘘ではなさそうだ。

しかし、そんな偶然は存在しない。240回連続でコインの表が出る確率は、10回連続で年末ジャンボの一等に当選することとほぼ同じだ。
140勝100敗くらいなら、かろうじて0.5%くらいの可能性はある。しかし、それだと20億円しかもうからない。
もしも、金利の動きがあてることができるならば、話は別だ。コインを振るギャンブルとは全く違う。
ところが、このLIBORがどうやって決まるかは謎だらけだった。

10以上の銀行が、他の銀行に対して6ヶ月お金を貸す場合の金利を提示する。それぞれの銀行が提示した金利の平均がLIBORとして発表されている。
もっともらしい説明だが、この提示する金利というのが、くせものなのだ。

なんでも鑑定団で提示される価格みたいなものだ。
鑑定士が「僕が買うとしたら、500万円くらいかな」のノリで提示しているだけで、実際の取引価格ではない。鑑定士のさじ加減ひとつで決まってしまう。
それと同じで、銀行が提示する金利も、実際に貸してくれる金利ではない。

では、なぜ、銀行の提示する金利が毎日動くのか?
大きな動きは説明できることもあるが、細かい動きについては、そのメカニズムがほとんどわからなかった。

そして、一ヶ月後、無情にも上司に報告する日がやってきた。
LIBORの取引でもうけているのかもしれないと推測はできたが、その具体的な方法はわからなかった。
これまでの人生で、与えられた課題はだいたい解決してきたし、それが自分の存在意義だと思っていたから忸怩たる思いだった。
一つもうけられる可能性があるとすれば、不正をしていることだ。
さじ加減ひとつで決まる数字を操作でもしないかぎり、100億なんて儲けられるはずがない。そう伝えた気がする。

上司には、負け惜しみのように聞こえただろう。
顔には出さなかったが、失望していたことは想像に固くない。

この後、この話は大事件へとなっていく。
7年後、2015年ロンドンの裁判所に、一人の元トレーダーが出廷する。彼は2008年に東京にあるスイス系銀行に勤務していた。

(僕のnoteは基本的に無料公開ですが、表だって書きにくいこともあるので、今回はこの先は、有料にしました)

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