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171:「バルク」を振り返ったら,バルクもサーフェイスも消えた

1つのモノをバルクとサーフェイスという2つの異なる言葉で考えるためにバルクは導入された.そして,考察の過程でバルクとサーフェイスとのあいだに「空白」が持ち込まれることになった.今から考えると,バルクを設定することでサーフェイスの先・奥の存在を捉えようとしてきたのだろう.

サーフェイスを「平面」として捉えるのではなく,その先・奥があるものとして考えようとしてきたのだろう.コンピュータとのインターフェイスに向かい合う体験は,サーフェイスを「透かし見る」体験をすることではないか.「透かし見る」ということは,その先・奥に何かが広がっていることを意味する.

しかし,サーフェイスを透かして,バルクを見ているあいだに,これらが徹底的にかき混ぜられる状態があることを知った.それが「超臨界流体」というモノの第四の状態と「摩擦攪拌接合」というモノのあらたな接合方式であった.正確にいうと,バルクとサーフェイスとがかき混ぜられるというよりは,「かき混ぜる」という行為によって,サーフェイスが剥ぎ取られていき,バルクが剥き出しになった結果として,モノがあらたな状態になったり,接合されたりしていくということになる.

私はこれらのモノのあらたな状態や接合方法をメタファーにして,インターフェイスを経由したヒトのモノの認識をバルクとサーフェイスという言葉で改めて考えたのだろう.バルクとサーフェイスとは徹底的にかき混ぜられて,バルクでもなく,サーフェイスでもなくなって,入不二さんがいう「非特定背景無色」としての「白」となって「空白」を満たすようになっているのではないだろうか.

では,何によってかき混ぜられるのか.ヒトの認識によって,バルクとサーフェイスとがかき混ぜられると考えている.そして,ヒトの認識は精密に操作された情報がつくる状況に圧力を受けている.ヒトと精密に操作された情報がつくる状況とによって,バルクとサーフェイスとが徹底的にかき混ぜられて「空白」が現れ,そこに体験が生まれていく.

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