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211:それ単体では作品ではないんだけど,見たときに,ものすごくグッとくる感じがあったんです

──無意識的に生と死の問題をずっと考えてきたのかな.それがちょうどコロナの状況と自分たちが作品が残骸的になっているという問題がセットになっている.
赤岩 残骸だけど,なにかとつながるんじゃないかっていう希望があったりして. ──いま別のかたちで提示することによって,新しいリンクが生まれる.
赤岩 「インターネットアートへの再接続」は,過去のインターネットアートに再接続するというよりも,インターネットアートを通して,何か新しいものに再接続する試みのような感じ.2018年に山口情報芸術センター[YCAM]で開催された「メディアアートの輪廻転生」展のときに,ナム・ジュン・パイクがかつてパフォーマンスで使ったブラウン管のテレビを展示したんですが,その画面に直接直筆の文字がパーッと書いてあったんですね.それ単体では作品ではないんだけど,見たときに,ものすごくグッとくる感じがあったんです.すごいイメージが膨らむというか,端端からにじみ出てくるものがあって,そのときに得た感覚というか確信みたいなものが今回の展示の仕方につながっているような気もしますね.pp. 173-174

「美術手帖2020年12月号」の「Interview with EXONEMO 技術を単語として、新しい詩を書いている 聞き手=四方幸子」からの引用.

四方の「残骸」という物質的な言葉を受けて,赤岩はそこに希望を見出し,「インターネットアートを通して,何か新しいものに再接続する試みのような感じ」と述べている.その再接続のための確信は,パイクがサインしたブラウン管から得られてモノであった.そのブラウン管は,単にモノそのものというわけでもなく,それを用いて行われたパフォーマンスでもなく,パイクのサインがされたものである.パイクのサインが書かれることによって,モノは残骸ではなくなり,モノでありながらもパイクの何かが加わった「ものすごくグッとくる感じ」という明確に意識にのぼる以前の「感覚というか確信みたいなもの」を赤岩に与えたことが重要である.この体験の延長で,エキソニモは作品からインタラクションを切り落として,作品そのものの再現ではなく,ソフトウェア,記録映像,作品のハードウェアとをうまく組み合わせて,「ものすごくグッとくる感じ」という意識以前の感覚を,作品の体験者と共有するように作品を調整していったと考えられる.


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