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ミニー

その男は、郊外の駅に降り立った。東京から、電車で1時間ほどのベッドタウンだ。小さな紙切れをポケットから出し、見ていると、小学生くらいの女の子に声をかけられた。
おじさん、行く先を探しているの?(歳に似合わず、静かな語り口だ。)
そうなんだ。地図はあるんだが、このあたりは不案内でね。
あたしが連れて行ってあげる。
女の子は一歩下がって道を指示する。
君、前を歩いてくれないか。変なおじさんと間違われると困る。
大丈夫です。私のことはみんな知ってるから。
そうなの?
大丈夫ですよ。行きましょ。
男は、子供の足に合わせて、ゆっくりと歩を進めていた。
やがて、教会の前に来ると、男は、そこが目的の場所だと知って、振り返ると、そこには誰も居なかった。

わかりづらい所でしょう。
いや、小さな女の子に案内してもらいました。ここの前に着くと居なくなってしまって。
ああ、ミニーちゃんかな。
ご存じですか?
いいえ、見たことはありません。何人かの方が、その女の子に案内してもらったと言いますんで。名前を聞くと、小さかったからパパがミニって呼び始めて、ミニーになっと言うんだそうです。うちの兄弟姉妹は、インビジブル・ミニーと呼んでいます。
そうですか。ところで、娘の遺品があるということですが。
すいません。片付け物をしていたら、娘さんの持ち物が出てきたんです。聖書とノートが。いま、お持ちします。

ご家族の皆様が、平穏な日々を、お過ごしになりますよう、お祈りいたします。
ありがとうございます。娘は、良い信徒でしたか?
はい、穏やかな子でした。素直で、熱心にバイブルを読んでいたと覚えています。歌もお上手でした。
聖歌ですか?
そうですね。・・・病を得てからは、考え込んでる様子も見受けられましたが、努めて普段通りに振る舞おうとしているように思いました。健気な娘さんです。

男は、牧師に礼を言い、幾ばくかの献金をし、駅に向かって歩き始めた。娘の面影を繰りながら、ゆっくりと歩き続けた。いくつ目かの角を曲がると、小さな女の子が立っていた。ミニーだった。
男は膝を折り、その場に泣き崩れた。

男が顔を上げたとき、女の子は消えていた。

ただいま。
ああ、あなた、お帰りなさい。ご苦労様でした。すぐにわかった?
うん、案内してくれた子がいてね。
そう。よかったね。
・・・・・・。
どうしたの?
娘に、恵美子に会った。いや、その子はインビジブル・ミニーと言うそうだ。
あなたには見えたの?
教会まで案内してくれたよ。
お盆が近いからね。幽霊でも見たのね。
そうだなあ。
ビールでも飲みますか?汗かいたでしょ。

あの子のノート、見せてくださいな。
どうぞ。
あの子らしいわ・・・丁寧で・・・小さな体で・・・頑張ってた。
男は、嗚咽混じりの、妻の言葉を聞いていた。返す言葉もなく、うなだれているように見えた。
あの子は・・・本当に・・・頑張ったわ。
男は、妻の手を取り、ボロボロ泣きながら、手の甲にキスした。
なに?
気持ちの伝え方がわからなくてね。
充分、伝わっていますよ。
そうだといいなあ・・・。
あなた、口下手だから。シャイだし、女の子と、ろくに話もできなかったよね。
そうだったかな。まあ、君は活発なほうだったからね。
あなたが私に気があったことはわかってた。でも、ごめんね、好きな人がいたの。
知ってたよ。
そうなの。
見てればわかるよ。じゃあ、なんで俺なのって思った。
もしね、私が振ったら、傷つくと思ったの。やっとの思いで告白してくれたのだろうから、応えなければと思ったのよ。
憐れんだのかな?
馬鹿ね。そんなんじゃないよ。
僕は、マドンナのハートを射止めた。奇蹟だ。
大袈裟だわ。恥ずかしいよ。
寝たのかい?
彼と?ノーよ。キスくらいはしたかな。

妻が庭に目を向けると、小さな女の子が立っていた。
ミニー?
え?
ほら、あそこに立ってるわ。
・・・誰もいないよ。
そうね。見えないのよね。
男は、静かに微笑む妻の横顔を見ていた。(高校の教室でも、そんな風に見ていたな。男は想い出していた。)
あたしね、あなたと結婚できて良かったわ。
そうだと、いいなあ・・・。
(私たちは、掌中の珠を失ったわ。賽の河原で石を積みながら、私たちを待っているかも知れない。)
恵美子に、男友達はいなかったのかい?
いましたよ。
えっ?どんな奴だ?
中学の同級生で陸上部。少年野球のキャプテン。笑顔が爽やかな子だった・・・。初恋だわ・・・。あの子は、なにも識らないで逝ったわけじゃないの。彼、何度か見舞いに来ていた。私、その子の、しなやかな身のこなしを妬んだ・・・。野球は、あまり知らないけど、セカンドで打順は二番って言えば、想像つくでしょ。
小柄で、足が速い?
そうよ。男の人は解るのね・・・。彼ね、ツルツルの娘の頭にキスしてた。「可愛いね」って。私ね、病室の外で様子を見てたの。
娘は?
恥じらって、頬を染めてた。・・・嬉しそうでしたよ。
そんな・・・残酷だ・・・。
そういう少年が、たまに居るのよ。出来が良くて、心の赴くままに振る舞う。ふと現れて、風のように去って行く。唐突に梢を揺らす風のようだわ。一陣の風・・・エンジェルの姿を借りた・・・デビル・・・。
母さん・・・。
・・・私、混乱している。・・・あの子の死を受け入れることができない・・・どうしても、受け入れることができないの。
家族は、家族の誰かは、肉体は滅びても、残された者の心の中で生き続ける・・・。僕たちの娘もだよ。
そうね。
僕たちは・・・あえて言えば・・・妄想の中で生きている。
・・・・・・。
夢と現の間を行ったり来たり・・・。
繰り返すの?
そうだね、僕たちがそうしている限り、娘は僕たちの心の中で生き続ける。
私たちが死んだら?
終わりじゃないよ・・・それは・・・終わりじゃない。誰かの心の中で生き続ける・・・まあ、いずれ忘却の彼方に消えるだろうが、良いじゃないですか。人は、いろんなことを考えすぎます。鈍感になれば良いんですよ。
お父さん、私、浮気しても良いですか?
大胆な・・・。お相手が居るの?
はい。
ダメ。
そう言うと思ったわ。・・・お父さん、お相手なんていませんよ。言ってみただけ・・・。
変なちょっかい出すなよ。・・・気にするじゃないか。
・・・気にして下さい。でないと、私・・・私、気が狂いそうだわ・・・。
その時は・・・二人で狂いましょう。本望ですよ。
それはダメ。あなたにはあなたの役割があるわ。私が壊れたら捨てて下さい・・・。
そんなこと、できるわけがないじゃないか。
あなたなら、できますよ。・・・あなたが、私を選んだ・・・だから・・・捨てるのもあなた・・・でしょ?
(君、痩せたなあ・・・。)
壊れたら、役に立たないから、捨てて下さい。
いいよ、その時は、僕も自分自身を捨てよう。共に死ねば良いじゃないですか。
ーーーーーー
(男は、髪を撫でる手を感じた。)
ーー何をしているの?
ーー妻と、話をしている・・・。
ーー心中するって?・・・間違っているわ。
ーー君は、誰なんだ?
ーー訊いているのは私よ。答える前に質問しないで。・・・私が家族を支えてきた。・・・解るでしょ、お父さん。たった3人の家族だけど、私が支えてきたの。お父さんでも、お母さんでもない。・・・私よ・・・。
ーーミニー?
ーーそう、私はミニー。あなたが呼んだから来たの。駅前で、小さなメモを見ていた時も、あなたは、私を呼んだ。だから、私は来たの。
ーー何のために?
ーー理由なんかありません。私を必要としている人が居たら、私は、その人の側に行くの。・・・だから、変なことを考えてはいけません。
ーー心中するなんて言ってない。
ーー嘘よ。・・・いつか、あなたはお母さんを殺すかもしれない。どこかに、そんな気持ちがあるから。・・・それは、私も殺すということだわ。私を、二度死なせるの?
ーーそんなことはしないよ。
ーー約束してくれますか?
ーーうん。
ーー約束を違えたら、許しません。・・・お父さん、信頼を裏切らないでね。
・・・・・・。
ーーーーーー
お父さん・・・お父さん?
ん?
どうしたの?
ああ・・・。
どうしたのよ。話しかけても黙ってるし。
考え事をしていた・・・。
・・・変な人ね。昔から、そうだったよね。変な本を読んで、妄想癖があった。
ひどいね。それに、変な本じゃない。世界の名作だよ。
・・・そうなの?・・・それならそれでもいいわ。
・・・君は・・・誰なんだ?
私は、あなたの妻で・・・名前は知ってるよね。・・・凡庸なおばさんだよ。
違うよ、そうじゃない。・・・僕は、ずっと君のことが好きだった。・・・結婚して、もっと好きになった。
セックスして?
それは、ほんの一部に過ぎないよ。僕は、ずっと、君の面影を追っていた。・・・恋い焦がれた。
だから、なに?・・・だから、何なの?
僕たちは、二人で一人だ。そうは思いませんか?どちらが欠けてもうまくいかないよ。

二人は、しばらく前から、カーテン越しに見ている女の子が居ることに気付いていなかった。(お父さん、お母さん、私、行くわ。穏やかに、時を重ねて下さいね。・・・さよなら・・・。)

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