消えたHDMIハブ

 アイリは『太初の鯨』から、次のような文字列を発見した。

 持っていたHDMIハブが壊れてしまった。わたしがキーボードで文字を打っているときに、ディスプレイが真っ黒になった。わたしは一見、書いていた小説が全くこの世界から消えてしまったのかと思った。
 ディスプレイには「no signal please check...」と表示されて、消えた。わたしはmac bookに刺さっているハブを確認した。何度も接続ケーブルを確認したが、接続できなかった。
 さらに言うと、ハブなんてものはなかった。mac bookの接続端子は洗練されていて、usb-cしかない。けれど、わたしはその丸っこい上下左右が対称な端子に、台形のHDMI端子を差し入れようとしていた。
 壊れたと思ったものが、そこにはなかった。
 わたしは、購入した店に行って、一週間前に買ったときにもらった保証書つきのレシートを見せに行った。買ったときに、一週間保障がついているところでいやな予感はしていた。見たことがないメーカーの、見たことがない形のHDMIハブで、わたしは不審に思ったが、どうしても必要だったのだ。
 わたしのパソコンの洗練された接続端子では、左手のUSBデバイスも、キーボードも、MIDIキーボードも、YAMAHA AG03もハブなしには接続できなかった。だから、割と大きなお金を出して、ハブを飼ってしまった。
 それさえあれば、何でも接続できると思ったから。
 その店は、駅前商店街の狭い通り道にあった。中古のパソコンや周辺機器を販売していて、家電量販店には売っていない、ニッチなニーズを満たしてくれるものが多く売っている。変換ケーブルとか、メモリースティックとか、古い電池式のマジックマウスとか。
 わたしは、客がいないのに空いている店内を通り抜けて、レジの前に保証書を見せた。「すみません、壊れてしまったので、取り替えてもらえますか?」
 店員はアルバイトなのか、若い背の高い男性で、わたしの保証書つき領収書を顔の前にさっと近づけて注意深く読んだ。
「確認いたします。箱はありますか?」
「ありません。」
「確認いたします。」
 そう言って、何も確認するものがないことに、気がついた。わたしも、彼と同じタイミングで、気がついた。
「お買い上げいただいたものは?」
「ありません。」
 彼は、一瞬、回答することができなくなってしまったchatGPTのようにしばらく無言でわたしを見た。
「それはどういう?」
 会話を続けるには、そういった哲学的次元に切り込むような問いが必要だった。
「なくなってしまったんです。」
「紛失は保障対象外です」
 彼は冷酷に行った。
「紛失じゃありません。消えたんです。」
「しかし、現物がないとお取り替えできません。」
「多分この中にあります。」
 わたしはリュックを、前に回して、YKKの滑りがよいファスナーを開けて、家から持ってきたmac bookをカウンターに乗せた。そして、わたしは、洗練された二つしかないusb-c端子を彼の目の前に向けて、指さした。
 わたしが指さしたのは二つの内の、手前側の方で、奥側の方は、いつも充電ケーブルを挿している。
「確認いたします。」
 彼は、わたしの指先をじっと見てしばらく見た。
「ありませんね」
「いや、消えてしまったんです。」
 わたしはそう言ったが、彼は、何も、取り合ってくれなかった。
 もしかしたら、小説を書いているときに、わたしが「消えた、消えた」と何度も書いてしまったからかも知れない。「つながりが消えた」その言葉を、back spaceキーで消そうとしたら、ディスプレイの明かりが消えてしまったから。

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