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ゾウを想い、描く

星を結び星座にできるのは人間だけである。

1ヶ月前には考えもしなかった場所にいて、生活をしている。なぜ広島にいるのか、それはまたあとで話すことにしよう。それでもこの一年でやりたいことは、自分の言葉を紡ぐことである。

大学生の頃は、ひたすらに音楽を聴き、映画を観て、本を読んでいた。だけど、何か自分の作品をつくる機会には出会わなかった(後悔はしていない)。だからそれをやりたい。絵を描くことや音楽を奏でること、踊ることはできないけれど、言葉を紡ぐことで作品をつくりたい、今はそう考えている。

作品は次にするとして、前提となる人間観を述べたいと思う。
昨年からずっと好きな哲学者にハンス・ヨナス(Hans Jonas,1903-1993)がいる。彼は生命倫理に取り組み、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt,1906-1975)の盟友でもある。そんなヨナスが提示した人間観がホモ・ピクトル(像を描く人)である。

ヨナスのホモ・ピクトルを咀嚼してみると、人間を動物と峻別するものは、像が描けるかどうかであるという。確かに人間は自画像を描くことができる。それが意味することは自分自身を対象にでき、また描くことによって作品を生み出し、世界に自分を具現化できるということである。これは猫が鏡像を自分とは認識できないことと対比すると分かりやすいかもしれない。(猫は像を描けないから自分を対象化できないのである。)

このホモ・ピクトルという人間観に強く惹かれた。とてもいいなと思ったし、この定義で人間を考えたいと思った。だからこそこの一年は、言葉を紡ぎ文章という像を描きたいと思ったのである。

さらにいえばゾウも自分に馴染み深い。それは、マカロニえんぴつの「mother」、yonigeの「往生際」のジャケ写、今泉力哉監督の「愛がなんだ」をみてくれればいいと思う。感化された。あと「像を想う」すなわち「想像」もデイビット・グレーバーに影響を受けている。

そんなわけで、ゾウを想い、描いていく。

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