見出し画像

高い商品を売っても賃金が上がらない理由

春闘での約5%の賃上げが33年ぶりの高さということで話題になっている。とはいえ、これは労働組合に加入している人たちの話。中小企業で働く人が7割を占める日本において、組合組織率は10%にも満たない。

高い商品を作るか、クビにするか
仮に全体で5%賃金が上がっていたとしても、近年の物価上昇のペースには追いつけず、実質賃金は低下し続けている。
「賃金を上げるには労働生産性を上げること」というのが一般的な見解だ。労働生産性とは、おおまかにいうと、投入する労働に対してどれだけの生産できるかということ。企業の労働生産性を上げるにはシンプルに考えて2つのアプローチがある。
まずは、生産額(生産量x価格)を増やすこと。しかしながら、日本のような成熟した経済においては、生産量を増やすことには限界がある。
買ってもらえる量を増やすことは難しいからだ。リビングにテレビをもう一台置こうとはならないし、食料品を2倍食べようとはならない。
生産量を増やせないなら、価格を上げるしかない。実際に高機能なテレビを作ったり、高品質なイチゴを作ったりして客単価を上げる努力をしている。
企業の労働生産性を上げるもう一つの方法は、投入する労働を減らすことだ。要は働く人をクビにする。
「クビになんかできない。高い商品を作る努力をすべきだ」
終身雇用を是としている日本では当然の選択に思われるが、実はここに大きな落とし穴がある。日本全体で高い商品を作る努力をしても実質賃金は上がらない。ポイントは、「全体」というところにある。みんなが高い商品を作れば、みんなが高い商品を買わされることになるからだ。
高い商品を作るか、クビにするか、どちらがいいのか。架空の村を作って実験をしてみると、答えは明白になる。

高級おにぎりを作る村
ここに10人で暮らしている村があるとする。シンプルに考えるために、住民はおにぎりだけ食べて暮らしているとする。この10人はおにぎり会社で働いている。自分たちで育てたお米を炊き上げておにぎりを作る。
一つ100円のおにぎりが毎日コンスタントに30個ずつ売れる。
当然である。朝昼晩と10人がひとつずつ買っているからだ。
1日の売り上げは3000円。働く10人でこれを分けると、一人当たりの賃金は300円。それぞれの村人は賃金として受け取った300円を支払うことで、毎日3個ずつのおにぎりを買って暮らしている。
おそらく江戸時代はこれに近い暮らしだっただろう。村の中でおにぎりが売られていたわけではないが、多くの人がお米を作るために働いているという点ではかなり近いはずだ。
さて、このおにぎり会社は売り上げを増やそうと、高級おにぎりの研究開発を行う。米の栽培方法、米の炊き方、おにぎりの握り方にこだわって、1個200円の高級おにぎりの開発に成功する。結果、1日の売り上げは3000円から6000円に倍増。給料も300円から600円に増える。こうして200円のおにぎりを3個食べられる生活に変わる。
しかし、賃金も2倍、物価も2倍になっているから、実質賃金はあがっていないのだ。
実質賃金をあげるには別の研究開発をする必要があったのだ。

雇用を減らして雇用を生み出す
それは、品質ではなく、生産効率を高める研究開発である。少ない人数で米を栽培し、おにぎりを作る。5人で30個のおにぎりを作ることができたら、1日3000円の売り上げを5人で分けることになるから、賃金は300円から600円に上がる。
クビになった5人は、このまだとまずいと思い、新たな事業を始める。たとえば、ビール会社だ。
麦を栽培して、ビールを作る。一本300円。10人の村人が毎日一本ずつ買えば、売り上げはこちらも3000円で、一人あたりの賃金は600円になる。
つまり、この村の住民は600円の給料で、おにぎり3個(1個100円)とビール1本(300円)を買えるようになった。
こうして、既存の産業の雇用を減らして、新しい産業の雇用を増やすことで、経済は進歩してきた。その結果、現代では、米やビールだけでなく、衣服、電化製品、教育などさまざまな製品やサービスを手にすることができている。
実際に、100年前にくらべると賃金に対して支払う食費の割合は3分の1になっている。もしも雇用を減らす努力をしなければ、実質賃金は上がらず、新しい製品やサービスを手にすることはできなかった。雇用を減らすだけ減らしても失業者が増えるだけでは意味がない。雇用を生み出すという意味でも、ビール会社の例のようなイノベーションが必要になる。

しかし、近年の日本では真逆の努力がなされていた。「日本経済は成熟しているから新しい需要を生み出すことが難しい」と考えて、高機能高付加価値のものを作る努力をする企業が多かった。これは高級おにぎりを作る村と同じで、実質賃金は上がらない。一方、隣村のアメリカではイノベーションが起きて、iPhoneやGoogleが作られ、実質賃金も上昇した。
そして、日本はアメリカから新しい製品やサービスを輸入するようになった。生活は便利になったが、使ったお金は外に流れていくので自分たちの賃金には反映されない。これもまた、実質賃金が下がっている理由でもある。

少子化が引き起こす賃金上昇
春闘で大きく賃上げが上がったが、これには少子化の影響もある。応募者が減っているため、給料をあげないと新入社員を採用できなくなっているそうだ。
先程の村の例とは異なり、実際の社会では10人の生活を5人くらいの働く世代が支えている。今後、少子化が進んで働く人の割合が4人に減れば、結果的に賃金をあげることは可能になる。3000円の売り上げを5人で分ければ一人600円だが、4人で分ければ750円になるからだ。
しかし、それを実現するためには、AIなども活用して少ない人数で社会を回せるようにならないといけない。

『きみのお金は誰のため』にも、こんな話を書いた。

お金が稼げなくなるのは困る。AIの活躍する未来に、優斗は不安を覚えた。
 ところが、ボスの考えはまるっきり反対だった。
「経済は、ムダな仕事を減らしてきたから発展できたんや」
「どういうことですか?」と七海がたずねる。
「昔は、大勢が鍬や鋤を持って、田畑を耕しとった。トラクターなんかの機械ができたおかげで、仕事は激減した。そうして手のあいた人たちが、新しい仕事に取り組んで、新しい物を作るようになったんや。七海さんの腕時計や、このケーキがいい例やで」
 ボスの皿のシフォンケーキは、そのまま残っていた。
 そこに添えられたミントの葉を見つめる優斗に、疑問が芽生えた。次々に欲しいものや必要なものができれば、仕事は増えるだろう。だけど、と優斗は思う。
「新しい仕事が増えなかったら、やばくないですか?」
 当然の心配だと思ったが、それこそがお金に囚われている証拠だとボスは言う。
「百人の国の話と同じやで。僕らが食べているのは、お金やない。パンが必要なんや。ロボットが活躍して仕事が減っても、生産されるパンは減るどころか増えるやろう。それなのに、生活できない人が増えるなら、パンを分かち合えていないってことや。せっかく仕事を減らせたのに、会社のえらい人や仕事のできる一部の人だけが得をしているという状態なんや」
「分かち合う…ですか」
 それは、優斗が考えたことがない視点だった。

『きみのお金は誰のため』より

経済成長の本質は、不要な仕事を減らし、新しい価値を創造することにある。
NISAも始まって投資熱が高まっている。より多くの視線が企業の活動にフォーカスされれば、イノベーションが起こりやすくなる可能性はある。
それと同時に、社会全体にも視線を向けて、持続可能な成長や公平な富の分配についても考える必要がありそうだ。


(この先は有料部分。今週の活動記録やこぼれ話)

ここから先は

1,356字

半径1mのお金と経済の話

¥500 / 月 初月無料

お金や経済の話はとっつきにくく難しいですよね。ここでは、身近な話から広げて、お金や経済、社会の仕組みなどについて書いていこうと思います。 …

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?