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にじいろカルテ 5話

「話を聞いた人がさ、勝手に分かりやすい物語にしてしまうのが、嫌だったからなんだ」

朔先生のこの一言が魔法のように頭に沁みた。

「人はそうやってさ、自分が勝手に語りやすい物語の中に人を閉じ込めるだろ?俺はさ、その場所にいる限りずーっとその物語の登場人物なんだよ」

悲しい出来事に限らず、人は自分にとっての分かりやすさを求めて、他人の過去や個性を勝手に脚色し、頭の中で相手を「それっぽい人物として」認識してしまう。
相手が抱いてきた数え切れないほどの感情や葛藤を無視して、相手にとって迷惑な脚本家となってしまう。
それって、人に対してものすごく失礼なことだよね、と、改めて思った。
判断するっていう行為自体、人間にとって快感を得られるものらしい。仏教か何かの本に書いてあった。
判断しないことってたまに怖かったりもするけど、どんな人のことも「今見てるその人のまま」受け入れられたらいい、ってことだよね。変に自分の考えた設定を付け加えないでさ。

朔先生は、辛いなんて感情に浸る場合じゃなくて、人生は続いていくから、楽しいこと、楽しかったことを見つめて笑う。
笑うことを選んだ人なんだ、と感じた。
井浦新さん…(ファンとして)大好きだ…。

他人の物語もだけど、自分の物語を作っちゃう人もいるよね。
事実以上に悲劇的な解釈を付け加えてたり、消化しきれていない後悔や悩みを押し込んで無理やり「私いま幸せなの!」と主張して、聞いてる誰かを傷つけたり。
それもさ、一旦やめようよ。
自分のこと悲しい目で見るのは一旦やめて、そのまんま見てみようよ。
あなたはそんな人間なの?あなたが思ってるだけかもよ?
を、最後に太陽くんへ、朔先生や村の人たちのデスメタルへの反応が伝えてる気がした。
楽しすぎて笑い転げたわ、俺以外。

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