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069:《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》における「・」

アキバタマビ21で開催されている「フィジークトス」に展示されていた時里充の《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》(2019)は,縦に連結した3つのディスプレイと床置きされと横長のディスプレイとがケーブルで繋がれている.そして,これらのディスプレイとは別に,スタンドに設置された円筒形の小さなスピーカー📣が設置されている.

映像が流れていないときは,これらのモノはモノとして空間のなかにある座標を与えられて存在している.「座標」と訳ありげに書いたけれど,《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》を見ているときに思い出したのが,​ベンジャミン・H・ブラットンが『The Stack』で「ユーザ/インターフェイス/アドレス/都市/クラウド/地球」という6つのレイヤーが全世界を覆っていると指摘する際に使用された図だからである.

この図は「062:スマートフォン📱によって、画像が手に持たれるようになった」で,「フィジークトス」にも出品しているucnvの作品を論じたときにも思い出したものであるから,インターネットやスマートフォン以後の世界の構造を考える一つのヒントになると思われる.現在の私たちはスマートフォンを片手に地球の座標のどこかに存在している.別にスマートフォンを持たなくても,空間を座標で区切って考えることは当たり前のことになっているだろう.ブラットンのこの図で重要なのは,世界が6つのレイヤーに分かれているということではなく,これらの6つのレイヤーの何処かで一つの座標が決定されると,半自動的に他の5つのレイヤーでの座標も決まると彼が主張しているところでだと,私は考えている.ある時点tにおいて異なるレイヤーにある座標が連結してしまう.このことをうまく表している作品として,『メディア・アート原論』のキーワードで,アーティ・ヴィアカントの《イメージ・オブジェクト》を取り上げた.

ブラットンの指摘と同じように,ヴィアカントの《イメージ・オブジェクト》も,Photoshopでの処理のためにピクセルの座標がオブジェクトと空間に与えられた瞬間,イメージとオブジェクトと空間とがXYグリッドの別個の3つのレイヤーでの座標が決定され連結されていく.普段は別個の存在であるイメージ,オブジェクト,空間が連結した座標として提示されるがゆえに,《イメージ・オブジェクト》は見る者に奇妙さを与えるものになっている.《イメージ・オブジェクト》が成立する世界では,イメージとオブジェクトとは対立するものではなく,それらを包摂する空間を含んだかたちで重なり合った3つのレイヤーで同時に存在し,連結している座標の集合なのである.p.131

ヴィアカントの《イメージ・オブジェクト》と同じように,時里の《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》は,ディスプレイの映像のXY座標と作品を見ている私の側の空間のXYZ座標とが連結するような感じを強く受けるのである.時里作品において,座標が連結していく感じを記述していきたい.

3つのディスプレイに映像が流れ始めると,ディスプレイのフレームの中は「映像」として,手前の物理空間とは別物として見られ,空間のXYZ座標とは異なるXY座標で表示される.一番の上のディスプレイでは風向計が向きをせわしなく変えているが,それは映像が撮影されたときの風に影響を受けているのであって,私がいる空間とは別の空間で,別の時点での出来事の記録として見られるだろう.二番目のディスプレイは,誰かがくじ引きをし,くじをめくって,くじの番号が見えるということを繰り返して表示している.この一連のくじ引き行為もまた,ディスプレイが表示する別の空間と時間を記録したXY座標の集合でしかない.一番下のディスプレイは白い壁を映し続けている.その壁が展示会場の白い壁なのかはわからないし,通常は今この瞬間とは異なる時間に撮影された白い壁として見られるであろう.

壁にかけられた3つのディスプレイが示す,ある時点tで撮影されたXYZ座標の空間をXY座標に変換した映像は,作品を見ている私の時点tとXYZ座標空間とは関係ない.しかし,映像の座標と私がいる座標がしだいに重なり合ってくるのが,《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》の面白さである.

真ん中のディスプレイで表示されているくじをめくっている映像には,しばらくすると音声がつき,くじの番号が読み上げられるようになる.その読み上げの音声は,ディスプレイのスピーカーではなく,手前の円筒形のスピーカー📣から流れてくる.数字を読み上げる音声がディスプレイという平面からはみ出て,私がいるXYZ座標空間に設置された円筒形のスピーカー📣という物理空間の一つの「座標」か聞こえてくる.これは単にスピーカーとディスプレイとを無線で繋いでいるということではなく,「円筒形のスピーカー📣」という形が,ディスプレイ上の映像というXY座標から音声が引き剥がされて,物理空間に「座標」として置かれたと考えることができる.「引き剥がされて」と書いたけれど,ディスプレイのXY座標と円筒形のスピーカー📣のXYZ座標は無線で連結されているので,映像と音声は連動している.

一番下のディスプレイが表示する白い壁には,しばらくするとタイマーが設置される.このタイマーは「リアルタイム」で時間を計測しているようだと思った瞬間に,映像の時点tと私の時点tとが重なり合う.これは時里作品でよく使われる手法である.しかし,ただ重なり合うとすれば,映画やドラマでもよく行われる手法でもある.なので,時里は常に映像と鑑賞者の時点tとの重なり方に工夫を凝らしている.今回は,映像とこちらの時点tを重ね合わせるだけでなく,時点tにある形を与えている.それが床置きされた横長のディスプレイである.このディスプレイはタイマーが進むのと連動して,赤い表示が増えていく「シークバー」の機能を果たし,タイマーの終わりを映像のタイマーとは別の形で可視化しているのである. 研究者/映像作家の菅俊一は御巣鷹山の日航機墜落事故に関するYouTubeの映像(日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図 Ver1.2 & ボイスレコーダー)を「シークバー」に着目して次のように考察している.

このムービーのポイントは,「終わり」がはじめから分かっているということだ,あとどのくらいで事故が起こるか,私たちは知っている,ムービーを見ると,地図には御巣鷹山がマッピングされているし,YouTubeのシークバーの残り時間は事故への分り易すぎるカウントダウンだ,
定められた未来

菅の指摘のように床置きされた横長のディスプレイは,タイマーが設置されたディスプレイが迎える未来を示すフレームの形状で示している.もちろん,時里がそのフレーム形状を「シークバー」として機能させる映像をつくっているから,横長のディスプレイは「シークバー」として機能するのである.タイマーを表示するディスプレイの時点tと鑑賞者側の空間の床に置かれた横長のディスプレイの時点tと,鑑賞者の時点tとがタイマーが示す限りある未来の時点tを起点にして連結される.さらに,このディスプレイには読み上がられるくじの数字が英語で表示されるので,鑑賞者の時点tと一番下のディスプレイの時点tだけではなく,真ん中のディスプレイの時点tも重なり合っていることがわかる.また,3つの縦に連結されたディスプレイと床に横置きされたディスプレイはケーブルで接続されており,スピーカーよりもつながりがダイレクトだと感じられるのが,不思議なところである.

では,一番上の風向計を示すディスプレイの映像はどうだろうか.風向計は最初は映像が記録された時点tの風に従っているように見えるのだが,くじが読み上げられた瞬間から,数字に制御されたような不自然な動きをするようになる.真ん中のディスプレイが示すくじの数字は上のディスプレイとも連動していると否応なしにに考えざるを得ない状況が生まれる.さらに,風向計は鑑賞者の意識をディスプレイのなかに引き込むかのようにディスプレイのフレームの真ん中下から出ている.これは,渡邊恵太が「WorldConnector:カメラへの身体性付与による映像世界へ入り込むインタフェース」という研究で使った手法ととても似ている.渡邊は「「かんたんに,画面に,入る」という見出しのもと,次のような説明を書く.

ビデオゲームにおいて一人称視点として画面内にアバターの身体の一部を映すことによって,アバターになりきったかのような臨場感を高める工夫がされていることがある.本研究は,記録装置のカメラと再生装置の画面に物理的な棒を取り付ける方法を用いることによって,利用者が画面の中に入った,画面内へ介入しているような感覚を実現するWorldConnectorを提案する.本研究ではWorldConnectorのシステム実装について述べ,WorldConnectorを利用したさまざまなコンテンツの可能性について事例を紹介しながらシステムの可能性について考察する.

《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》で連結した3つのディスプレイの一番上に表示されている風向計は「WorldConnector」のように鑑賞者を画面のなかに巻き込んでいく.それは,くじ引きの読み上げとともに,ディスプレイの映像が鑑賞者側の空間にはみ出てきたのとは逆の作用である.鑑賞者がいるXYZ座標と映像のXY座標とが連結するところまでは一緒であるが,鑑賞者の方に映像がはみ出るのではなく,映像の座標に鑑賞者の座標が否応なく巻き込まれて連結されて,引っ張られていき,映像と鑑賞者との座標が連結し,時点tも重ね合わされる.

このように記述してくると,時里の《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》には複数のディスプレイが示す映像のXY座標と時点tとが,鑑賞者がいる空間のXYZ座標と時点tとに様々な方法で連結していることがわかる.そして,座標が連結するということは,複数のレイヤー同士が別個のものではなく,レイヤーからはみ出し,それらをつなぐものが生まれているということである.それはタイトルの《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》における「・」のように一見意味がなさそうなものかもしれない.しかし,意味がなそうだからといって,無視するのではなく,インターネットやスマートフォン以後の映像体験を考えるために「・」が何なのかを考える必要がある.《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》は「・」があるからこそ,意味がある文字列としてつながっているのである.時里の《リーディングリトルホーク・ローディングナンバー・ウェイティングボイス》という作品での「・」とは,レイヤーからはみ出し,複数のレイヤーを連結していく「レイヤーから時点tをはみ出させる方法」を意味すると考えられるのである.

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