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僕はなぜデザイナーを志したか【自己紹介にかえて】

はじめまして、豆助こと吉武莞(よしたけ・かん)です。note初めての投稿です。

僕はこの記事の執筆現在(2020/4/23)、立命館大学に在学しながら、一般社団法人SDGs Impact Laboratoryでデザイナーとして働いています。

この記事では、私のこれまでやってきたこと、なぜデザイナーを志したのかを備忘録的に綴ります。

吉武 莞 YOSHITAKE Kan

・一般社団法人SDGs Impact Laboratory/RIMIX事務局 デザイナー
・福岡大学附属大濠高等学校新聞部 2015年度編集長
・立命館大学新聞社 2018年度主幹(代表)/ 現アドバイザー・記者
・立命館大学学友会 2019年度中央常任委員長補佐/学園祭副実行委員長

福岡県出身。高校から学生新聞に携わり、高校・大学を通じて記者・編集者として活動。その他イベント企画・運営や広報担当など、ディレクター・デザイナーとして活動し、グラフィックデザインを専門として様々な活動を行う。

学生新聞との出会い

僕は高校生のときに学生新聞に出逢いました。

きっかけは、先輩に誘われたこと。「新聞部」なんて、なんで入ったんだろうなあと自分でも思っていたくらいですが、学生新聞の制作を通して、情報を扱う魅力に取り憑かれました。

僕たちが制作していた「大濠新聞NEXUS」では、学校内の話題のみならず、積極的に学校外の話題を取り上げ、高校生の視点で集団的自衛権や消費増税などセンシティブな内容にも切り込んでいました。また学校の制度などに対する生徒の不満をアンケートや座談会などで集め記事にし、様々な制度の変更や緩和につながりました。

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取材や記事の執筆はもちろん、パソコンを用いた編集作業まですべて自分たちで行っています。新聞は全16面・A4・フルカラーで、発行部数は約2000部。学内の生徒全員へ配布し、その他広告先・取材先などに配布しています。季毎発行であることから、表紙には季節の写真を大きく配し、雑誌のようなデザインとなっています。

私は2012〜2015年に所属し、うち1年は新聞発行責任者である「編集長」として部員20人を率いました。

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個人的に最も印象深いのが、東日本大震災の被災地の取材です。当時福岡では、遠い東北のできごとで情報が入って来ず、東北の現状はテレビから流れてくる津波や地震直後の映像、避難生活の映像のみ。そこで、高校生新聞ながら「震災特集」を敢行し、先輩の代からあわせて3年間、紙面に掲載を続けました。僕自身も、個人的に岩手・宮城、取材として福島を訪れ、福島第一原発の廃炉作業に携わる作業員の方や、スパリゾートハワイアンズ(いわき市)のフラガールの方々などに話を聞きました。自分の目で見て、改めて復興の難しさと現実に直面し、「伝える」ことの大切さを知った印象深い取材でした。

デザインへ興味が芽生える

大学に入ると立命館大学新聞社に入部しました。きっかけは、同じ高校の先輩がいたことでした。

デザインへの興味が芽生えたのは大学に入ってから。高校でも新聞の編集でAdobe illustratorを使っていましたが、大学に入って自分でAdobeソフトを買って、気軽に使えるようになってその楽しさに惹かれました。

たくさんのデザイン本やWEB上のコンテンツを読んで学び、学んだデザインを発信する場がほしいと思い、自身でニュースブログを立ち上げました。そこでは、どこよりも詳しくわかりやすくすることを目標に、学生新聞で培った記事力とデザインで、様々な記事を書いていました。

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デザインが楽しくなってからは、新聞社で使うビラやWEBのアイキャッチ画像、研修用の冊子、ロゴデザイン、ニュースブログのための地図など、様々なものを自分で作って、とにかく「経験値」をためていました。

大学の情報発信リーダーに

新聞社では当時、僕と、高校でも同じ新聞部に所属していた1つ上の先輩だけが、学生新聞の「経験者」でした。

当時の新聞社は、紙の新聞を発行するために、印刷業者にWordで文章を入稿して、紙面のデザインと印刷を依頼していました。しかし高校でillustratorでデザインした上で新聞を発行していた僕たちは、記事を書いてから実際に紙で発行されるまでの時間に、大きなズレが生まれてしまうと考えていました。

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そこで、新聞社のデザイン改革として、Adobe illustratorやindesignを導入し、すべての紙面デザインを学生の手で行うようにしました。もちろん、技術は一から部員に教えることになるので大変でしたが、記事執筆から発行までのスピードを大幅に早めることができました。また、読者を惹きつける見出しデザインも行うことができ、より多くの読者を獲得することに成功しました。(2017年→2018年で発行部数倍増)

そして、紙面の発行スピードを早めるだけでなく、当時ほとんど停滞していたWEBでのニュース配信もより多く行うため、HPのリニューアルを2度(2016・2019年)行いました。

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2018年6月の大阪北部地震や2018年7月豪雨では、立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)を含め、京阪神地域で大きな被害を受けました。その際、WEBで大学の対応や被害の状況などをいち早く配信し、多くの方にお読みいただけました。

もちろん、現在は新型コロナウイルス特集に力を入れ、こちらも多数の方にお読みいただいています。

これらの改革が相まって、新聞社は立命館大学の中で情報発信リーダーとしての地位を確立するに至りました。これはひとえに、多くの方に取材に協力いただき、多くの皆様にお読みいただいているおかげです。
この場を借りて、御礼申し上げます。

情報発信の大切さを実感

前述のような新聞社での活動や、個人でのデザイン活動を続け、自分の中で「デザイナーとして働きたい」という思いが強くなりました。2018年8月には大手IT企業のデザイナーインターンに参加し、よりその思いは強くなりました。

2019年には、立命館大学学友会という学生自治組織(高校でいう生徒会)の中央常任委員会で中央常任委員長補佐という役につき、主に広報・情報担当として動いていました。学友会は全学生が会員である日本最大の学生自治組織で、組織が大きく、実際の動きが見えないという課題がありました。

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そこで学生新聞やデザイナーとしての経験を活かし、ホームページの刷新、インフォグラフィックを取り入れたSNSの運用改革、紙媒体として広報冊子の発行など、様々な広報施策を実行しました。

もちろん、このことで学友会の活動が学生に知れ渡ったのかといえば、そんなことはありません。しかし、それまで発信していなかったこと、発信していても伝わりにくかった部分を改善する第1歩になったのではないかと考えています。

このほか学友会では、学園祭副実行委員長として学園祭の運営に携わったり、全学協議会という学園の未来を大学・学生・教職員の皆で決める協議で学友会の代表の1人として参加したりと、さまざまな活動をおこないました。

このような経験を通して感じたのは「情報発信」の大切さ。いかに素晴らしい取り組みをしていても、発信ができていなければ意味がありません。
そしてその発信も、わかりやすいものでなければ、誰も関心を持ってくれない。そういったことを様々な活動で痛感しました。

そこで自身の活動で進めたのが、「情報×デザイン」です。いかに正しい情報をわかりやすく届けるかが、情報発信にとっては大切ではないかと考えています。それを実践するべく、僕は広報においてインフォグラフィックを多用し、わかりやすく伝えるようにしています。

おわりに

以上が僕のこれまでの経歴です。

これまで作ってきた制作物や、詳しい実績は、ポートフォリオサイトにまとめています。

僕はデザイナーのスキル面で言えば、世の中で活躍されているデザイナーの先輩方には遠く及びません。絵も書けません。

しかし僕の強みは、デザインと広報と企画・運営を掛け合わせられるところではないかと思います。シームレスに一貫して、企画からデザイン、媒体運営、広報などを行っています。

その力を買っていただき、今、インパクトラボでデザイナーとして企画・運営も含めた仕事をさせていただいています。

今後は、足りていないスキルをさらに学びながら、デザイナーとしての道を歩んでいきたいと思います。


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