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135:景色のサーフェイスの奥に物体のバルクとが接合された連続した存在

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目の《景体》を見て,最初に感じたのは「動きを止めた海」ということであった.これは多くの人が感じることだと思う.海の動きが止まり,モノとなっている.けれど,そこには海の景色がある.しかし,その海の景色は,美術館の展示室の中にある.奥の窓,両脇の白い壁,手前の床に明確に区切られた空間の中に《景体》はある.《景体》は,どこかの海を切り取ってきて,展示室に移植したかのように存在している.スパッと四方を切られた海が目の前にある.四方を切り取られているからこそ,《景体》は「物体」としてそこにあり,かつてどこかにあった海の痕跡を示している.《景体》を物体として見て,壁との境目を見てみる.

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《景体》の端はスパッと切れている.海がスパッと切られている.この切れ目を見たとき,私はこの海を形成している幾つもの波のうねりが一枚のサーフェイスで出来上がっているのではないかと感じた.切れ目を見たときに,《景体》がバルクを存在を持つ海ではなく,サーフェイスのみの特殊な物体なのではないかと考えるようになった.通常の海は大気とのインターフェイスを形成する水のサーフェイスとその奥に大気に触れることなく海底までつながるバルクから構成されている.バルクを構成する水は「他者と触れ合わず自分自身とのみ触れ合っている」がゆえに,その存在は想像しづらい.私たちが通常,海の景色を見ているというとき,見ているのは海のサーフェイスのうねりであって,その奥にあるバルクを想像することは少ない.だとすれば,《景体》が水のサーフェイスのみを別の素材で置き換えたとしたとしても問題ないだろう.しかし,《景体》の切れ目のみではなく,全体を見ていると,そこにある「海」は黒いサーフェイスのうねりの奥にバルクの存在を感じさせる.実際に《景体》がどのようにつくられているのかはわからない.だから,この黒い波のうねりの連続のサーフェイスはその奥に実際にバルクを持つのかもしれないし,そうではないのかもしれない,それはわからない.しかし,《景体》はいずれにしてもサーフェイスのみの特殊な物体でありながら,その奥にバルクを感じさせる通常の物体としても,その存在を主張しているように見える.

《景体》を景色を形成するサーフェイスと,サーフェイスの奥にあり物体を形成するバルクとが接合されていると考えてみたら,どうなるだろうか.《景体》は海そのものの動きを止めたのではなく,海の景色の動きを止めた物体であり,それゆえに海の景色が物体としてのバルクを持つようになる.こうして,《景体》は景色のサーフェイスの奥に物体のバルクとが接合された連続した存在となることで,見る者に不思議な感覚を与えるようになっていると,ひとまず考えてみたい.

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