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信じた先に見える景色があると願って。


「あなたの言葉を堂々と掲げてほしい」


阿部さんからの言葉を読んだ時、ぐわっと悔しい感情が押し寄せてきた。
ずしんと胸が痛かった。まだまだか。

いつまでたっても自分の言葉を話せていないのかな。


“悔しさは成長の源”
そう言い換えた時の自分の言葉を信じて、
今回の悔しさもしっかり消化して前に進むためのnoteにする。


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自分らしい生き方を見つけていくために参加している言葉の企画。
第5回の課題は、「記事を書こう」

「あの感情に今、名前をつけるなら」をテーマに3000字以内でnoteを書くというものだった。

今回の課題のnoteを公開する時、
投稿して、読み返して、取り消して、直して、
投稿して、読み返して、やっぱり、元に戻して、
投稿して、読み返して、消して、何度も繰り返した。

過去の、今の、明るい前向きじゃない部分の自分の言葉を、
人に見せていいのだろうか。とっても怖かった。

最初どのテーマで書いていくか。悩んだ。
そんな時、思い出した阿部さんの言葉。

書く先に人は進める。

何を書いたら、自分は先に進んでいけるだろうか。
どうしても、乗り越えたい過去にしよう。

自分自身のお守りになるような、
同じ想いを抱いた人とすこし一緒に進めるような、
文章が書けないだろうか、と思った。

そんな想いで綴ったnoteがこれで。

社会人2年目の時に自分で自分を抑え込んで苦しくなった時のことを書いた。自分の素直な想いを文章に。ただ、幸福に向かっていく矢印は忘れずに。こめた、つもりだった。




いつか企画生の同期が言っていて心に残っていた、
ひっかかる言葉が自分にとって大切なことなんだろうね、という言葉。

だから、阿部さんからの講評で、
誰かの言葉を、盾にしなくていい、というか。
あなたの言葉を堂々と掲げてほしい。

この言葉を読んだ時、まだだめかと悔しさでいっぱいになった。

自分を開け。他人を受け入れろ。
斜に構えるな。他人と出会って自分になれる。


第1回の講議でがつんとやられた言葉。
ずっと、変われていないのだろうか。
変われている気がしているような、前に進んでまた戻ってしまったような、と、ぐるぐるぐる、1週間ずっと目の奥に涙が溜まっていた。

みんなの感動メモを読んで、第1回からnoteを読み返して、
あと2回しか講義がないとということに焦って、視界が狭くなってしまっているなと思った。

阿部さんの言葉を思い返す。

世界は変換の対象だ、受け取り方は自分の見方次第でどのようにでも変えられる。

もう一度、読み返す。何度も何度も講評を読み返す。

堂々と語っていいんだよ。
心を伝えようとしてきた。
その思いは盾無しで伝えて大丈夫。


阿部さんからの講評には、このあたたかい言葉も並んでいた。
ぐわっと悔しくなったときの感情で見えなくなってしまっていた。


これって、他の時もそうだ。
もらった言葉を素直に受け止めきれていない自分がいる。

とてもとても嬉しかったコメントやDM、LINE、

信じたい。言ってもらえた言葉を、大切に抱きしめたい。
勝手に私がないものにしちゃだめだ。


書いた自分の言葉も、想いも、信じたい。
まだまだ、だ。信じて、考え続ける。諦めない。











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