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180:「カーソルという身体」と環境(対象)の関係性からデザインされるべきなのだ

iPadOSのポインタについて考えていて,渡邊恵太の『融けるデザイン』を読み返していると,以下の記述を見つけた.

GUIではメタファが採用されているが,実はそのメタファが人間の指を前提にデザインしてしまっている場合がある.たとえば,スキュアモーフィズムによって現物のテクスチャを使ったような表現を採用する場合があるが,手と対象を同時にデザインする知覚原理を考えれば,タッチパネルではない限り「カーソルにとっての対象」をデザインすべきなのだ.あるいは,カーソルのグラフィックをスキュアモーフィズムで捉え直すことが正統的な方法かもしれない.いずれにしても,「カーソルという身体」と環境(対象)の関係性からデザインされるべきなのだ.pp. 79-80

iPadOSのカーソル/ポインタは「タッチパネル」,メタファーを用いない「フラットデザイン」を経由して,ヒトの行為とディスプレイ上の映像との連動を重視する「Fluid Design」の直後に再設計されている.

この流れを踏まえて,iPadOSのカーソル/ポインタの考えたときに,タッチパネル以前の矢印カーソルについて,J・J・ギブソンの生態心理学から影響を受けた渡邊の引用したテキストはとても興味深いものになっている,と思う.

カーソル/ポインタを「指差す」ことだけに限定するのではなく,インターフェイスのボタンを「押す」などの対象との関係で捉え直すこと.それはきっと,斜めの矢印などのピクセル単位で対象を選択することではなく,iPadOSがしたようにピクセル単位のポインティング層とインターフェイスに設置された対象の層とを分けて,対象の大きさに応じて,カーソル/ポインタのかたちを変えていくことに繋がっていく.iPadOSのカーソル/ポインタは「「カーソルという身体」と環境(対象)の関係性」から再設計された結果として,そこから他のかたちに変形しやすい「円形」になっている.

環境にあるアフォーダンスを探索して,そこから対象とともに行為を行うときに,ヒトは自らの行為を対象に合わせて細かく変形していく.iPadOS以前のカーソル/ポインタにおいても,渡邊が書くように「カーソルヒンティング」での変形は行われていた.しかし,それでもカーソル/ポインタが「指差す」精度は,常に同じでピクセル単位であった.だが,手は変形させることで,対象への接触面のかたちを大きく変えているのだから,カーソル/ポインタが対象に触れる精度も変わるべきだったのだろう.この精度の変更を,iPadOSのカーソル/ポインタは「適応精度」という概念と実装によって,ヒトとコンピュータとの連動によって生じる行為に取り入れた.渡邊がギブソンから得た「手と対象を同時にデザインする知覚原理」から提案したカーソル/ポインタのデザインが,やっとiPadOSのカーソル/ポインタの再設計で実現されたと言えるだろう.

iPadOSのカーソル/ポインタの再設計に関わったデザイナーやエンジニアは,タッチパネル,フラットデザイン,Fluid Designを経由して,インターフェイスを構成する無数のオブジェクトを使って,アフォーダンスを変更した言えるのではないだろうか.インターフェイスを構成するオブジェクトをアフォーダンスの資源と捉え直して,これまで掘り返されていなかった石油を活用できるようにするかのように,インターフェイスの対象の組み合わせを変えて,アフォーダンスを活用できるようにしていったのだろう.その結果として,iPadOSのカーソル/ポインタはヒトの行為とディスプレイ上の映像とをあらたなかたちで切り結ぶようになったのである.

追記:2021/05/21
物理世界でのヒトとオブジェクトの関係を抽象化して,ヒトとオブジェクトのあらたな関係をデザインする.抽象化された関係に基づいて,ヒトの行為とディスプレイ上の映像とを連動させる方法を考えた結果として,iPadOSのカーソル/ポインタを考える.そうすると,iPadOSのカーソル/ポインタは座標を選択するというプリミティブな行為からオブジェクトに応じて変化する複雑な行為への変化を可能にしたものと考えることができる.そして,この複雑な行為によって,インターフェイスにおける対象に「触れる」ことができるようになった.インターフェイスのオブジェクトにディスプレイ越しに「触れる」のではなく,抽象的なかたちでダイレクトに「触れる」という行為がヒトとコンピュータとの関係において生まれている.


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