自分を甘やかす 2013-01-24
昨日のレッスンでは、自分を甘やかす事と、自分に正直なことの差を探究してみることにしました。
最近、お菓子をなんとなく食べてしまう、晩御飯をなんとなく食べて帰ってしまう、という事が続いていてどうにもそれがコントロールできない感がつきまとっていたのです。
買う時、食べるときに、自分の中でジャッジメントをしてはいる。しかし。。。
自分に誠実なのか、欲望に負けてしまっているだけなのか、そしてなぜかそんなに満足感がないのはなぜなのか。。。
食べることで何が得られるか、食べないことで何が得られるか、と聞かれました。。
食べると美味しい、嬉しい。満足感が得られる。
食べないと、太らない、お金がかからない、歯を痛めない
たぶん、食べないことで得られるものより、食べることで得られるものの方が私にとって大事なのではないか、食べないことで得られるものを重要視していないのでは?と先生に言われました。
でも、体重はまぁおいといても、お財布には優しくないのでなんとかしたいとは思うんだけど。。。
食べることで得られるものって、私にとっていったいなんなんだろう?
ただの「おいしかった」の満足感ではないなにか隠されたものがあるのかしらん。。。
と、一生懸命ウンウンと考えていたら、それが何であるのかがわからなくてもいいからと言われ、「では」と質問されました。
「食べて得られるもののイメージをこの部屋の中で探すとどれ?」
と言われ、近くにあったぬいぐるみやボールの中からワライカワセミのぬいぐるみを手に取りました。
「では、食べないで得られるものはどれ?」
悩んだ挙句、2mくらい離れたところにあるボードにくっついている赤いマグネットを指差しました。
「そのぬいぐるみを持って、赤いマグネットを取りに行ってみて」
左手ワライカワセミを持ったままボードまで歩いていき、右手にマグネットをつまむと「わーい両方手にはいっちゃった♪」と思わず両手を上げて喜んでしまいました。
「今度は、ぬいぐるみを置いてマグネットを取りに行ってみて」
今度は、ボードまで歩いてマグネットをつまみあげてもさっきほどのうれしい感はありません。
もう一回、ワライカワセミをしっかり持ったままマグネットを取りに行くと、なんだかむちゃくちゃ嬉しい!
「じゃぁそこから元いたところを見ると。。。どんな感じ?」
いくつかのボールやぬいぐるみが転がっているのが見えます。
「なんだかすごくちっぽけなものなんだなぁ、という感じがする。。。」
「でも、自分にとっては?」と聞かれ
「でも自分にはすごく必要なもの!」と気が付いて答えたら、なんだか急にスッキリしました。
すっごくちっぽけでささいなことだけど、私には、自分を支えてくれるすごく必要なもの、これなしで大きな望みがかなったとしても自分はあまりうれしくないんだ。
そう思ったら、その両方を天秤にかける必要は自分には全くないと思いました。
両方あるから嬉しいし、両方とも手放さなくていいし、両方ほしいと思っていい。
両方とも手に入れることもできるんだ。
なんとなくお腹が空いて、なんとなく食べてしまうことをどうにかしたい、ということの直接の答えではないのに、こころの奥底にあってひっかかっていたちいさーなものが、わからないまま、でもするっと取れたような気がしました。
そして次の日、いつもだったら会社においてある誰かの出張みやげのお菓子、つい手を出してしまうのに、その日は一日中手を出さず。
でもすごく我慢をしたわけではありませんでした。まぁ今までもものすごく我慢をしていたわけではなかったけれどね。
会社の後病院に行った帰りも、もう晩御飯の時間で、前日は何か食べようかどうしようか迷って30分以上ふらふらし、結局あまり本意でないものを食べてしまったのに、その日はさっさと電車に乗ることができました。
その翌日は、好きなお店のクッキーが手に入ったので持って行って、お弁当の後に味わいました。
今日は、午前中にちょっとお腹が空いて、いつもなら、お菓子食べようかしらんと思いつつ結局食べない、という数秒の思考を通るのに、この空腹がお弁当を美味しくさせるのだ~なんて思えて、机の中のボスにもらったお菓子はそのままでした。
何も変わらないような気がするんだけれど、何かが変わったんだよな~
何が変わったのかほんっとにわからないけれど。
そして、今までなぜ、比べなくてもいいものを同じ天秤にのせてみたりしていたのか、なにを我慢していたのか、その結果何が手に入っていたのかも、まったくわからないけれど。
でも何か一つ、小さな何かを手放したようなかんじ。
あえて言葉にしてみるなら、自分にそのままでいいよと言えることが一つ増えたのかも、あるいはその時その時の自分の「今」を、より楽しむ事を知ったのかも。。。わかりませんけどね。
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