ふと思ったこと、ずっと思っていること、 ちゃんと考えたこと、なんも考えてないことたち

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最近の記事

最近

最近は院試の勉強でヘトヘトですが、勉強時間の半分は大抵違うこと考えています。 最近好きな詩がありました。 自分の感受性くらい っていう詩です。 茨木のり子さんの詩です。 個人的には、すごく大事にしたいなぁと思う詩でして。 この詩自体は、昔に読んだ本の中にあったのですが、つい最近まで忘れてました。 こういうもんなんでしょうね、記憶って。 あの時大事だったものでさえ、忘れていく。 大切にしていこうと思っていても、気づけば、 そんなことは忘れて普通に過ごしてる。

    • Love actually

      映画 よかった。 直訳したら、愛とは実際 愛っていうのはね、ってかんじかしら この映画の中では登場人物たちのたわいもない日々が描かれてて 映画だからロマンティックに思えるし、少しオーバーに思えるかもしれないけれど 実際自分がその人の立場だったらやりかねないことばっかりだった 好きという想いを隠す 想いだけじゃどうにもならないこともある 誰かを大切にする 想いを伝えるために全力疾走 普通だ いや、普通というより、 ありふれている その言葉の方が正しい

      • 私の夢はたくさんある 職業的な夢はアルツハイマーの研究に携わること 記憶をなくすこと、自分の知ってる人がその人じゃなくなることは想像よりもずっと苦しい 人柄的な夢は素敵な人になること 尊敬と配慮を忘れず、思慮に満ちた素敵な人になること 経済的な夢は大学の近くにマンションを買って不動産経営をすること シェアハウスの経営もしてみたい。 他にもやってみたいビジネスはある。 例えば、研究者の人が会社や大学などのことを一切忘れて単純に気になることを研究できる施設みたいな

        • 母の日

          最近母の日だった。 お母さんに日ごろの感謝を伝える日。 私の家族では、記念日や母の日には決まって花を贈る。 これは実家にいるときから、家族が離れて暮らしている今まで続いている。 私は大抵、母の日当日は実家に帰れず、ここ最近は兄弟がお母さんありがとうとラインでメッセージを送るのに便乗して、その後に可愛めのありがとうスタンプを送ることでごまかしていた。 だが、今回のこのコロナによる自粛のおかげで今年は実家に帰ることが出来、そこで母の日を迎えることになった。 家はまだ両

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          yesterday

          最近暇を持てあましているので、映画をよく見る。 最近見たのがyesterday。 映画館で見たかったのだが、そのころはなかなか忙しくいけなかった。 この作品で、初めてビートルズの楽曲をきちんと聞いたが、いや良い。 それこそyesterdayの歌詞があんなに素敵というか良いものだったと、初めて知った let it beくらいしか正直知らなかったのを後悔したもんです 映画自体はすごく素敵でかわいらしい映画で、ほっこりした気分になった そこで、だ エンディングロール

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          なりたい大人

          私にはなりたい大人の理想モデルがいる。 それはお父さんだ。 高卒だけど、地方の企業でなかなかのお偉いさんを務め、家ではお母さんを私たち子どもが引くほど溺愛してる。 もちろんダメところもあるがその部分に関しては、考えないことにする。(お父さんの年まで行くとそう簡単には改善できないので、そういうところもお父さんなのだと思った方が自分にとってもお父さんにとっても最善だ) お父さんは、一言でいうと、気が利く とことん気が利く 電車のチケットを頼むと、必ず車両の一番前の窓側

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          猫派と犬派

          え、猫派ですか??あ、犬派?? 初対面の相手に必ず聞く、いや、聞かなければならない質問の一つ。 完全に私の独断と偏見によるが、世界中の人間は国、人種関係なく、この二つに大別できると思う。 猫派。 言葉として意味するのは、犬と猫どちらが好きか、と問われたとき、猫と答える人のこと。 犬派。 犬と答える人のこと。 しかし、私が思うに、その人がどちらを答えるかによって、その人の性格が一発で何となく掴めるのではないかと思う。私は。 猫っぽい人、もしくは、犬っぽい人。

          猫派と犬派

          唯一の後悔

          今となっては基本的に脱力系なマインドをもって生きているのだが、私もかつては吹奏楽部でトランペットを吹き、時間も忘れて音楽にのめりこむ毎日を送っていた。 今から話すのは私の中で唯一の後悔といってもいいのではないかと思う。 高二、部活引退前最後の文化祭(コンクールだったかな、、、)のこと。 私は金管セクションリーダーをしていた。(簡単にこの役職を説明すると、運営ではなく技術面で金管パートを率いていくというものだ。) そのころ、何がきっかけだったのかはいまいち、というか全く

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          同じ猫として

          初めまして。猫です。 とは言いつつも、人間です。 「同じ猫として」 この言葉は家にいる猫ちゃんと戯れていた際、ふと口にしたものでして。 猫ちゃんがあまりにも猫らしくない行動をとっていたのを見てとっさに出てきた言葉がなぜかこれでした。 そもそも猫でもないし、何なら目の前にいる猫ちゃんとも猫と人間で「同じ」ではない。 、、、、、、、、、、、、 あほか自分は。とふと我に返った時、思いました。 でも逆に 同じ猫として的な感じのスタンスで生きれたら、幸せかもしれん。

          同じ猫として