皿洗いをする理由〜2023-04-18
【タレ流しチャレンジ#5/14】
大抵の人は、皿洗いが嫌いではないかと思う。
私ももちろん!一人暮らしながら、シンクいっぱい洗い物を溜めたことも
最近は一人用の食洗機を買ったのでかなり快適♪
それでも少し手のかかった料理をすると、洗い物が増え、美味しくて満足しても、これを作るのはたまにでいいやと思う。
なぜにこんなに皿洗いって嫌なことなのだろう?
アレクサンダーテクニークを学んでいた時、先生が言った。
洗いたくない、嫌だ、と言いながら皿を洗うのは、自分に対する、小さな小さな暴力なのだ、と
それを聞いて私は、ああそうか!と思った
世の中の事件や戦争の始まりは、まさにこんなところから始まるのだ、きっと
平和を願う普通の人々の日常の暮らし。その中に芽生える、小さな小さないさかいの芽
それが、他のものや人へと様々な形で吐き出され、人の間を手渡しされていくうち、ついには「仕方がない、他に方法がない」と、自分たちの正義を振りかざす大きな争いへと育っていくのでは?
なぜ、嫌だと言いながら皿を洗うのが自分に対する些細な暴力なのか?
もしこれが大人ではなく5歳児だったとしたら?
やりたくないと思ったことは決してやらないはず
床に座り込み、誰がどう頑張っても動いてもらうことすらできないはず
つまり大人が、本当に嫌だ!と言いながらも皿を洗うことができるのは、それを「やる」とどこかで決めたからにほかならない
その決めた自分を責めるように
被害者になったかのように、
洗いたくないのに
やりたくないのにと言い続ける
それはつまり
やる、と決断した自分を、打ち据えること
自分の中に、対立を生み出し、小さないさかいの芽を発生させること
食洗機を買ってもたまに、それに対応しない洗い物を手洗いする程度のことさえ、面倒になる時がある
他にやる人がいないから
誰かに喜んでもらいたいから
仕方がないから
それ以外の理由をぜひなんとか考えたいと、いつも思う
他人を理由にするのは、自分の機嫌を他人に左右させること
自分の車のハンドルを自分で握り続けながら
世界にもっと違う種を蒔くための、自分だけの理由を考える
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