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戦うこと

すみません。感情的なもので語調がいつもと変わります。
変わり方もおかしいのですが、あまり気にしないでくださいね。
私の心というのは本来こんな感じなんです。
そういうのも含めて楽しんでいただければと思います。


書く人というのは、非常に自信のある人と、非常に心細く弱い人がいます。

私は無論後者ですね。たまに前者になる時はあるのですが、

今は何かと後者であります。

ふと、思うんです。

なんのために心を費やし戦うのか。

私の戦いって、自分のためではないはずなんです。
その根拠に別の誰かがいつもいるんです。
もしかしたら、その先のまた先くらいに愛されたい、という自分の自我があるかもしれないんですが。
でもそれならば、戦わなくたっていいんです。
ただ自分を愛してくれる人を、気のままゆっくり見つければ良いと思うのです。

どうしてあえて身をすり減らすのか。
そう考えたら、私は大概、未来のために今戦っているように思います。


いつでもこの先の私と同じ立場に、気持ちになる人がより幸せにいられますように。
私はそんなことを思って生きていたりします。
これは見え方は偽善でありましょうが、うん、そうではないんです。

これが本心というか、私の弱さであるのです。

私の諦めでもあるのです。

私だっていつか死ぬんだから、私を全うしたとて、なんになりますか。
私の都合良しに生きても、この世界になんの得もありません。

つまり、もっと丸く言って仕舞えば、この世界が好きなのです。

よく言います。
自分の一度きりの人生、自分を全うせよと。
でも、それは我のままに生きるべきという意味ではないと思うのです。

それは、いろんなことを学び考えた上で、もった我に従い生きるということです。
それで得た役割が、私は未来へ繋ぐことだと考えました。
もっとも自然的で合理的だと自分でも思います。
まるで植物のように。動物の食物連鎖のように。遺伝子のように。
繋がる存在の幸福がもっとも大切なのです。
これは大いなる母性愛に似たような気持ちでしょうか。

もちろん、いつもではありません。
あれを食べたいだとか、あなたが好きだとか、そんなことはありのままの自我で生きていきます。
でも、何か戦いが起こる時、私の軸は未来の人々へ向けられます。

よく自分のために生きろと言います。しかし、それは実際難しいのです。

ある程度生きているみなさんならわかりますでしょう。
自分のためだけに生きていることは必ずしも偉くはないということを。
そして、そうしたからと言って幸せになれるわけでもないということを。



自分以外の為に生きたっていいんです。それが私のそしてあなたの役割です。

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