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223:「インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性」を考えるためのメモ

哲学者のデイビッド・チャーマーズは仮想現実と哲学の問題を扱う『Reality+』において,「デジタルオブジェクトは完全に実在する物体」と主張する.「デジタルオブジェクト」とは,仮想現実内のオブジェクトであり,ビットのパターンで構成されたものである.私はチャーマーズの主張をインターフェイスデザインに応用してみたい.彼の主張が真だとすると,私たちはインターフェイスにおいて「デジタルオブジェクト」を幻影ではなく「完全に実在する物体」として体験していることになる.これは直観に反するように感じられる.しかし,インターフェイスデザインは,彼の主張を裏付ける流れになっている.この記事では,コンピュータの音とディスプレイの表象との関係に注目して,インターフェイスにおけるデジタルオブジェクトの実在性を考えていきたい.

コンピュータのインターフェイス体験としては,ディスプレイに表示されるイメージとシンボルに付随する音だけではなく,それらが現れるためにデバイスが駆動している音が聞こえていた.デバイスから聞こえていた内部音は,ディスプレイに見えるもの=世界そのものの現れをつくる存在論的な音だと考えられる.内部音がヒトに想起させるデバイスの内部空間が,デバイスから立ち現れるディスプレイ平面がつくる世界に重ね合わされて,その世界に空間性を与えていたと考えられる.「仮想空間」はディスプレイの内側だけのこと指すのではなく,その外部から生じる音からも生じていたと考えてみたい.

デスクトップメタファー時代は,XY座標がつくる論理平面=ディスプレイに由来する視覚情報と物理空間=ハードディスクのカリカリ音という聴覚情報という異なる感覚要素が別々の平面と空間という別の次元を示しながら,同一の出来事として現れて,インターフェイス体験を生み出していた.ハードディスクのカリカリ音のようなコンピュータの内部音は,現象学者のDon Ihdeが指摘するように,モノの内部に空間があることを示していた.見えないけれどそこに空間が確かに存在するという聴覚情報は,ディスプレイに展開される平面的視覚情報とのあいだに次元のギャップをつくることになった.ヒトの行為をコンピュータに移植するためのデスクトップメタファーは,視覚と聴覚との異なる要素間に生じる次元のギャップを埋める役割も果たしていたと考えらえれる.

やがて,SSDや内部構造の変化によって,見えないながらもそこにある空間を担保していたコンピュータの内部音が消えていった.ディスプレイのXY座標がつくる論理平面が,インターフェイス体験を構築する出来事のすべてになった.論理平面上のデジタルオブジェクトは視覚情報として操作され,その操作に聴覚情報も付随して発生することもあったが,すべてはディスプレイ上の出来事であって,ディスプレイ外からの音はなくなった.内部音の消滅によって,インターフェイス体験から視覚情報がつくる平面性と聴覚情報がつくる空間性という次元に関するギャップがなくなり,ギャップを埋めるため使われていたメタファーがディスプレイから消えていくことになった.同時に,デジタルオブジェクトが現れるために想定されていた「仮想空間」や「サイバースペース」と呼ばれた物理空間とは異なる別の空間が潰れた.その結果,ディスプレイの平面に押し出されたデジタルオブジェクトだけが残された.

デジタルオブジェクトは空間から引き離されて,二次元情報平面に存在するフラットな存在になった.デジタルオブジェクトを具現化するための情報を保持するオブジェクトである記憶装置がミュート=無音化していくことによって,デジタルオブジェクトはその存在のために「仮想空間」を想定する必要がなくなり,ただディスプレイのXY座標平面に存在するようになった.諸感覚のずれをもたらす「目と耳のあいだの空間」としての仮想空間やサイバースペースが潰れた結果,ディスプレイに押し出されたデジタルオブジェクトがその実在を強調するようになったのが,スマートフォンという薄い板だった.スマートフォンでは,ディスプレイ上のデジタルオブジェクトが仮想ではなく,物理世界とは異なる形で独自に実在するものとして捉えられるようになり,そして,その実在性をサポートするようにインターフェイスの設計が考えられるようになってきている.

GUIの登場とともに計算が「見えるもの」となり,スマートフォンとともに計算が「触れるもの」になり,計算がスマートフォンという薄い板に押し出されて,ヒトの手と計算とのあいだに親密さが増すことになった.無音のスマートフォンは,コンピュータに対するユーザのメンタルモデルに影響を与え,聴覚情報の消失による空間性の消失だけでなく,見た目にも,そして,触れている感じとしても,コンピュータはもう一つの「空間」ではなく,手元の「平面」として捉えられるようになった.その結果,異なる空間を結びつけるための空間性を想起させないフラットな表象が,インターフェイスのあらたなデザインとして現れた.次に,メタファーが担っていたユーザと仮想世界との橋渡し役の代わりとして,部品を隙間なく配置した内部空間が可能にする精巧な振動と音とを組み合わせたハプティック技術がスマートフォンに導入された.そして,ハプティックの振動的な配列とピクセルの平面的な配列とを同期させ,視聴覚の体験では表象に留まってきたデジタルオブジェクトを3つの感覚を用いて設計された「同時性」のもとで体験させることで,その実在をユーザに体感させる試みが始まったと考えられる.

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