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尾張徳川家の至宝(サントリー美術館)

重厚な刺繍が一面に施された着物。刃文が波打つ日本刀。黄金に光る化粧道具。
私が徳川美術館展で見たこれらは全て息を呑むほど精巧で美しく、展示台の照明を受けてあたかも新品同様のように輝いて見えた。
何百年もの時を経る品々を目の前にし、平日夜の展覧会の静寂も相まって、時が止まったかのように感じられた。

「徳川美術館展 尾張徳川家の至宝」は尾張徳川家に伝わる道具の数々を並べた展覧会だ。
歴史に名を馳せる大名家とはいえ、それらの品目が帳簿につけられ、現品と照合できる形で残っているというのだから驚きだ。

学生の頃、歴史の教科書では合戦の勝敗より、章の合間にコラムとして載せられた当時の人々の暮らしぶりに興味があり、何度も繰り返し読んだことを思い出した。
私は日本史の専門知識は持ち合わせていないので、目の前の調度品がいかに歴史的に価値のあるものか正しく理解できた自信はない。だが名物と呼ばれるそれらにはやはり見る者の心を奪う造形美があった。
現代よりあらゆる資源が貴重だったであろう当時のことを考えると、きっと計り知れないほどの金銀と一流の職人たちの魂が込められているだろう。所有者がいかに誇らしい気持ちであったかということは想像に難くない。

何百年も先まで残していけるような道具を、私は所持しているだろうか。

もちろん私は大名家でも貴族でもない。
また、展示されていた品々には、その豪華さゆえ日常的に使用されず蔵にしまっていたものもあるだろうが、そのような宝物を持つ身分でもない。

しかし、一つ一つの道具が貴重であったと考えられる当時のことを思うと、分不相応な連想かもしれないが、私自身の持ち物について考え込んでしまった。

数百年とは言わずとも次代へ誇らしく見せられるお気に入りのものがあるだろうかと考え、思いついたものは2点だった。
学生時代おばあちゃんから譲り受け、以来毎日のように使っているつげ櫛。
そして、12歳の頃ニューヨークへ旅行した際、子どもにしては物欲がなかった私が親にねだって買ってもらったフクロウの形の壁掛け時計。
もちろん金銭的価値は尾張徳川家に遠く及ばないが、造形から素材から色から、360°お気に入りだと言える2品だ。

自分の部屋に蓄えている何十何百の品を思い返して、子孫に誇れるものが2つとは。『尾張徳川家の至宝』からの連想としてはおこがましい限りだが、お気に入りのものに囲まれて暮らしたいと日々考えている私としては、何かより一層深く考えさせられたような気がする。


日本史の教科書に載るような宝物を見ての感想としては、なんだか見当違いかもしれない。
しかし、私の思考にインパクトを与えた美術展ではあったので、思ったことをそのまま書いてみた。
徳川家美術館の所蔵品なので、名古屋でまたお目にかかれる機会があれば、今度は日本史の知識を十分に蓄えたうえで再度観覧したいと思う。

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