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008:ヒトが「マテリアル」と認識する領域を拡張する

砂山──ざっくり言ってしまえば,デジタル以後の時代には,物の特性を情報として操作することが可能になり,「素材と向き合う」という言い方に表わされていたような自然主義的特権性が相対化され,物のなかにある情報性,情報のなかにある物性が思考されていると言えます.現代の装飾性とはそうしたポストデジタル的な思考の往還のなかで現われてくると思います.
http://10plus1.jp/monthly/2018/04/issue-01-5.php

砂山さんが石岡さんとの対談「20世紀の遺産から考える装飾」で上のように話している。「物のなかにある情報性,情報のなかにある物性」と言われるとき、「物のなかにある情報性」というのは、デジタルファブリケーションでモノが自在に加工できるようになってきたことを示している。対になる「情報のなかにある物性」はデジタル情報の構造を扱うものや、デジタル実在論などもあるだろうが、私としてはUIの「マテリアル」化を考えてみたい。

Googleが「マテリアルデザイン」という言葉をつくったこと自体が、「情報のなかにある物性」を示しているような気がする。たしかに、このときのマテリアルのメインのターゲットにされているというか、誰が「マテリアル」と感じるのかと考えると、ヒト中心的なマテリアルでしかないと言われるだろう。でも、それでいいのではないか? ヒトが「マテリアル」と認識する領域を拡張すること。これは道具によって、ヒトの身体を拡張するといったものより大きなことが起こっている感じがする。

何をマテリアルと感じるのか、という時に、Googleのデザインチームはマテリアルを光と影や動きといった要素を定義していった。それらの要素を吟味して、設定していくことで、マテリアルと感じられるそれぞれの要素から、UIの空間が成立する。空間がまずあってではなく、それぞれの要素を設定することで、はじめて空間が生まれ、その空間を含めて、ヒトがマテリアルだと認識する。ここには、大きな変化が起こっているのではないだろうか?

マテリアルデザインは空間は各要素から操作可能になっている。ヒトが平面の重なりに「空間」を感じるように設定していくこと。それによって、遠近法とは異なる認識をもたらすサーフェイスが生まれる。サーフェイスは、なかの各要素からつくられる空間=バルクと連動したものである。各要素がマテリアルとそれを含む空間をつくり、同時に、その空間がバルクとし、その周囲のモノをサーフェイスとするあたらしいモノが生まれている。

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