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147:「物」が「出来事」でしかないという視点


実際さらに細かく見ていくと,いかにも「物」らしい対象でも,長く続く「出来事」でしかない.もっとも硬い石は,化学や物理学や鉱物学や地理学や心理学の知見によると,じつは量子場の複雑な振動であり,複数の力の一瞬の相互作用であり,崩れて再び砂に戻るまでのごく短い間に限って形と平衡を保つことができる過程であり,惑星上の元素同士の相互作用の歴史のごく短い一幕であり,新石器時代の人類の痕跡であり,横町のわんぱくギャング団が使う武器であり,時間に関する本に載っている一つの例であり,ある存在論のメタファーなのだ.そしてそれは,わたしたちが知覚している対象より,むしろ知覚しているこちら側の身体構造に依拠したこの世界の細分化の一部であり,現実を構成する宇宙規模の鏡のゲームの複雑な結び目なのである.この世界は石ではなく,束の間の音や海面を進む波でできている.位置No.1072/2954

カルロ・ロヴェッリが書くように「物」が「出来事」でしかないという視点で《景体》を見る必要がある.《景体》というのは黒い波のうねりの物体だけではなく,それを母材としてヒトの認識が架空のバルクとサーフェイスとを接合していく「出来事」を指すのある.《景体》は景色であり,物体であるという人間レベルでの二つの状態を行き来する出来事なのであり,バルクとサーフェイスという微視的スケールでは,もともとすべてが粒子が結びついたり,離れたりする出来事でしかないことを示す体験をつくりだしている.荒神が「個体を超えてものを見る」というときと同じように,ヒトの身体構造を超えた微視的レベルでバルクとサーフェイスとの組み合わせで物体を見て,それを再度,人間的スケールで細分化するということを繰り返していくことで,世界を出来事の集積とした捉える「頭の再配線(サスキンド)」が起こるのである.

今の連載だと物のあり方をバルクとサーフェイスとで分けて考えることで物の認識のアップデートを考えているので,どうしても「出来事」という視点が合わなくて,ボツになったけど,いずれは「出来事」で「物」を考えるようになっていくような気がする.

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