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バスに乗って1


(Y市役所環境課長と面談する青空  翼。新卒採用2年目の職員だ。中肉中背でバランスの良い体型をしている。)
中途の異動ですまんね。
いいえ。
君の上司は、暇田幸太郎、高卒採用の係長だ。二部で大卒資格を取った。君のキャリアとはだいぶ違うね。
はい。どんな人なんですか?
うん、ちょっと難しい奴でな。
どう難しいのですか?
それが、俺にもよく解らん。部下が、よく異動願いを出すんだよ。どうしてかなあ?
課長にもお解りになりませんか?
そうだなあ、悪い奴じゃないんだが。
パワハラ、セクハラとか?
それは、認識していないよ。・・・係員が一人、休んでいるんだ。
休んでいる?
うん、もう半年になるかな。まあ、上手くやってね。
はい。


今月1日付で異動になりました青空  翼と申します。
ああそう。前の職場の引き継ぎは終わったの?
はい。
机はそこだ。・・・院卒なんだって?なんで市役所に来たの?
試験を受けて、採用されたからです。
ふ〜ん、採用されればどこでも良いんだ。
そういうわけではありません。
じゃあ、どういうわけ?
私的なことなので・・・。
それは、申し訳ない。部下のプライバシーに興味はない。
私もボスのプライバシーに興味はありません。
良いね。意見が一致したようだ。頑張って。
(言われなくてもやるわ。ムッとする翼。)
当面、俺たち二人だ。来てくれて助かったよ。一人じゃ動きが取れないからな。


おまえ、酒を飲むか?
はい。
ビールとサワー程度か?
はい。その他にも、少し嗜みます。日本酒、焼酎、ウヰスキー、ワインくらいですけど。
歓迎会をしようか、奢るよ。
高くついても知りませんよ。
まあ、ほどほどにしようか。・・・どうかな?
・・・私の家の近くの居酒屋で良いでしょうか?
良いよ。今日は、定時で退社しよう。
はい。


(小さな居酒屋の暖簾をくぐる。)
よう、翼、今日は男連れか?
おじさん、会社の上司です。
そうか、カウンターで良いかな?予約の客があってな。
はい。
翼、まだ泳いだり走ったりしてるのか?
していません。
引退したのか?
私程度の選手は、引退とは言わないの。ただ、辞めただけ。
そうか。兄さん、市役所の人かい?
まあ、そうです。
まずビールかい?
はい。
あとは任せてもらって良いかな?
はい。
おじさん、サービスしてね。
おお、おまえの彼氏なら、特別待遇だよ。
(彼氏じゃなくて、上司なんですけど。)


馴染みの店なんだ。
はい。マスターと父が知り合いで。子供の頃から父に連れられて、ここでジュースを飲んでいました。
・・・親父さんを呼ぼうか?
呼んでも来ないよ・・・。人見知りだから、初対面の人とは酒を飲まない。

翼、市役所に決めたのか?
はい。
他にも内定をもらえたんだろ?
でも、もう決めたの。市役所なら、ここから通えるし、父さんと一緒に暮らすことが出来るからね。
借りた奨学金はどうするんだ?
お母さんに、お金をもらいました。
母さんに?
はい。死ぬ前に、土地を売ったお金をくれました。
母さんの土地って、二束三文の山林だろ?
それがね、思ったより高く売れたんですって。
意外だな。
だから、お父さんが心配することは無いのよ。
そうか。(父が無表情でロックの杯を口に運ぶ。)



係長は、なんで高卒で就職したの?
・・・家庭の事情だよ。給金が必要でな。
・・・・・・。
あと10日、あと一週間、給料日を待ちわびた。
そうですか。
有難いことに、今では少し蓄えも出来た。気持ちに余裕が持てるようになったよ。
はい・・・。
まあ、良いんだか悪いんだか。


翼、そろそろ時間だ。
おじさん、ラストショットは?
今日はやめておけ。
はい。(マスターに目配せをする翼。おじさんが応える。)
・・・兄さん、今日の払いはツケておく。
えっ・・・俺、一見だし。
ハハハ、またおいで。
(翼に促され、店を出る。)


私、歩いて帰れるけど、大丈夫ですか?
大丈夫だ。大通りに出ればタクシーに乗れるさ。ここで別れよう。
はい。気を付けてね。
ああ、俺はそこそこタフだ。
過信は禁物です。
・・・覚えておくよ。


(出勤する翼。暇田係長が席に着いている。)
おはようございます。
おはよう。
昨日は、ご馳走様でした。
いや、礼を言うのは俺の方かな。
どうでしょうか。
おい、早速で悪いが竜クリニックに行ってくれ。
はい。理由は何ですか?
竜に会えば分かるよ。場所はタブレットに送っておいた。急いでくれ。
・・・はい。


こんにちわ。Y市役所から来ました。竜先生にお取り次ぎ下さい。
先生は診察中です。お待ち下さい。お名前を頂けますか。
Y市役所環境課の青空 翼です。
あら、本名ですか?
はい。(首にかけたカードを示す。)
失礼しました。そちらでお待ち下さい。


待たせて申し訳ない。
Y市役所の青空 翼と申します。暇田係長の指示でお邪魔しました。
そうか、君が幸太郎の部下か・・・。
先生、私は急いでここに来るように指示されました。用件は何でしょうか?
まあ、それはそれとして、幸太郎と一緒じゃ大変だろ?
そのようなことは・・・。
そうかねえ。


俺、あいつとは高校の同期なんだ。けっこう優秀だったんだよ。
それは、あなたドクターなんだし。
違うよ、俺じゃない。あいつだ。暇田幸太郎・・・。
係長が?
あいつ、まだ係長なんだってな。
私、人事については・・・。
出世しないなあ。まあ、無理もないか。


用件は何でしょうか?
用件ねえ。
先生に会えば分かると言われました。
俺に会って、分かった?
いいえ。


君、トライアスロンの選手なんだって?
・・・胸を張れるような記録はありません。
謙遜しなくても良いよ。県記録を持っているんだろ?
はい。持っていました。過去のことです。
そうか。


(角2の茶封筒を渡す竜。)
幸太郎に頼まれた書類だ。
中身を確認しても良いですか?
どうぞ。
A4のペーパー6枚、全部裏白。よろしいですか?
うん。あいつに渡してくれ。
・・・要件って、これだけですか?
そうだよ。
書類運び・・・。


君、人間をハッキングすることは出来ると思う?
意味が解りません。
体調はどうなの?顔色が良く無いようだけど。
それは、昨夜、少し飲み過ぎました。
診察しようか?
けっこうです。


人は数値に置き換えることが出来る。
そうは思えません。
どうしてかな?
心は数値になりません。
ハハハ、良いね。それ、誰が決めたの?
・・・・・・。

   令和6年8月7日

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