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00神門で

01ライター

店の片隅で、老人がPCのキーボードを、慣れた手つきで打っている。

いっちゃん、いいご身分だね。昼間っから飲んでるし。
仕事もしているよ。
そんな薄っぺらなマシンで、ぼそぼそやって、金になるのかい?
そうだね・・・煙草銭にくらいはなるよ。今、地元のフリーペーパーに書いてるんだ。
不思議な世の中だ・・・。爺様が書く駄文でも金になるんだ。
ハハハ、口の減らねえ婆様だ・・・。
あたしは、実際に働いている。料理をし、酒を提供し、稼いでいるだ。爺様の飯の種は、何なんだい?
そうだなあ・・・例えて言えば、配管工かな。
何だよ、それ。意味が解りません・・・。
そう、誰にも解らない。だから、僕が細々とやってる。
地味な男だねえ。
婆様は、家族やお客と繋がっているだろ?
ああ。
現実に、生きている人たちだ。目に見えるし、話をすることも出来る。僕が相手にしているのは、加えて、見ず知らずの誰か、なんだ。
なんか、悪い宗教にハマってないか?気をつけた方がいいよ。・・・もう一杯、作ろうか?
うん。
なけなしの財産を無くさないようにな・・・。なんか、悩みがあるなら、聞いてやるよ。
ありがとう。
まあ、せいぜい頑張りな・・・。

******

いつも、あの隅でパソコン打ってる人、ママの知り合い?
うん、妹の、ユミの初恋の男だよ。50年以上、前の話だ。
何やってる人なの?昼間から飲んでるし。
配管工だって言ってたよ。
へえ、現場の人には見えないなあ。
なんかさあ、最近、変な宗教にハマってるようだ。
・・・ママ、この辺の人だよね?
そうだよ。実家は農家だ。弟が継いで、ピーナッツなんか作ってる。なんだかなあ・・・。
資産家なんだ・・・。
ハハハ、そうでもないよ。でも、まあ、忍耐強くやってるようだ。「野に励み、野の仏となる」ですと・・・。戦争に行った親父の息子だ。少しは根性見せないとな。
・・・・・・。
分厚い、いい手してるよ。・・・大黒柱だから、家族は大事にしないとな。男は、女房子供のために、体張ってなんぼだ。・・・あんた、選挙に出るのかい?
うん、そうしようかと思ってる。
勝てそうかい?
・・・解らないけど、勝つつもりだよ。
やるなら、土下座してでも一票を削り出す覚悟でな。・・・そうなら、あたしの一票はあんたに入れるよ。
・・・・・・。

******

いっちゃん、精が出るね。
うん、ママには感謝している。時間外に押しかけて、迷惑な爺さんだろ?
気にするな。爺さんが来ると思うから、あたしも出勤する。・・・どっちが支えているんだかね・・・。まあ、気にするな。
・・・・・・。
爺さん、ユミと寝たのかい?
うん。
あいつ、処女だったろ?
そう。・・・高校2年の夏休みだったよ。不純異性交遊かな。・・・妹さんの膣内に射精しました。・・・ペニス・・・痛かったです。
ハハハ、爺さんの本領発揮だ。愚かだねえ・・・。で、宗教にハマったのかい?
いやいや、宗教じゃありません。僕は、見えない世界の綻びを繕う人になりたい・・・だから・・・配管工です。
途切れたり、詰まったりしたところを直すのかい?
・・・う~ん、いい表現だ。危うく、か細い、途切れそうなトラフィックを回復すると言うことかな。
それって、流行なのか?
どうかな・・・。
独立独歩か?
そうかもしれませんね。
意味があるのかい?
・・・意味・・・は・・・ないかなあ。無意味でも、力を尽くして耕そうかなって・・・。
それって、罰じゃないのか。無意味なことを繰り返させて、心を折る・・・。そんな話を聞いたことがある。
婆様、教養があるんだな。
爺様に褒められても嬉しくねえし・・・教養が金になるとも思えねえ・・・。
ハハハ、どうかな。目に見えないものにも価値はあるよ。本当に大事なものは・・・頭の中にあるんじゃないかな。
そうかい・・・。爺様、無駄なことしてるんじゃないのか?
そうだなあ。僕は、無駄なことをして、チープな仕事をして・・・性に合ってるよ。
無理してねえか?
姉さん、男が無理しなければしょうがないでしょ・・・。
・・・そうだな・・・。

******

ママ、今日は、配管工の人、来てないね。
そうだね。
本当は、何をしてる人なの?
ハハハ、あたしにも守秘義務ってものがあってな・・・。
・・・・・・。
出身は、この奥の部落で、○○新宅の末裔だよ。まあ、分家だね。先々代が相場に手を出して、身上潰したそうだ。
へえ・・・。
ピンとこないだろ?
うん。
今は、妙齢の雌猫と暮らしてる。・・・と、本人が言ってるが・・・。
一人暮らし?
・・・女房に先立たれてな・・・。地獄の日々だってよ。
そうは見えないなあ・・・。
見えねえところで、泣いてるのかもな・・・。男は、無理してなんぼだって・・・。
頑張ってるんだ。
年寄りの冷や水とも言う・・・。
ママ、厳しいです。
あたしは、いいんだよ。・・・あいつは、思春期に、自分は全能だと感じた、錯覚したんだ。今は、その罰を受けてる。
イカロス?
ハハハ、いいね。イカロスの親父を知ってるかい?
ダイダロスだろ?女奴隷と結婚した・・・。女を、見る目があったのか?
どうかな・・・あいつも、ダイダロスになれたら良かっただろうになあ。・・・今は、そうなろうとしているのかもしれないね。
息子が、親父になろうとしている?
まあ、よく解らない話だ・・・。でもなあ・・・聞きかじりだが、ダイダロスはギリシャ神話の有名な大工、職人だったそうだ。息子のイカロスは・・・知ってるだろ?
うん。
日本のMythは、テレビが作る。女子アナのパンツと脇の下が売りでも、テレビは、まだ王様だ。
・・・・・・。
・・・何の話だったっけ?
ギリシャ神話とテレビの話だったかな。
そうだね・・・やめようか・・・このくらいにしておこう。あたしの生半可な考えでは、会話が続かない。あたしは、教えてもらう立場だからね。
じゃあ、次に来るときまでに、調べておくよ。
いいよ、思いつきで言っただけだから・・・。
うん。

02ブックさん

もしもし、ブックか?
ああ、君か・・・。
ちょっとレクしてくれないか?
なに?
ギリシャ神話・・・。
いいよ。・・・でも、そんなに詳しくないが・・・。
僕よりは詳しいだろ?
まあ・・・そうかな。じゃあ、僕の部屋で話そうよ。
悪いね・・・。
何言ってんの。ウヰスキーでも飲みながら話そうよ。・・・一週間後でいいかな?
・・・・・・。
少し、下調べをしたい。話し相手は誰?・・・ギリシャ神話の話をしたいんだよね。
・・・飲み屋のママさん。古希は超えてる。ひょんなことからイカロスとダイダロスの話になって、見栄張っちゃった。
そうか・・・。

******

ここ、何なんだ?
僕の、書庫兼書斎かな。10年前に建てた。本が増えちゃって、母屋が持たなくなりそうだから。本、重いからね。
お前、裕福だなあ。
ハハハ、飲みながらやろうか。スコッチ、バーボン?
バーボンがいいかな。
いいね、ジョン・ダニエルズにするか・・・。
?・・・ジャックだろ?
そうだったかな。まあ、いくらか資料を用意したよ。
こんなにあるのか?
いや、これでも要約すべき所は要約した。そこそこ省いたよ。
参ったなあ。
ざっと目を通すだけで良いよ。ちょこちょことやって理解できる世界ではないからね。それを解ればいいんだ。
そうなのかい。
神話は、自然現象を擬人化した、という考え方がある。
・・・・・・。
ところで、Kさんのこと、憶えてるかい?2年先輩だった。
ああ、よく憶えているよ。入学してすぐに、噂が耳に入ってきた。姿が目に入ると、自然に追ってたよ。図書館で、読書記録を調べたこともあったな。
ストーカーだね。・・・今、市役所で働いてる。臨時職員待遇だけどね。
意外だなあ。
・・・彼・・・破綻したんだ。・・・ろくに勉強せず、そこそこの大学に進学。コンピュータ関係の仕事をしていたんだが、鬱病になって退職・・・離婚・・・生活保護を受けていた。
で?
なんか、縁あって、市の臨時職員になったんだよ。
何やってんの?
僕にも、よく解らない。世の中には、解らないことが多いよね・・・。
・・・・・・。
で、ダイダロスなんだけど、善良なだけの大工ではなかったようだよ。
そうなのか?
うん。イカロスの話も、人間の過信や傲慢さを批判するものとして有名だが、実際はどうなのかな。
う~む。
神話はテレビドラマと同じだよ。見る者は、自分を重ね合わせるんだ。生きる指針かな。人はね、潜在的にそう思うような気がする。
・・・ブック・・・。
僕ね、この年で、独身だよ。母を看取って終活だ。・・・自分勝手に生きてきた。
お前、何言ってんだよ。
だって、そうじゃないか。客観的に見れば。
そうかもなあ。で、なんか問題でもあるのか?
ないよ。でもね、僕は、僕の責任を果たしていないような気がしてね。自分の責任が何かも解らない。白痴だよ。
ハハハ、いいね。君が白痴なら、僕も白痴だ。
君は、何をしているの?
うん、団体職員と言いたいところだが、窓際だよ。ブックは、図書館の副館長なんだってな。
そう、念願叶ってね。・・・時々、僕は、シジフォスを想うよ。
徒労を繰り返すって、あれか?
そうです。
いいね。それとなく、ギリシャ神話をレクチャーしてくれているのかい?
・・・ハハハ・・・気付いた?・・・当時の人たちは、神話に接して、僕たちがテレビドラマを見るように共感したんじゃないかな。

ーーーーーー
爺様か?
ああ・・・。
生きてたのか・・・。
期待を裏切ったかな。
どうした?
風邪だよ。寝込んでる。
なんで?
寒いからだよ。
そうかい。
婆様、客商売だろ。行けるわけないじゃないか。
で、大丈夫なのか?
ああ、熱も下がったし、あと2、3日すれば、また、押しかけるよ。
そうかい。・・・安心したよ。年長者に心配かけるな。
すみません。
来るときは連絡しておくれ。食事を用意する。
・・・ありがとうございます。
ーーーーーー

で、飲み屋のママって言ってたよね。
そうだ・・・年の頃は72、3かな。時々、飲みに行ってるんだ。神門の十字路から少し入ったとこだ。気になる人がいてね。店の片隅でキーボード打ってる老人だが。
・・・ん~~~それって、○○新宅の配管さんじゃないのか?
なんで、知ってんの?
・・・血縁のネットワークがあってさ。お袋の遠縁に当たるそうだ。お袋と同年代だから憶えていたんだ。彼、高校の先輩だよ。いわゆる団塊の世代だから、だいぶ年上だね。
そうかい・・・。老骨に鞭打って、格好いいと思ってさ。
膨大なMythには、その時々に自分が重ね合わせる物語があるんじゃないかな。時には、勇気づけられ、時には寛容になれる。なにより、そうか、と納得したりね。

そうすれば、自分を肯定できるじゃないか。大変な力だよ。
・・・ブック・・・おまえ、賢いなあ。
ストレートに褒めるのは、無礼じゃないですか?・・・褒めてない?
いやいや、僕たちはガキの頃からのフレンドだ・・・付かず離れずだったが。
そうだったかな・・・このところ、ちょっと落ち込んでいてね。
落ち込んでいる・・・?・・・原因は?
よく解らないんだ・・・。
厄介だね。・・・ぼんやりとした不安・・・かな?でも、原因はあるんだ。それを原因と認めないから厄介なんだよ。

女か?
答えたくありません・・・。
ハハハ、そうか。
・・・今夜、泊まって行きなよ、夜もだいぶ更けた。差し支えなければ・・・。
ああ、いいね。女房に連絡するよ。

ーーーーーー
もしもし、夜分にすまんね。
それまで連絡ないのがすまんでしょ?
そうでした。で、今、ブックと一緒なんだ。彼の家だ、泊まっていって良いですか?
良いですよ。・・・ブックさんに代わっていただけますか?
はい。・・・ブック、女房が話したいって。
ああ。
ブックさん、ご無沙汰しておりました。○○です。3年の時、同じクラスでした。憶えておられないかもしれませんが・・・。
・・・いいえ、よく憶えています。そうですか、彼と結婚したんですね。
お世話になります。よろしく、お願いします。
電話、代わりますか?
いいえ。・・・明日には帰してく下さいね。
ああ、もちろんです。・・・失礼します。
ありがとうございます。
ーーーーーー

おい、ズルいじゃないか。なんで、黙ってた?
知ってるのかと思った。・・・気を悪くした?
いいや・・・。どうやってマドンナをゲットしたのか教えて欲しいね。
・・・大型連休を前に田の水張りが始まる。日差しに力が宿り、夏を前にした短い時期だ、人生に例えれば瞬きのうちに過ぎていく青春に似ている。過ぎ去ってみて、浪費したことに気付く・・・。

・・・想い出は、残酷だよ・・・。
そうですか・・・君も・・・楽々生きてきたのではないんですね。
楽々生きている人がいれば、会ってみたいなあ・・・。真似してみたい。
ハハハ、人真似をしてもうまくはいかないよ。それに、楽々生きている人なんていないと思いますよ。・・・君は、田園と牧歌的な時のことを話しているのですか?
そうだなあ・・・。
少年が年老いれば、牧歌的な時は、二度と戻らないよ。・・・失って気付くことがあるんだね。
知恵は、いつも後から来る。知恵は後付け、かな。・・・ブック・・・世話になったよ・・・。

03黒のじいじ

この辺りの夕暮れは早い。暗くなる前に、雨戸が閉じ、みんなが息を潜めて生きているように思える。そう、何事もクリアではなく、全てが、深い淀みの中に沈んでいるように感じる。生きていても、生きていず、死んでいても、死んでいない。全ては、沈黙と闇の中だ。
ーーーーーー
ママ、今日、黒のおじさんに会ったよ。
そう・・・ご挨拶したの?
うん、おじさんが、こんにちわって言うから、僕もね。
そう、偉いわ。ご挨拶は大事よ。
知ってるよ。ママ、いつも言ってるから。
奏くんは、お利口さんね。
そうでもないよ。
黒のおじさんはね・・・後藤さんって言うの。後藤一男さん・・・じいじのお友達。
じいじの?・・・じゃあ、黒のおじいさんだ。
・・・そうだね。
何をしている人なの?
・・・土曜日戦争よ・・・。
ーーーーーー
奏くん、人生は厳しいわ・・・。
ライフ・イズ・タフだよね。じいじがよく言ってる。・・・人生は厳しい!
口真似が上手ね。
何度も聞けば、覚えるよ。
・・・人生は厳しいかもしれない。でも、本当に怖いのは、退屈だわ。・・・退屈は社会を滅ぼすかもしれない・・・。
・・・ママ・・・。
ああ、ごめんね。・・・宿題をやって。・・・夕食の用意をするからね・・・。
はい。
ーーーーーーー
(夕食のテーブルで)
奏くん、どうして黒のおじさんなの?
ヨシオ君が言ったんだよ。「今日は、黒のおじさん、居ないね」って。僕たち、学校の帰りに何度か見かけたからね。
ヨシオ君って、お勉強ができるんだってね。
うん、できるよ。算数が得意だよ、いつも一番さ。でも、威張ってるわけじゃないからね。
そう・・・。
お母さん、黒のじいじは、どこに住んでるの?
良くは知らないけど、神門の少し奥まったところだと思うわ・・・。
ここからは遠いよね。黒のじいじは、いつも歩いてるよ。
長く、曲がりくねった道が好きなんだって・・・。じいじが、前に言ってた。
・・・・・・。
黒のじいじは、奥さんを亡くされてね・・・一人暮らしだと聞いたわ。
可哀想だね。
そうね・・・でも、奏くんが判断することじゃありませんよ。
・・・はい・・・。

04チビ

インフルかい?
そう。
予防接種しなかったのか?
・・・昔な、高校の同期が予防接種で死んだ。16歳だったよ。
まあ、食べな。どうせ、ろくなもの食ってなかったんだろ?
高熱が2日間、熱が下がってからは動けるようになったから、スーパーとコンビニでそれなりに食ってたよ。まあ、胃がもたれる。
・・・・・・・。
熱があると、いろんなことを考える。考えると言うのか、思い浮かぶと言うのか・・・。
夢か現か、か?
そうだね。チビに言葉を教えようとした。
妙齢の雌猫かいね。
そうだよ。ほら、犬なら「ステイ」とかが理解出来ると言うじゃないか。何度も膝の上に乗ってこようとするんで、鬱陶しくなってな。足下のチビに説教した。
なんて言ったの?
ステイ・・・こう、手で遮って、ステイ、だ。
理解したのか?
うん。
ハハハ、作り話がうまいね・・・。
本当だよ、すぐに忘れるようだが。でもな、このところ、一緒の部屋で寝てるんだが、常夜灯にすると椅子の上に移るんだ。明け方、寒いと布団の中に入ってくる。食事の時間が過ぎると催促してくるし。
で、ステイも理解できると?
まあ、どうだか、解らないけど・・・。そう言えば、綾子んとこのブックから連絡があったよ。
木野子の綾子さんかい?資産家に嫁入りしたよね。
・・・今は、息子のブックと二人暮らしだよ。
爺様と綾子さんは、はとこかい?
そうなるのかなあ?俺、そういうことに疎いから・・・。なんとなく、親戚かなあ、とは思ってたが・・・。友達と飲んでて、俺のことが話題になったんだって言ってた。ブックはここに来たことあるのかい?
う~ん、ないね。
大勢に紛れていれば、判らないこともあるよ。
そんなに流行ってる店じゃねえし・・・。それにな、彼が中学と高校の時に何度か会ってる。見れば判るよ。
そうかい。でな、○○新宅の配管さんですと・・・。
それなら、その友達のほうなら心当たりがあるよ。世間は狭いもんだね。
初詣してなかったから、バチが当たったのかもな。昨日、総鎮守に行ってきた。
願掛けしたのか?
漠然と、手を合わせた・・・。願うことが多すぎてな。・・・叶うことがない願いだよ。
爺様、けっこうしぶといからなあ・・・。
いやいや、婆様には負けるよ。
チビちゃんは、拾ってきたのかい?
それが、そうじゃないんだ。初夏の夜、どこから来たのか、網戸をよじ登って来たんだ。片手に乗るくらい小さかった。けっこう、きつい顔してたよ。
まあ、ゆっくりしていきなね・・・。
病み上がりだからなあ・・・早めに帰るよ。一杯飲んだらな。
飲むのか?
一杯くらいいいかなって思ってさ。
そうかい。
うん、家飲みしてるし。
やれやれ。スコッチ、バーボン、それとも焼酎かい?
芋のお湯割りがいいかな・・・。
はいよ。

05ブックさんの恋

この後、食事に行きませんか?
えっ?
夕食です。一緒に・・・。
はい。
良かった。店に電話します。

(もしもし、ブックです。これから二人でお伺いしようと思うんですが、席、空いてますか?)
(ああ、大丈夫です。今夜は余裕がありますので・・・。料理はいかがいたしましょうか?)
(この前いただいたコースで・・・。)
(はい・・・かしこまりました。お待ちしております。)

良かった、予約できました。タクシーで行きましょうか。
はい。

ワインをもらいましょう。何か、希望はありますか?
私、ワインの知識はありません。
じゃあ、あまり高くないボルドーの赤にしましょうか。
・・・はい。
僕、ワインの味なんてわかりません。なんとかの一つ覚えです。

副館長、あまりお休みを取りませんね。
そう、僕、今の仕事が好きです。でも、気遣う必要はありません。僕が休みを取らないと、休みづらいですか?
・・・・・・。
そうなんですね。
・・・そういう人もいるかもしれません。
君は、どうですか?
・・・私・・・そんなことない・・・です。私、副館長のこと、あまり知らないし・・・。
では、自己紹介をしましょう。僕は、母と二人暮らしです。母とは、宅地内別居みたいな状態です。不仲なわけではありません。本好きが高じて、書庫で過ごすことが多いだけです。
書庫?
はい、寝室も付いています。夜更かしをすると、母が気にしますから、書庫で寝ることが普通になってしまいました。母は寛容な人ですから、僕の我が儘に付き合ってくれてます。
裕福ですね。
心も裕福だといいですね。
心が貧しいと・・・?
そう思うことがあります。
・・・ブックさん・・・そう呼んでも?
もちろんです。
私、少し酔ったようです。お酒、あまり飲まないから・・・。
いいですね。お酒は、たまに、たしなむ程度がちょうど良いと思いますよ。
ブックさん・・・私・・・高価なお食事をいただいています。・・・あの・・・好意を持っていただいていると思って良いのでしょうか?
はい、そうです。是非、僕の気持ちを受け入れてもらえたらいいなあ、と思っています。今まで、怖くて言い出せませんでした。
怖い?・・・私、そんなにひどい顔してました?
そういう意味ではありません。気持ちを伝えて・・・断わられたら・・・恥ずかしいと思いました。落ち込むでしょ?
そうですね。・・・だから、私、ブックさんの側に居て、待っていました。
えっ?言ってくれれば良かったのに・・・。
だから、言えるわけないでしょ。気持ちが伝わらなければ、同じ職場に居られないし・・・。
じゃあ、これで、大丈夫ですね。・・・ああ・・・緊張した。
そうは見えませんでした。
表情に出ないタイプです。・・・察してください。
はい。・・・これからは、そう努めます。
・・・ほどほどにして下さいね。・・・僕も・・・そうすることにしましょう。
・・・私のこと、ご存じでしょうか?・・・その・・・表面的なことではなく・・・。
いいえ・・・あまり・・・。
・・・婚期を逃した気難しい女だと、お思いでしょうか?
ハハハ、僕に対する当てつけですか?気難しいはぐれ牡だと・・・。
・・・・・・。いえ・・・そんなつもりは・・・。
すみません。少し、意地悪をしました。でも、自分のことを、そのように言ってはいけません。
・・・軽率でした。私、長いこと・・・孤独でした。いつの頃からか、一人で生きていこうと思うように・・・。
解ります。僕も、同じだから・・・。
・・・・・・。
なんか、話が重くなっちゃいましたね。僕、不器用だから、気の利いた話が出来なくて・・・。食事に誘っておきながら、無粋ですよね。
・・・そんなことない・・・。ブックさん、魅力的です・・・。
女性から、そんなことを言われたのは初めてです。・・・僕と、結婚を前提に、付き合ってもらえますか?
・・・はい・・・是非・・・。
親戚付き合いが、けっこう面倒です。
・・・私の家もそうでした。

・・・そうだ、今度、エンゲージ・リングを買いに行きましょう。
・・・はい・・・。
それほど高いものは買えませんが・・・。
・・・ブックさん・・・。
失望した?
・・・お金の多寡なんて、どうでも良いことだわ。
僕たち、気が合いそうですね。
はい。

06告白

母さん、話があります。
なんだい?
ビールでも飲みますか?
いいね、でも、飲みたい時は自分で飲むけど・・・。
・・・・・・。
お前、こっちの話かい?
なんで?
いつも、食事が終わったら、そそくさと書庫に行くじゃないか。今夜は長っ尻だからね。こっちの話なんだろ?(母はテーブルに小指をトントンした。)
・・・・・・。
お前、変わらないね。昔から、引っ込み思案だ。周りの子たちが所帯を持っていくのを、黙って見ていたよね。
・・・書斎に引きこもってね・・・。心配した?
そうだね。・・・心配かけるのも、息子の役割だ。・・・図書館の人かい?
・・・うん・・・。
そうか。・・・あの、スラッとした人かい?
母さんが思っている人かどうかは解りませんが、図書館の人です。
なんとなく、解るよ。私、お前が出張の時、何度か図書館に行った・・・。
そうなの?
お前の職場を見たくてね。・・・物腰の優しいお姉さんが居たよ。いろいろ親切に教えてくれてね。・・・まあ、いいや。いずれ、連れてくるんだろ?
はい。近いうちに。・・・この前、食事に誘いました。
うまくいったのかい?
そう、そう思います。
そうか。良かったね。
母さん、僕、うまくやれるかな?
どうだかね。男は、そういうことは、自分で判断するものだ。・・・きっと、うまくいくよ。必要な時は、私が後押しするよ。
・・・ありがとうございます・・・。
馬鹿だねえ、嫁取りに母親の後押しを期待してどうするの。
・・・母さん、配管さんのこと、好きだった?
彼のこと、知ってるの?
うん、知ってる。
・・・幼馴染みだった・・・。片思いがどういうものかって識ったよ。
・・・母さん・・・。
昔のことだよ。・・・恋敵が親友だった。それも、かなうわけないじゃんてレベルでね。
ユミおばさん?
そうだよ。私とユミと彼。・・・恋い焦がれたこともあったよ。・・・配管と私ははとこだから・・・そう思うことにして、諦めた。そうでなくても、配管の眼中に私は居なかったけどね。
・・・・・・。
やだね、つい余計なことを話しちゃった・・・。早く会ってみたいね。
遅い出発なんで、子供は無理かもしれません。
良いじゃないか。お前たちには、お前たちのやり方があるよ。
いや、まだ夫婦じゃないし・・・。
いいよ、早く進めようや。親戚筋には、私が話を通すよ。・・・忙しくなるね。
そう?・・・母さん、楽しそうだ。
息子の結婚を、陰で仕切れる。こんなに嬉しいことはないよ。
・・・陰で?
牝鶏の晨するは亡国の音、だっけ?
・・・母さん、賢いです。
お前が判断することじゃないよ。判断するのは私だ。
そうでした。寛容に、ご容赦下さい。・・・母さん、ごめんね・・・。
変な子だ・・・。ブック、お前が謝るようなことじゃないよ。
・・・・・・。
将来の話をしようよ。
将来の?
そう、宅地内別居で良いかな?私が母屋で、お前たちが書庫だ。どうかな?
僕も、なんとなく、そうなるかなと思っていました。
そうなると、水回りだね。
ん?
台所とお風呂だよ。
母屋のを使えば。
それはダメ。一つの台所に主婦は二人いらない。
そうですか。でも、改装費用、僕にはちょっときついかな。
・・・私が持つよ。信頼できる業者さん知ってるし。
水回り、高いよね。
いいんだよ。お金には、使うべき時がある。お前が結婚するんなら、その時だ。
ありがとうございます・・・。
ブック、男は頼られてなんぼだ・・・。
僕、頼りないですか?
まあね。
父さんは、どうだった?
うん・・・父さんは、無骨でなあ・・・。
無教養だと言うのですか?
そうじゃないよ。そりゃあ、学歴は無いだろうよ。・・・偏差値の低い高校を、やっと卒業して・・・。でも、そんなことじゃないんだよ。彼は、彼なりに頑張った。命が尽きるまで頑張ったよ、私とお前のために・・・。
・・・僕、父さんが嫌いでした。
そう・・・。
母さん、解ってたよね・・・。
・・・なんで嫌いだったの?
・・・母さんを、粗末に扱った・・・。してはいけないことだ。僕は、許せないと思いました。
・・・そんな風に思っていたんだ・・・。でもね、もう、終わったことだよ。いつまでも気にすることじゃない。・・・二度と、父さんを蔑ろにするようなことは言わないでね・・・許さないよ。
・・・はい・・・。僕、父さんのこと、誰にも言ったことがありません。母さんに、初めて言いました。もう、30年近く前の気持ちです。
思春期って?・・・お前は、綺麗な少年だったね。片手で握り潰せそうな小鳥だった・・・。成績、良かったし・・・。久しぶりに、昔のことを想い出したよ。

07場末のスナックで


場末のスナックの片隅で。

配管工だって?
そうだね。気に入ってるよ。
お互い、一人暮らしが長くなったね。
ああ・・・。
土曜日戦争に参戦してるんだってね。
うん、参戦していた。女房を亡くして、しばらくしてから除隊したよ。今は、地元のフリーペーパーに、寄稿してる。金にはならないがね。
良いね。
まあ、そうでもなくてね。・・・書いておきたいと思って・・・君の方は、どうなんだい?
なかなか、覚悟が決まらなくて、困っているよ。・・・この歳になっても、知恵がないなあ。
興味深いね。・・・僕ね、女房が亡くなってから、ずっと、後を追おうと思っていてね。・・・出来なかったよ。
ハハハ、良いね。・・・僕もだ。
・・・君、娘さん、近くに住んでるよね。お孫さん、奏くんだっけ。・・・自ら命を絶ってはいけないよ。幼い心に傷を付けるのかい?・・・大人がする事じゃない。
・・・・・・。


僕にも、息子がいるよ。もう、良い歳になるが、独身だ。・・・息子とは・・・さほど親密な関係ではないが・・・息子だよ。
配管・・・。君が黒のじいじか・・・。

じいじ、黒のじいじのこと知ってるの?
・・・うん、高校の同期だった。・・・昔からの友人だよ。
黒のじいじは、長く曲がりくねった道が好きなんだって・・・ママが言ってた。
そうか・・・ママは賢いね。

黒のじいじ、か・・・。まあ、黒を着ることが多いからね。・・・人には色がある。僕の色は黒かダークブルー、メガネなら金縁はダメ、ギリ、シルバーかな。・・・残り少ない人生だ、好きな色で暮らすよ。
色、ねえ。
土曜日戦争の連中は、ファッションに敏感な奴が多い。色とスタイルには拘りがある。・・・良い連中だよ。
そうか・・・。奥さんとは、何年、一緒だった?
・・・充分に長くはなかったよ。・・・40年かな。・・・40年と少しだった。
そうかい・・・。僕もだよ。・・・辛い晩年だね。
希望に満ち溢れたかのような、青春よりは良いよ。
・・・配管・・・僕、もう一杯で帰るよ。
そうか・・・。


少し前のことだが、キャロルというアビエーターがいてね・・・。閑静な住宅街に住んでいた。夫と二人暮らし・・・。
・・・・・・。
Dランクだったかな。・・・晩秋に、風呂場で手首を切った・・・パンツ1枚で。
・・・よくあることかい?
いや・・・極めて希だよ。・・・キャロルが自殺したと聞いて、背筋が凍るというのか、そんな気分だった。
・・・自殺の原因は解ったのかい?
いや・・・思い当たることは無いよ。・・・難関大学を卒業して、専業主婦だった。
土曜日戦争は、長かったのかい?
そうでもなかった。・・・それでも2年くらいは居たかな。30半ばで亡くなった。印象的なファイターだったなあ。・・・魅力的な女性だったよ。・・・彼女の時は来なかった。・・・まあ、僕の時も来そうにないがね。
・・・配管・・・僕も、そう呼んでも良いか?
勿論だとも・・・僕は、来ないかもしれない、その時を待つことにするよ。

08落日

ねえ、配管、また、お酒飲んでるの?
うん。
お酒、好きなんだね。
そうだね。
良く生き延びてること・・・。
まあ、最近は、疲れ気味だよ。・・・俺、内臓が丈夫らしい。
過信は禁物だよ。
なあ、お前の食事を用意しているのは誰だ?
はい、解ってます。感謝していますよ。
俺たちは、その、運命共同体だ。共に戦う仲間だよ。
頑張ろうね。私が支えるよ。
ああ、ありがとな・・・。そばにおいで。
いいえ、私は行きたい時に行くの。解ってね。
お前を、養っているのは俺だよ。
だから、何ですか?
まあ、少しは恩義を感じても良いのかなあと・・・。
私、記憶力がありません。だから、目の前の事が全てです。不幸だと思ったことはない。私を養っているって、傲慢ですね。・・・良いですよ、あなたがそう思っているのならそうなんでしょう。でもね、あなたの一挙手一投足に注意を払い、あなたがドアを開ければ、駆け寄って行くのは誰ですか?
おいおい、俺の気持ち、解るよな?・・・おまえが駆け寄って来るのは、ご飯をくれって事だろ?
薄情ですね。お腹が減ってることもあるけど、それだけじゃありません。・・・そうですねえ、あえて言うなら、愛情でしょうか・・・。
愛情ねえ?
無関心の反対語は、愛情ですって・・・。
そうなのかい?
私は、納得しましたよ。
おまえさあ、最近、ご飯にトッピングを要求してるだろ?
そうかなあ・・・。
自覚しろよ。
何のことか、分かりません。
やれやれ、自分に都合の悪いことは無視か?
エビデンスあるの?
あるよ。
なに?
鰹節だよ・・・。
(ヤベえ!)・・・ミャア。



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