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人に忠実な花たち

昨年から植物と関わりたくなり

花だけでなく、最近は野菜にも手を出し始めた。


華やかすぎて、どこにでもありすぎて

あまり好きなれなかったパンジーやビオラも

育てやすいとか、安いとか

花のない冬の時期の賑わいにとかいう理由で

買ってみたりしている。

 

これがさ、

この時期になるともう

花ガラを毎日こんなに摘んでも

後から後から咲いてくるの。


まだ香りもするので、

思わずお皿に盛ってみたり。


そして、花ガラ摘みなんかしてると

ガーデニングやってます感が味わえるし

綺麗で楽しいんだけど


なんだか、走り続けるアイドルのお世話でも

しているような気もしてくるのだ。

 

ミチタネツケバナは、同じ頃から

白い花を咲かせてたけど

もう今はさやをぱんぱんに膨らませて

ぱん!とタネを弾けさせている。

 

ずーっと枝のグロテスクさが好きになれなかった

ヒマラヤユキノシタも、みちがえるような

綺麗な花を垂れさせていたけど

今はもう色あせて、新しい葉っぱが見えてきた。


その隣でパンジーとビオラは

いつまでもいつまでも

人の欲望に忠実に咲き続ける。


花を買う多くの人が、

もっとたくさん、もっと綺麗に簡単に

お花を楽しみたい、と言い


園芸にかかわる多くの人が

もっと長い間花が楽しめる品種を

もっと珍しいかたちや色の品種を提供しようと

力を注いできた。


その結果がこの、潮吹く臼ならぬ

つぼみの湧くパンジーw


もっともっと!という望み方と

それへの答え方


自分にそういうものがないわけではない。

私もどこかでその片棒を

確実に担いできたはず。

その大河に一滴を注いだはず。


でも、ちょっと立ち止まって

自分が行くことになる先を見た方がいい

そんな時なんだと思う。


もっともっと、が悪いわけではない。

そういうものが全くなくなってしまったら

人が人ではなくなってしまうもんね。


正しい行いや振る舞いがあって

100%それができる人たちの住む社会にするのが

正しく美しく素晴らしい一つの道、とは

なりませんように。


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